「最近勤務態度に問題があると報告を受けているぞ。どういうことだ焦凍」

 しばらく会ってなかったが、相変わらず圧ばかりある親父に呼び出されたと思えば、内容は説教だった。
 久しぶりに会って一番に言うことがそれかと舌打ちの一つもしたくなったが、身に覚えがありすぎた指摘に「……悪ぃ」としか言えず、オフでも炎が消えていない顔から視線を逸らす。「決まった取材に対して出たくないだのとわがままを言う、急に戦線を離脱する、事後承諾の有給処理」つらつらと問題点を並べる親父が鬱陶しいが舌打ちは堪える。
 全部本当にあったことだ。それがどうしてなのか、は言えねぇけど。
 いくら冷房の効いた部屋、サマーニットの涼しい素材とはいえ、首まで隠すタートルネックは暑い。つい指で生地を引っぱるが、首には噛み痕があるんだったと思い出して手を離す。生地が気になって首がいてぇのは噛み痕のせいか。

「聞いているのか焦凍」
「…聞いてる。悪いと思ってる」
「俺が庇うにも限界がある」

 …庇ってたのかコイツ。知らなかった。「もうしねぇ。と思う」自信はない。が関わると俺の視野は狭くなって思考も単純になる。アイツのことしか考えられなくなる。今後もこういう問題を起こす、気はする。これまでより気をつけてみるけど、絶対にもうしない、とは言えない。
 罰として『毎日ツイッターを更新する(最低三回)』『一週間に一度の生放送でスパチャ〇〇〇万円の記録を出す(ヒーロー事務所として初の数字を叩き出したいらしい)』を言い渡され、解放された。
 めんどくせぇ。めんどくせぇけど自業自得の結果ともいえる。
 仕方なくアプリを起動し、一昨日ツイートしたまま止まっている自分のツイッターを眺める。
 事務所の連中も見てるし、あの分だと親父もチェックしてるんだろ。それらしいことを書いておくか。

『自分の勝手で多くの人を困らせた。反省してる。罰のツイッター更新と生放送は頑張る』

 とん、とツイートした瞬間いいねとリプがずらずら並んでいくのが鬱陶しい。
 スマホをポケットに押し込んで気合いと根性でマンションの部屋まで帰り、ガチャン、と扉を閉めて腰が砕けた。「…っ」普通に歩いてるように見せてたがその分だけあちこちズキズキと痛んでくる。
 ぱたぱたスリッパの音がして「焦凍」と呼ぶ声に視線を上げると、白い髪をうなじの辺りでひっつめて結んでいるが申し訳ないって顔をしていた。「その顔、やめろ」不審者の個性にアてられて俺とヤってからずっとそんなじゃねぇか。確かに体も腰も尻もいてぇけど、ああいうセックスが嫌だったわけじゃない。し。
 思い出すと痛みとは別に体が疼く気がして、差し出された手を掴んでなんとか立ち上がる。「とーさん、なんだって」「怒られた」「まぁそうか。ご」「ごめんはいらねぇ」苦笑いした兄に「蕎麦が食いたい」とぼやくと「へーい」とキッチンに入っていく細い背中を眺めてから視線を外す。
 なんとなく。写真を撮っておこうと、キッチンに立った後ろ姿をパシャっと撮ると、が困惑顔でこっちを振り返った。「今撮った…?」「ん」「なんで」「ツイッター上げていいか」「オレを上げてどうすんの。お前にしなよ、お前のアカウントだろ」そうか。ダメか。写真もあるといいって言われたんだけどな。
 妥協案として今日の昼飯、蕎麦を撮ってアップすると、またいいねとリプがずらずらと並ぶ。
 通知は切ってるがそれでもものすごい更新がかかる俺のツイートに向かいで蕎麦をすすっている兄がふっと笑った。…今の顔撮りたかった……。

