一日め
 親父の言動にイラついたとき、うまくいかない現実に行き詰まったときの発散方法としてセックスを憶えた。
 俺には趣味と言えるほどののめり込めるものはなかったし、読書くらいはするけど、それはイラついてるときにできるものじゃない。
 相手は腐るほどいたし、だいたい二つ返事でOKされた。集中力のいる本の一冊より、頭も使わなくていいセックスが手軽だった。
 ヒーローショートは女癖が悪いという噂(事実だが)には困ったが、世の中は俺の面に甘いらしく、世間的に特別咎められるようなことはなかった。

 最初はそれでよかった。

 だけどある日、ベッドを軋ませててもちっとも心が晴れていないことに気がついたとき、その発散方法ももう駄目なんだと気付いた。
 セックスが嫌いになったとかそういうわけじゃない。ただ、どこの誰とヤろうがこれ以上にヨくなることはないだろうと悟ったのだ。
 場数を踏めば踏むほど、セックスという行為と快感に慣れていく。
 慣れが心に余分な隙間を生み出して、その隙間が思考力となって、頭の中の嫌なことはこびりついた汚れみたいに消えてくれない。
 そんな状態だったから、女とのセックスは早々に見切りをつけた。
 じゃあ次はどうしたのかというと、多少抵抗感はあったが、もっとヨくなれるらしいという話を知って、男に抱かれることにした。
 男を抱くんじゃ女を抱くのとそう変わりないし、自分と同じもんついてる相手に勃つ自信もなかった。だったら足開いてしたいようにさせた方が手軽だった。
 同じヒーロー事務所の人間ならシてぇと思ったときにできるし、事務所が同じってことで、俺とのコト漏らして問題に発展する可能性も低い。
 尻使ってするのは、最初は変な感じだったけど、女とするよりは心に余裕がなくなって、余計なことを考えなくてよくなった。それがよかったから、がっつくように掘られることも、乱暴にされることも、別に、嫌じゃなかった。

「くそ……」

 一つ舌打ちしてヒーロースーツを脱ぎ捨て、キスマークの残る体で手早く着替えをすませる。
 人が溜まってるってときに限って事務所のメンバーの都合がつかない。今日はよりにもよって全滅だ。
 男とするようになってから、一人で抜いてイくなんて虚しい真似もできなくなってる。下半身の苛立ちを治めたいのにその方法がない。
 こんなことならディルドの一つくらい買っておくんだったと唇を噛む。
 大人が情事に使う玩具を扱う店だってあるってのは知識としては知ってるが、行動一つが話題になる俺なんだ。そういう店に出入りするリスクは犯せない。けど通販じゃ今日中には物は届かない。今この瞬間にでも発散したい熱を治める助けにはならない。
 迷った挙句、リスキーだとわかっていながら、男のデリヘルを頼むことにした。
 自宅に呼ぶのはマズいからホテルを指定し、時間になってやって来た相手は、俺の顔を見たとたん、部屋に入らないでまず一回出て行った。ヒーローショートがデリヘル、しかも男を呼ぶなんて何かの間違いだって思ったらしい。「おい。合ってるぞ」ドアの部屋番号を確認している相手に声を投げる。
 改めて部屋に入ってきた相手がやわらかく笑う。「初めまして。です」と、俺が逆立ちしたってできないだろう笑顔を浮かべる。
 性的なことだろうと接客業だ。どんな野郎にだってああいうふうに笑うんだろう。
 もうシャワーも浴びて準備もしてある俺は早々にバスローブを脱ぎ捨てた。「早くシてくれ」「え、」「慣らしも前戯もいらねぇ」ベッドに上がった俺に相手はぽかんとしたあと、なんか知らないが困った顔をする。

「経験済み?」
「そうだよ。だから丁寧にしなくていい。早く」

 疼いて仕方がないケツを自分で広げる。「早く、気持ちよくなりたいんだ」そうして全部忘れたい。今日も母さんとのことで口論になったクソ親父の顔と、悲しそうだった母さんの笑顔を、忘れたい。
 鞄を置いた相手が上着をかけて服を脱ぎ始める、その時間すら惜しい。
 明日がいくら休みだろうと、発散先のない苛立ちを抱えたまま過ごすなんてまっぴらごめんだ。だから早く、あんなことどうだっていいって思える気持ちがいいことをしたい。

