十五日め
焦凍と関係を持って二週間くらいになるかな、というその日。昼間に仕事が入った。 何度かデートに付き合っている大学生の女の子で、今日もいつもと同じ『恋人』の設定でショッピングと映画に付き合ってほしいらしい。 断る理由もなかったから、アジアンなテイストが好きなその子のための格好をしてモールのいつもの場所で待ち合わせ、いつもと同じように買い物に付き合って、荷物持ちして、いつもと同じように時間を過ごす。 俺にとっては比較的ありふれた日常。 誰かのために自分を切り売りする時間。 ヒーローショートがヴィランの攻撃をまともに喰らって吹き飛んだ、その瞬間をモールに設置されている大型テレビで見るまでは、本当にいつも通りで退屈なくらいの日常だった。 「ショートが…!」 デート相手の女の子が軽い悲鳴を上げる声をどこか遠い意識で聞いて、左腕からぼたぼた血を流している焦凍のことを眺める。 腕。なんとか繋がってるように見えるけど、あれは、駄目だと思う。今すぐ医療系の個性をかけてもらって、元に戻るかどうか。 何やってんだ、とは、思わなかった。 ただ、ちぎれかかった自分の左腕を見て唇を歪めて笑っている姿を見て、もう限界なんだろうな、と思った。 一つ吐息して、気持ちを切り替え、笑顔を浮かべる。「ショートのことも気になるけどさ。映画、時間もうすぐだよ」「あっ、そうだった。急ご!」その子にとってヒーローショートの大怪我はその程度の問題で、俺との話題作りで、一時の感情として納得できるものらしい。 俺はといえば、話題の映画とはいえ見るのはこれで五回目だったし(いろんな子と見てきたから)上映中はずっと焦凍の怪我のことを考えていた。 腕がどうなるかは処置次第だろうけど。ヒーロー活動も、どうするつもりかな、アイツ。 約束の時間まではきっちり彼氏役を演じた俺は、笑顔で女の子と別れ、その足でセントラル病院に向かった。焦凍が運び込まれた病院で、最先端の医療を受けられるっていうお高いところだ。 「あの、轟焦凍さんと面会をしたいんですが」 「申し訳ございません。本人の希望で、誰も入れてほしくないとのことで……家族の方にもご遠慮していただいてる状態でして」 ということは、あれだけの怪我で、もう意識はあるわけだ。さすがヒーロー。痛いのに慣れてる。 申し訳なさそうに微笑む受付の事務員さんに「じゃあ、俺の名前を伝えてもらえますか。といいます」「はぁ。少々お待ちください」名前を伝えたところでなんになるのかって訝しみながらも律義に電話をかけたその人に、病室の焦凍がなんて返したのかは、顔見てれば想像に難くない。「お会いになられるそうです」メディアに病室が割れることを防ぐためだろう、部屋番号のみ書かれた紙片を受け取ってエレベーターに乗り込む。 ……ここまで来ておいてなんだけど。俺はアイツになんて言うつもりなんだろうか。 これは仕事じゃない。金はもらってないし、もらうつもりもない。 (デリヘルやってる奴が『恋』なんて、キレイなこと言う資格はないけど。お前を枯らせたくないと思うこの気持ちが、恋ならいいと、思う) 紙片に書かれた部屋番号の前に立って、ノックするまでもないか、と思って扉を引き開けると、白いベッドに埋もれている焦凍が薄く目を開けた。 これは仕事じゃない。お互いわかってる。 「ヘマ、した」 小さな声で先にこぼしたのは焦凍だった。 焦凍の左腕はギプスやらなんやらでガチガチに固められていたから、焦凍の右側にパイプ椅子を展開して腰掛ける。「テレビで見てた。痛いだろ」「さぁ…。今は、麻酔、きいてっから」「手術は?」「終わってる。なんとか、繋がってるけど。もとのようには動かねぇって」そりゃあそうだ。テレビで見てても筋繊維とか骨とか見えてた。あれで元通りに治りますって言われる方がビビる。 ギプスその他で固められた自分の左腕に視線を落としていた焦凍が、窺うように俺を見上げる。その目がまるで子供みたいだな、と思う。相手の機嫌を窺ってる子供。 「変なこと、言っていいか」 「うん」 腕の怪我が一番大きいけど、他にもあちこち怪我してる。あんまり触らない方がいいんだろうな、と頭ではわかっちゃいながら、軽く包帯の巻かれている紅白の髪を撫でると、焦凍の口元が僅かに綻んだ。満足そうに。 「俺、安心したんだ。こうなって、安心した」 「うん」 「もう、親父の個性、使わなくていいかもって思ったら。すげぇ、安心した」 痛みとは別に涙をこぼした焦凍のことを眺める。 自分の心に嘘を吐き続けて、誤魔化し続けて歩いて来た轟焦凍という人間は、ついに歩くことを諦めた。我慢に我慢を重ねながら歩くことの辛さに立ち止まってしまった。きっかけがこの怪我だったというだけで、本当はいつ立ち止まってもおかしくはない精神状態だったろうと思う。 消毒液のにおいがすごいな、と思いながら、行き詰まって、どうしようもなくなって泣いている焦凍の目元にキスをした。 これは、仕事じゃない。わかってる。 「お前は、すごく優しいんだろうな」 「……?」 「許せないって思ってる相手のこと、許そうって努力して、自分に言い聞かせて、なんとかそうしようって思ってたんだろ。許せないままでもいいのに」 俺は、ヒーローショートのことをそこまで知ってるわけじゃないけど、話の種として、イケメンヒーローの家庭事情くらいは把握してる。親父さんとの長い確執のことも知ってる。 複雑な家族関係の中で『なるべく丸くおさまる』こと目指して、『終わりよければすべてよし』ってなること目指して、父親を許そう、って努力してたんだろうけど。結果的に、それがお前をここまで蝕んで追い詰めた。適当な相手とセックスして自分の心を誤魔化して、誤魔化して、誤魔化し続けて、そうやって生きていくことにも疲れるくらいには。 目の前にある花は枯れかけている。葉はカサついて、花は萎れて俯いて、もう手遅れなんじゃないかってくらい砂の上に倒れかかっている。 もういいんだよ、と言った俺に、焦凍はまた涙をこぼした。「いいのか」「いい。許せなくていい。許せないって思うお前のこと、俺が許してあげる」薬液のにおいがする唇にキスをする。 麻酔でうまく動かないんだろう、ベッドの上を這っている右手に指を絡めて握って、砂漠に咲いてる花に水を与えるために目を閉じる。 十六日め
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