六十七日め
 二週間の入院生活のあと、ちぎれかかった左腕のリハビリを重ねながら、なんとか一ヶ月、ヒーロー活動をしてみた。
 結果はズタボロ。右の氷しか使えなくなった片腕のヒーローショートはもう血統が保証されたサラブレッドではなく、ありふれた氷の個性が使えるだけの人間になり下がった。
 氷と炎、二つの個性を自在に使っていた、そういうヒーローはもういない。
 ここにいるのは少し威力のある氷の個性を使えるだけの、一流からは遠ざかったヒーローだ。
 ここまで二つの個性を使うこと前提でヒーローをしてきて、そのスタイルが染みついてしまっている。今から右の氷だけでヒーローしていく自信はなかった。
 それに、左腕はほぼ動かない。ヒーローでなかったとして、片腕でできることは限られている。俺にはこの道で生きていくことはもう難しい。

「お世話になりました」

 一ヶ月前に辞めるつもりだと話は通してある。
 辞表を提出した俺に、所長は残念そうな顔をしていたが、気持ちの変わらない俺に驚いた様子はなかった。「事務員だけでも、どうかね」と勧めてきたけど丁重に断った。
 左腕は見た目からしても醜くて、握力もほとんどない。事務員だとしても迷惑をかけるし、この先することは、もう決まってる。
 それなりに世話になった事務所の人間と最後に握手を交わし……インスタントなセックスの関係だけだった相手とも、このときはちゃんと握手した。
 後輩との握手を最後にぱっと手を離し、「お元気で」と涙ぐむ相手に「ああ。そっちも」答えて、なんとも言えない間が訪れる。……気まずい。
 そこへ「焦凍」と呼ぶ助けの声が入って踵を返す。
 職業柄か知らないが、は人のことよく見てる。欲しいと思うところに欲しいもんをくれる。一種の才能だな、と思いながら俺の代わりに花束を持ってくれてるのもとへ。
 これで、もう二度とヒーロースーツを着ることはないし、ショートとして立つこともない。
 それは少しだけ残念なことだったが、緑谷とか、みんながいる。俺一人がリタイアしたくらいでヒーローはめげないだろう。

「帰ろうか」
「ん」
「夜はお弁当でいいだろ」

 片手に花束、片手に紙袋を提げてるに浅く頷いて、見送る事務所の人間に最後に頭を下げてタクシーに乗り込んだ。
 俺と住むようになったは、デリヘルをやめた。今は花屋でバイトをしている。
 これまで家のことはに世話になることが多かったけど、今度からは俺がする。
 今日でヒーローは引退したし、時間はできる。ゆっくりやれば物を割ったり落としたりってのも減るはずだし、現代文明を駆使すれば、料理も家事もなんとかなる。ルンバで床を掃除してもらうし、食洗器で洗い物をすませるし、乾燥機能つきの洗濯機を買う。文明の利器って恩恵を最大限活用する。
 信号で停車したタクシーの窓からは、ビルに埋め込まれた大型のスクリーンが見える。ヒーローショートの引退について特集されている。あっちでもこっちでも、俺についてうるさく言ってる。

「みんな勝手言ってるなぁ」
「……言わせておけばいい。そのために一ヶ月、ボロクソでも仕事してきたんだ」

 ヒーローショートはもう役に立たない。お前たちが思うような結果は出せない。
 そのことをヒーロー協会(主にクソ親父)、市民にわかってもらうために、わからせるために、一ヶ月、気は進まなかったが仕事をした。
 そのかいあって復帰後の俺のボロクソぐあいはどこでも話題で、俺の活躍に嫉妬していたんだろう人間からは『アイツ終わったわ』なんて声を聞くことも珍しくない。
 けど、別に、どうだっていい。知らない人間の言葉なんて。
 タクシーだからか、微妙に距離を取っているの肩に頭を預けてすり寄る。「こら」「腕がいてぇ」こう言えばが何も言えなくなるって知ってる。なんだかんだと俺に甘いから。
 本当は鎮痛剤が効いててそこまで痛みがあるわけじゃねぇけど、痛い、という顔をしてみると、は閉口した。ぽん、と頭を軽く撫でられる。…ほら、甘い。
 からは花のいい香りがする。
 花束もそうだし、普段花屋で仕事してるから、いつもいいにおいがする。
 ……そういえば、母さん、花が好きだったな。じゃあ俺も、意外と花が好きなのかな。そんなことを考えながら帰宅して、さっそく花束を解体、包装紙を丁寧に取り除くきれいな手を眺める。

「今日まで、頑張った」
「そうだな。まだ痛いのによく頑張ったと思う」
「……頑張ったんだから、ご褒美、あるだろ?」

 専用のハサミでシャキンと茎を切り落とした相手が少し笑った気がする。
 寝室にも、玄関にも、食卓のテーブルにも。あちこちに花が飾られている部屋は昔の無機質さは欠片もなかった。あっちもこっちも色で溢れている。「元気じゃん」「元ヒーローだからな」「そーだね。何がご所望?」「………」自分の腹を手のひらでさする。このあとやって来る快楽に期待してきゅうきゅうしてる。勃ちそう。「なかに、出してほしい」前々から思ってたことを吐露すると、花瓶に花を活けてた手が止まった。
 俺がヒーローしてる間は、腹壊したり体調崩すから駄目だ、って言われてたこと。
 しか入ってこれない奥の奥で、中に出してほしい。それで腹壊すのも体調崩すのも受け入れる。お前に与えられるものならなんだって嬉しいし、一度でいいから、お前の精液で腹をいっぱいにしてみたい。
 包装紙や切った茎を片付けるの顔はちょっと呆れていた。「言っとくけど、ナマで奥まで挿れるって言うなら準備に時間かかるから、今日は無理。下剤とかいるし」「下剤。…いつものじゃ駄目なのか」「あれはあくまで入り口だけなんだよ。下剤は腹の中を空っぽにするわけ。わかる?」想像してみたが、よくわからなかった。すぐにできるもんじゃねぇらしいってことしかわからない。