「人気だなぁ」
「別に嬉しくない」
「そ。じゃーお前は何なら嬉しいわけ」
「…………」

 ぢゅるん、とすすった蕎麦を噛みながら考えてみる。エッチなことはなしで。「…ツイッター」「ん?」「がフォローしてくれたら、もっと頑張ってツイート。する」「んん? それは嬉しいこと?」頷く俺に兄は深く息を吐いて蕎麦汁の入った椀を置いた。「お前さぁ、ほんと…」今は別にやらしいことはしてないし考えてないぞ。おかしなことは言ってない。
 もう一度吐息した兄がスマホをぺぺっと操作。『兄だよ』というものすごく適当な感じの名前のアカウントを作成し、俺をフォローした。「フォロー返すなよ」「う」固まった俺にはいつもの顔で椀を持ち直している。今フォローボタン押そうと思ったのに。「お前誰もフォローしてないんだから。オレをフォローしたらすぐバレる。最悪身バレもする」「………」そうか。フォローされたからフォローを返したいと思ったけど、ダメか。そうか…。
 なら知り合いのヒーロー公式アカウントとかを片っ端からフォローして、フォロー数増やしてからならどうだ。それなら大丈夫じゃないか。なんて思いながら緑谷や飯田、かつてのクラスメイトがやっている公式アカウントをフォローしていく。
 それでも期待しているほど数はいかない。
 仕方ないから親父とかもフォローしてやったけど、難しいな。事務所もフォローしたけどやっぱ数が。ヒーロー関係の公式アカウント、一通りフォローしてみるか…。
 蕎麦を食い終わり、ソファに転がってスマホを弄り続けていると、細い指に腰を撫でられた。

「湿布、変えよう」
「ん」

 服をめくる手をなるべく気にしないようにしながらスマホの画面を凝視する。緑谷からリプがきてる。『ショート、ツイッター真面目にやることにしたんだね! こっちでもヨロシク!』…真面目に、は余計だろ。確かに今まで適当だったけど。とは返さず『おう。ヨロシク』と無難な返事をしておく。
 その後もフォローした奴から無難そうなよろしくリプがついたんで、スルーはよくないと教わった俺は仕方なくぼちぼちと返事を重ねていった。
 そんなことを続けていると、ピリリリと響いた義務的な音。俺の携帯じゃない。
 視線をずらすと、ラグの上で胡坐をかいて俺が表紙の雑誌をめくっていた兄が電話に出ていた。「店長」海の近くにある氷のテーマパークとやらに暑い間だけ勤めているは電話の相手に首を捻っている。「わざわざすいません。えーっと」それでチラッとこっちを見てくる。ぱち、と目が合うと黒い瞳はさっと逃げた。…なんだよ。

「体は大丈夫です。ただ、念のため、明日から出勤って申し出ただけで…。はい。ハイ」
「……………」
「明日から戻るんで。ハイ。わざわざありがとうございました」

 通話は終わったらしく、スマホをしまった兄が微妙な顔で俺の雑誌を広げ直した。「…なぁ」「ん」「本人、いるんだけど」ソファからずり落ちて細い背中にのしかかり、これでいいか確認してくれ、と渡された今週末発売の雑誌を取り上げる。とくに鍛えてもいない兄は俺の全力ののしかかりに耐えかねたらしく「だー重いっ」と声を上げてラグに転がった。
 一見すると俺がを押し倒したみたいに見える構図になったが、そういえばいつもだいたいそうか。俺の方がタッパがあって重いし。
 じっと見下ろしているとたじろいだように黒い瞳が泳ぐ。「なに」「昨日」「悪かったよ」「まだ何も言ってねぇ」耳を塞ごうとする手を掴む。俺より細い手首は力を入れたら折れてしまう気がして緩くしか握れない。「昨日、」あんまり時間がたつと言えなくなる。言えなくなるから、ちゃんと言わないと。

「最後の方、よく憶えてない」

 個性にアてられてセックスしたとはいえ、の方には記憶があるらしく、視線どころか顔ごとそっぽを向いて逃げるからその分俺が寄せていく。「なんかトんでた。なんでだ」「…そりゃあ。お前。ヨかったからだろ」良かった? セックスはいつも気持ちいいだろう。久しぶりに腹の奥を突かれたってんなら飛ぶのもわかるけど昨日はそうじゃなかったはず。なんで意識をトばしたのかよくわからない。

「ドライオーガズム」
「どら…?」
「知らないか。まぁ知らないよな。メスイキとか、トコロテンとか、色々言うんだけど。昨日のお前、最後の方は名前呼んだだけでもイってたよ」

