二日め
 昨日入った現金で適当に日用品を買い出しし、その道の人間として、大人のためのオモチャが並ぶ店もチェック。癖で新商品のゴムを購入して帰宅した。
 新商品となるとつい試したくなって買ってきてしまうから、使用頻度より購入頻度が上回った結果、俺の部屋には溜まっていくばかりのコンドームの箱がズラリと並んでいる。「我ながら買いすぎだな」ぼやきながら新商品のゴムを箱を開けてみる。シンプルなパッケージに温感マークがある。
 こういうの、女の子は好きだし、パッケージのシンプルさは男にもウケそうだ。
 昨日シたばっかで今はそういう気分じゃないし、また気が向いたときに試してみようか。
 スーパーの総菜と弁当を食べながら適当にテレビを見ていると、ベッドに転がしていた携帯が鳴った。事務所からだ。

「はい」
『ヘイ! 昨日ノオ客サンカラリピートゥ!』

 なかなか怪しい日本語を使う事務員さん(日本語が苦手ってだけでれっきとしたウチの事務員さんである)の声にぱちくりと瞬く。
 昨日の。って。ヒーローショートか。『ラインニ送ルネ。ハヨチェック!』「おっけー」言いたいこと言ったらプツッと切れた通話画面からラインを呼び出すと、事務所からいくつかメッセージが届いている。仕事が早い。
 昨日『とにかく気持ちよくなりたい』と言っていた相手は、あらかじめケツの準備をしてきて即挿入OKな状態で俺を待っていた。
 ヒーローショートってのは女癖が悪いって噂は知ってたけど、そういうことにはクールで淡白な印象すらあったから、昨日のショートには興奮したな。口からもちんこからも涎垂らしまくりで、全部忘れたいっていうから、全部忘れられるくらい気持ちよくしてあげたら、ホントにトんでたし。
 そんなショートから今日も仕事の依頼だ。内容は一緒、とにかく気持ちよくなりたいとなってるけど、備考欄がある。「……今日はシてほしいのか。前戯」昨日はいらないって言ってたけど。まぁ、余裕がなかったんだろう。そういう顔はしてたし。
 っていうか、普通は前戯からアレコレ含めてやるもんだから、わざわざ書く必要はないんだけどな。
 昨日俺が置いていったサービスのチケットを使ってくれたらしく、オプションの『設定』欄に『恋人』と書いてあることにちょっと驚く。
 そういう注文はもらうことも多いから慣れてるとはいえ。ショートもそういう設定欲しいって思うんだ。じゃあ、今日は昨日と違って『恋人』の顔して行かないと。

「っていうか時間っ」

 今から一時間後に指定のホテルへってなってることに気付いて慌てて部屋着を脱ぎ散らかしてシャワーを浴び、恋人らしい服装を考えてクローゼットの前で悩みまくって、無難に最近の流行りの格好を選択。急いで部屋を出る。
 ウチの事務所はデリヘル関係にしてはわりとフリーダムっていうか、働きやすい環境だとは思うんだけど。事務員のあの人が日本語達者じゃないってことがあってこういう問題がまぁまぁ発生する。
 ハヨチェックって、時間が差し迫ってるから早く確認しろよって意味かよ。それを先に言ってくれ。
 ヒーローショート、じゃないな。轟焦凍が指定したホテルにタクシーで到着、フロントでもらったカードキーを使って指定された部屋に駆け込んで「ごめん焦凍、五分遅れた…っ」相手の要望通り、恋人らしく名前で呼んで両手を合わせてごめんなさいをすると、シンプルな私服着ててもカッコイイ相手はポテチをつまんだ格好のまま固まっていた。「お、怒ってる…?」「あ。いや。違う」パリ、とポテチをかじった相手がつけっぱなしのテレビに視線を逃がして、なんとも言えない間ができる。
 昨日会ったときは、なんていうか、ガンギマった不機嫌そうな顔をしてたけど。今日はそういう感じじゃないな。昨日気がすむまでシてちょっとは落ち着いたのかも。
 いいホテルのいい部屋だから、ソファも物がいい。そこに腰かけてパリパリとポテチを食べている焦凍の横でボディバックを外す。

「体、痛くない?」
「…別に。大丈夫だ」
「これは個人的な意見だけど、あんまり続けてシない方がいい。孔、ガバガバになって戻るのに時間かかるし、癖になるよ」

 俺がつけたんじゃないキスマークがまだ残っているシャツの襟もとを指でなぞる。
 ちゅ、とキスマークの上に口付けるとビクッと大げさに驚かれて、その手からポテチの袋が落ちた。「…?」女癖が悪いって噂もあって、実際、女どころか野郎とヤることヤってる。そんな焦凍は経験豊富で、相手を甘やかすってことを知ってるはずだ。だから逆にお前に甘えられるような、砂糖吐くくらい甘い恋人を演じようと思ったんだけど、イメージと違った、かな?
 色の違う両目と至近距離で目が合う。
 女癖が悪いって噂で、男ともヤることヤってる。だから経験豊富だろうって、そう思ってたけど、どうやらそれは体の関係だけだったらしい。そうじゃなきゃちょっとキスされただけで顔赤くしてるわけがない。
 手を伸ばして、長くて邪魔じゃないかな、と思う紅白色の髪を指で梳く。前髪、こんなに長いとヒーローしてるときも邪魔そう。