「ほかに、ご希望は?」
「ない。気持ちよくなれればそれでいい」
「わかった。前立腺の位置だけ確認させて」

 落ちた声のあとに指が入ってきて、少し詰まった息を吐き出す。
 確認。プロってそういうの確認すんのか。今まで突っ込ませるだけだったし、それで結果的に気持ちよくなってたし、あまり気にしてなかった。「四つん這いは辛くなると思うけど」中をぐにぐにと動く指を感じながら「これがいい」今までそうしてきた。今更、相手の顔見てセックスしたって、何も変わりゃしない。
 トン、と指の腹が軽く中を叩いてきて、腰が揺れた。
 ああ、これだ。この少しビリッてする感じ。
 指で少し叩かれたくらいでこうだ。ここをちんこで突かれたらどれだけの快感が得られるのかって、考えただけで涎が垂れてくる。
 気持ちがいいところをすぐに当てた相手はトントンと中を叩きながら「少し奥めかな」とぼやいて指を抜き、やっとちんこの先を押し当てる。

(そうか。少し奥なのか。だから自分の指じゃ、微妙に届かないのか)

 ぼんやりそんなことを思ったとき、ずぷ、と硬いもんが中に入ってきた。「…ッ」先っぽが入っただけでわかる。デカい。さすがその道で売ってるプロ。たぶん今まで挿れてきたものの中で一番。

「気持ちよくなりたいってことだったし、初めてでもないみたいだから。個性使ってやるね」
「こ、せい?」
「そう。これ」

 目の前に掲げられた手の指は、相手を傷つけまいと手入れされていて、女みたいにきれいな手だった。
 細くて長い指。その指の表面に、きれいとはいえないボコッとしたものが生まれる。「なん、だ、これ」「簡単に言えばイボ的なものだよ。硬化、って言えるほど硬くはできないし、見た目もこんなだけど、セックスで使うにはちょうどいいんだ」そうか。個性もセックス向きなのか。だからアプリでは『テクニック』を売りにして……。
 俺の中がほぐれてるのを確認するようにゆっくり中へ入ってきていた熱が、気持ちのいい場所を擦った。「ふ、」上げそうになった声を呑み込んで唇を噛む。
 硬い。熱い。俺のいいとこを的確に、リズムよく抉ってくる。「ぅ、ぁ」いつも我慢できるのに、今日は我慢ができない。口がうまく閉じられない。ケツ気持ちい。
 いつもなら前弄りながらじゃないとイけないのに、規則的に擦ってくる熱に、腹の奥がきゅうっと熱くなる。
 嘘だろ。まさかもうイくってのか。

「あ、ァ」
「辛そうだから、一回出しとこうか」
「ぃ、ぁ、イく、も、ィぐ…ッ」

 腰を押しつけてぐりぐりと前立腺を押し潰されて、前を弄ることなく呆気なく熱が弾ける。

(なんだこれ。俺が知ってるセックスと違う)

 いつもだったら。事務所の誰かが相手だったら。したいようにさせて、俺もしたいようにして、前弄りながらイく。こんな、挿れて即イったりしない。
 達したせいで震えていた腕から力が抜けた。ベッドに肩を押しつけて、ケツを突き出すような感じになる。
 俺はイったけど、相手はこの道のプロだ。遠慮なく締め付けちまった気がするがイってないらしい。「じゃあ、気持ちよくするね」ずるり、と抜けていく熱に、硬いものに、ぼこぼことした突起物が生まれたのがわかる。さっき見た個性。イボみたいなやつ。あれをちんこに作ったんだろう。
 普通にされるのも気持ちよかったのに、こんなでこぼこしたもんで擦られたら、どうなるんだ。俺、どうなっちまうんだろう。
 快楽への期待で腰が揺れる。「は、」喘ぐように息を吸い込んで「はや、く」いつも、させたいようにして、それに合わせて自分で前弄ってイってたから。それでおしまいだったから。こんなふうに期待してもっとなんて思うのは、初めて。だ。