 白い髪に隠れたの表情が若干赤い気がして、問い詰めようとして自分からこの体勢を取ったのにものすごく逃げたくなってきた。
 どら。なんだっけ。いや名称なんてどうでもいい。名前呼ばれただけでイってた? なんだそれ。
 ぎこちなく起き上がってソファに戻った俺に、同じくぎこちない動きで寝転がった兄がまた雑誌を見始めた。
 微妙な空気感に耐えかねて適当にテレビをつけると親父が出ていて、ついさっき説教されたこともあり、落ち着きなかった気持ちがスッと冷えていく。しかもまさかの子供向け番組…。
 有給で休みにした今日やるべきこと。
 ツイッターは頑張ったし、あとは生放送だ。これを今日やれば次の休みはしなくていい。
 生放送どうやるんだっけ、と部屋で事務所にもらった生放送の手順が書かれた紙片を斜め読みし、肝心なことに気付く。喋る内容がない。
 家の紹介は前にもうやった。他に紹介できるもんなんて俺は知らない…。
 ああでもないこうでもないと考え続けて三十分、ギブアップした。ネタがない。話のネタがなきゃ生放送したって意味がない。
 俺よりはの方がネタを持ってそうだ。ヒントをもらいにいこう。
 布団その他、兄の部屋の寝具は昨日ベタベタにしたわけだが、ノックしてから入ったら軽く模様替えしたみたいな様相になっていた。全体的にエンデヴァー色…赤と紺……。
 思ったことが顔に出ていたらしく、パソコンを弄っていたがぶっと噴き出した。笑った顔。また写真撮れなかった。「なんだよこの部屋」「仕方ないだろ。カバーとかこれしかなかったんだよ」エンデヴァーっぽい色味のクッションカバーを叩く兄に眉根が寄る。今度俺のグッズを押し付けよう。そうしよう。
 部屋を訪れた理由である相談事『事務所から週1で生放送をするよう言われたんだがネタがない』というのを話すと、兄は真顔で腕組みして考えた挙句、パソコンでゲームを立ち上げた。俺の話聞いてるのか。「ゲームしながらやれば」「しながら…?」初耳すぎる提案に首を捻ると、ユーチューブの適当なチャンネルの適当な動画を流し始めた兄がその動画を指す。海外のだが、画面の四分の三くらいがゲーム画面、四分の一くらいに配信者と思われる男が映っている。

「理想はこういう形だけど、機材ないだろうから、今日はお前は映さないで、何かのゲームしてるところを流したら。不評だったらこれきりにすればいいし」
「ゲーム……やったことねぇ」
「だからいいんじゃん。ショートがゲームに初挑戦! 視聴者増える」

 指を振って力説する兄にそういうもんだろうかと眉根を寄せて、ツイッターでアンケートを取ってみる。時間は十分。『今日の生放送、ゲームしたことないからやってみようと思うんだけど、見たいか?』二択の見たい、見たくない、でアンケート形式で投稿すると、すぐに票が伸びていく。
 が言ってた通り、見たいって意見が九割越えだ。
 じゃあ今日の生放送はそれでいいか。物は試し、やってみよう。
 俺はパソコンはよくわからねぇから、マイクがどうとかゲームがどうとか設定がどうのこうのはに丸投げした。
 締め切られたアンケートにリプする形で『じゃあちょっとやってみる。準備する』とツイートを付け足す。「こんでいいかな〜…」ガチャガチャコード繋いだり機械を用意していた兄が難しい顔でテストを始めるのをベッドで胡坐をかいて眺める。

(配信って、簡単に言うけど、準備とか結構面倒だし。もうを俺の秘書とかにしたらいいんじゃないか。そしたら仕事先も同じ、行くのも帰るのも同じ。この間みたいな不審者は俺が制圧して、に危険は及ばない)

 今年の夏は今のバイトを続けるだろうから無理だけど、それが終わったら、どうだろう。兄にとっても悪い話じゃないはずだ。遠くまで通って個性フル活用して危険な目に合ったりするより、俺のそばでスケジュール管理とか生配信の準備とかする方が楽だろうし。我ながら名案じゃないか。
 今の女の秘書、口うるさいしヒステリック気味だし、ハッキリ言って相性はよくない。が小突いてくれた方がよっぽどやる気が出る。

「大丈夫だと思うけど、配信始めたらテストして」
「テスト?」
「ゲーム画面は見えてるか。マイクの音とゲームの音は聞こえてるか、って確認してくれればいい」
「わかった」