「今日は、こういうコトで、よかった?」

 念のため確認すると、ぎゅっと唇を噛んだ焦凍がこくりと浅く頷いた。
 うん。じゃあ今日はこのスタイルでいくよ。
 落ちたポテチの袋を拾ってテーブルに載せ、長いな、と思う前髪をかき上げて唇を寄せるとまた驚かれた。ざらっとしている肌触りの顔の左側、何かの痕、を舌で舐め上げる。

「嫌なら言って」
「……いや。じゃ。ねぇ」

 ヒーローは大変だな。体にも顔にも傷作って。おかげで俺たちのような庶民はぬくぬく息をできるわけだから、今日は感謝の気持ちを込めて、とびきり甘く抱いてあげよう。
 コンビニに行けば雑誌で見かけるイケメンは、今はどこか赤い顔で視線を明後日の方向に逃がしている。
 まずは、せっかくの高層階で見晴らしのいいお風呂で、焦凍の中を洗浄しつつ、お望みの前戯でとろとろに甘やかす。指で、言葉で、口で、可能な限りの愛撫で思考も体も甘く溶かしていく。

「どこ、触ってんだ」
「乳首」
「ンなとこ感じねぇから、弄るな」
「気持ちよくなれるよ。俺に任せて。ね、キスしよ」
「……ん」

 昨日の今日で、俺たちはもういい大人だ。お盛んだった十代の学生ならまだしも、一日でそこまで溜まるはずがない。
 職業柄そういう訓練をしてる俺は、射精とか勃起の管理とか、ある程度自分で調節できるけど、焦凍は一回出したらもう精液は枯れたみたいだった。昨日さんざん吐き出させたせいだろう。
 だから、これ以上するとどうかな、よくないんじゃないかな。いや、ヨくはなれる。それは保証する。けど空イキとかドライとか、体が憶えてしまったら、焦凍はそのためにまた相手を求めるんじゃないか。人は性なしじゃ生きていけない生き物だけど、それに余計に拍車がかかるんじゃないか。と、頭のどこか冷静な部分が考える。

「あ、あ……ッ!」

 腰を突き出す形で喘いでいる焦凍から掠れた声が漏れて、びくり、と大きく痙攣する。またイッたらしい。もう何も出てないから完全に空イキだ。「ふー」一つ深呼吸して一回自分のを引っこ抜き、発動しっぱなしだった個性を解く。
 ぐてっとベッドに倒れ込んだ焦凍に口移しでスポーツドリンクを飲ませて、ヒクついてる孔からはなるべく視線を外すことを心掛ける。
 職業柄、慣れてる。はずなんだけど。相手なんてより取り見取りいそうなイケメンを抱くってのはそんなにある機会じゃないせいか、自覚してるより興奮してる。のかも。
 これは仕事。これは仕事。
 自分に言い聞かせながら、汗で額にはりついてる紅白の髪を指で払う。
 何か言いたそうで、でも言葉が出てこないのか、唇をもにゃっとさせただけで黙って視線を外した焦凍の唇に唇を寄せてキスをする。
 ぺろ、と舐めれば、しょっぱい汗の味に、さっき食べてたポテチのコンソメ味が混ざる。
 お客さんの中にはキスは駄目だっていう人もいる。その理由は簡単。俺との関係に一線を引くためだ。
 昨日会った時点では、焦凍もそういう部類だった。セックスできて気持ちよくさえなれればいいっていうドライな思考で、こっちも割り切って抱けばいい、楽な相手だった。

「ん、」

 思っているよりやわらかい唇を舌で抉じ開け、待っていたみたいに絡まってきたぬるい温度を味わう。コンソメとスポドリの味。

(これは、仕事)

 今日は『恋人』っていう設定。この時間が終わったら、俺はただのデリヘル。焦凍もヒーローの日常に戻る。
 だからその日、その時間の最後。部屋を出るまでが仕事だと割り切ってる俺は、バスローブを着てベッドに横になったままの相手の紅白髪に口付けて、恋人らしい、おせっかいな言葉を残した。

「もっと自分を大事にするように」
「……?」

 なんのことを言われてるのかわからないとばかりに首を捻ってみせる相手に苦く笑って、頬を撫でて、手を離す。
 きっと、俺が想像しているよりもずっと長く、焦凍はこういうことをしてきたんだろう。だからわからないんだ。自分が何を求めてて、本当はどうしてほしいのか。
 乾いた砂漠に少しの水を与えたくらいじゃ草木は生えない。乾いていると自覚したところで、水がないんじゃ、苦しいだけ。焦凍はそうやって『自分は乾いてない』と思い込むことでここまでやってきた人間なのだ。
 でも、違うよ。お前はとても乾いてる。乾ききってる。
 早く水をもらわないと、雨を降らせないと、乾いた砂地は広がるばっかりだ。
 やがて全部が枯れてしまう前に、本当の恋人を作った方がいい。なんとなくでいいし、とりあえずでいいから、愛してくれる人を見つけた方がいい。心の砂漠に愛って水を与えた方がいい。取り返しがつかなくなる前に。
 ………会って二日の人間にそこまで言われるのは、さすがにお節介がすぎるかな。なんて思いながら部屋を出て、ドアに背中を預けて息を吐き出す。
 さあ、仕事はおしまい。
 今日もお金が入ったし、たまにはデパ地下のいいものでも買って食べようかな。