 よくわからないけどわかった。聞けばいいんだな。
 に言われるがままヘッドセットをつけて配信を始めると、リアルタイムの視聴者数が増える増える。みんなそんなにゲームしてる俺が見たいんだろうか。「ゲーム画面と、音、あるか?」スマホに向かって話すのはまだしも、PC画面に向かって話すのは初めてだ。変な感じ。
 スマホの方で確認してる自分の配信画面には『大丈夫!』『ショートの声も聞こえてるよ!』よし。クリア。
 PCいっぱいのゲーム画面には聞いたこともないタイトルが表示されているが、ゲームがわかるやつには知ってるもんらしい。わらわらとコメント、スパチャが重なっていく。とてもじゃないが全部追えない。
 とん、と肩を叩く指に視線を上げる。ノートに『コメントビューアはないからゴメン』と書いてあるけど意味がわからない。こめんとびゅーあ。なんだそれ。名前のままならコメントを参照するアプリ的なもの、か?
 よくわからないまま、が握らせてきたゲームのコントローラーってやつを持ってみる。持ち方が違うらしく直された。「あー…」ぼやいてから、俺の口元にあるマイクを示す指に配信してるんだったと思い出す。って呼ぶとこだった。「コントローラーって初めて持つんだ。難しいな」マイクを意識しつつ、形状しがたい妙な形をしてるもんをの真似をしてもつ。こう。か。
 とにかく始めてみなよ、とスタートをさす指にコントローラーのスティックを回し、カーソルをそこに持っていく。「とりあえず、やって、みる」スタート。
 人間っぽいのがどこか海に浮かんでいる場面から始まったそのゲームは、知ってる人は知ってるもんらしい。「人間か…コイツ?」ゲームだからそんなもんかもしれないが、喋りもしないし意思表示もしない。俺が動かした方に泳ぐけどそれだけのハリボテみたいな人型だ。
 海に潜ったり、海上にジャンプで飛び出したり、スピンしたり、移動の基本は……なんてことをの手書きの文とゲーム画面を睨みながらなんとか呑み込み、海のさらに先へと進む。

「ゲームってしたことなかったんだけど。これはキレイだな。汚れてない海」

 魚がいて、サメがいて、でも人間がいないゲームの海を泳ぎ回って出てきた感想をぼやく。「コイツは人間なのかな…」ザバ、と海面に顔を出して俺が向きたい方へ向くハリボテ人間。喋らないし表情らしいものもないから、何考えてるかよくわからねぇ。
 魚に導いてもらったり、プラネタリウムみたいな空間に飛ばされたり、敵? っぽいのと戦ったりして、ゲームオーバーしてやり直しになったり、解けない謎に本気で悩んだり、気付くと配信時間が二時間になっていた。
 クリアまでは程遠いけど、今日はこれくらいでいいだろ。充分だ。慣れないもん握り続けて手もいてぇし。
 スマホの画面を睨んでスパチャの合計金額を出して、驚愕した。「お…」思わずぼやいてから『お』『お』『お?』俺の声を拾うコメントに緩く頭を振る。

「今日は、こんくらいにしとく。明日も仕事だから。気が向いたらまたゲームする…かも」

 ヒーローショートの宣伝とスパチャへのお礼も忘れずしておいて、兄に配信を終えてもらった。ずっとPCを睨んでたせいか目が痛い。
 それまで黙ってたがヘッドセットを外した俺を見て笑っている。「ゲーム初心者って感じで面白かった」「…他人事かよ」「好評だったじゃん。あとは事務所に聞いたら。あんな感じでならできますよって」「………」その笑った顔は俺を馬鹿にしてる顔だろう。このやろ。
 さっきの放送で入ったスパチャの金額を表示させて突きつけると、の目が点になった。「うわぁ……配信者として暮らしていけそうだな、ショートは」それでよりにもよって俺のことをヒーロー名で呼ぶもんだからカチンとくる。
 今ここにいる俺は轟焦凍だ。誰でも助けるヒーローのショートじゃなくて、お前の家族で弟の焦凍なんだ。
 バン、と壁に手をついて、いわゆる壁ドンして顔を寄せる。「ショートじゃない。焦凍」「ハイ、焦凍」……なんでかちょっと顔が赤い。なんでだ。「あー、その」しどろもどろ、って感じで兄は視線をあっちへこっちへ逃がしながら「本当にゲーム配信続けるなら、機材はもっとよくした方がいい。今日のは家にあったヤツを使っただけで、音質も画質も微妙だったと思うし」…俺にはよくわからない話だ。そういうのはお前が俺の秘書になって全部好きなようにしてくれたらいい。

「今の、夏の仕事、終わったら。俺のところに来てくれ」
「ん…?」
「生放送もそうだし、スケジュール管理でもなんでも、お前にやってもらいてぇ」

 驚きで目を丸くしている日焼けした首に顔を寄せて噛んでおく。「いて」お前はもっと強く噛んだろ。おかげで痕は消えないし、暑いのに襟のある服着たんだぞ。
 の首に歯形をつけると胸の内にじんわりとしたなんともいえない満足感が生まれた。壁ドン状態の腕を解いて「考えておいてくれ」と残して部屋を出た自分が上機嫌であることに気付き首を捻る。…歯形をつけたのがそんなに嬉しかったんだろうか。なんか変態みたいだな、俺。