「じゃあ、今日は普通でいい。次は中に欲しい」
「……わかったよ。薬は買っておくから、準備しておいで」

 花瓶をどこに飾ろうかと悩んでいる相手を残してトイレにこもり、常備してある浣腸のための薬を手に取る。
 左の個性は腕が死んだと同時にほぼ死んだが、温度を上げるくらいのことはできるから、体温を40度まで上げて薬をあたため、いつものように薬液を注入。腹の中、というか、直腸内をきれいにする。
 何度でもやってきたことなのに、なかなか慣れない。
 いつか慣れる日はくるのかな、と腹をさすりながら寝室に入って、さっきまで花瓶に入ってた花が全部ベッドの上にぶちまけられてるのを見て足が止まった。「……何してんだ」あんなに丁寧に飾ろうとしてたのに。
 ばさ、とシャツを落として脱いだ相手が手を差し出して甘く笑う。その笑顔だけで目の前がくらくらする。

「花に囲まれたお前を抱くのもいいかなって」

 ……なんだそれ。
 俺だって大概だけど、お前だって、人のこと言えないじゃねぇか。もらったばっかりの花なのに、遠慮なく踏みつけてさ。
 ………いい思い出なんてない場所だ。インスタントなセックスと人間関係しかない場所。そこでもらった花束なんて、こんなふうに、感慨なく散らしてしまった方がいいのかもしれない。そう思うことにする。
 デリヘルやめても癖で整えられてるきれいな手を握ってベッドに上がり、花の中に転がると、微かに甘い香りがした。
 俺の中に埋まる指は今日も爪まできれいだ。その指が顔の火傷の痕をなぞる。絶対にきれいじゃない場所を。それなのに「綺麗だよ、焦凍」と囁かれると、左腕も駄目にして醜さを増した自分というのを忘れてしまう。

「花と、どっちが、きれいだ」
「お前」

 首筋に降ってきた唇がそのまま肌を吸い上げる。痕を残す。仕事で俺を抱いてたときは絶対にしなかったことをする。
 きれいな手で。きれいな指で。触れられるだけで、そこから熱が灯って、体が熱くなっていく。
 最初は弄られたって何も感じなかったのに、今は、乳首触られるのも気持ちい。指の腹で押し潰すのと、指先でカリカリされんのと、ぎゅってつままれるのも、全部気持ちい。
 ズボンの上から勃起してるちんこを擦りつけられて、全身が悦んでるみたいに震える。「好きだろ、乳首」ぴん、と指で弾かれて体が跳ねた。「す、きじゃ、ねぇ」「こんなにしてんのに?」自分から見ても、の指にこねくり回されてる乳首は硬く反応してたけど、乳首好きとか、認めるのは、自分が変態みたいでなんか嫌だ。直接より服の上から弄られる方が生地と擦れて気持ちいなんて思ってない。
 いくら言い聞かせたところで、乳首弄られて股間にキてるのは誤魔化せない。
 普通に指で弄られるのだって感じるのに、ぼこぼことした突起を感じる。の個性だ。「ぅ、ふゥ、」でこぼこした指で押し潰されるの気持ちい。ちんこぐりぐり押し付けられてるのも気持ちい。
 最後にぎゅーっと強くつねられて、我慢できずにイッた。乳首じんじんする……。

「えっち」

 下だけ脱がされて、の指がすくい上げた俺の欲が、きれいな指を伝ってぽたりと花の上に落ちる。
 ピンクの薔薇の花弁を伝う白い色から視線をずらす。「お前だって」うまいもんでもねぇのに、俺の精液を舐めてる姿に腹の奥がきゅうってする。今イったところなのにまたムラムラしてきた。

「ご褒美なんだろ。なんでもシてあげる。今日はどうしたい?」
「……じゃあ、」

 いつも俺のこと考えてセーブしてセックスしてるのを知ってる。その余裕を壊したかった。「好きに、抱いてくれ」「…なんだそれ」「めちゃくちゃにしてくれ。そういうが、見てみたい」こう言うと怒られるから言わねぇけど、お前に会う前はそういうセックスばっかりしてた。獣みたいな。だから、お前ともそういうめちゃくちゃなやつをしてみたい。
 は眉根を寄せてたけど、腹から息を吐き出すと黙ってコンドームの箱とローションを掴んだ。温感のちょっとあったかいやつだ。
 あんまり動かない左腕をベッドに投げ出し、右手で防水シーツの上に散らばる花を集める。いいにおい。
 ………インスタントなセックスしてたときは、誰だろうと後ろから突かせてた。顔見てヤるなんて俺が萎えるし、気持ちが良ければそれでよかったから、相手なんて誰だってよかった。
 今は、そうじゃない。
 縋りつきたい相手がいる。触りたいって思う人がいる。その背中に爪を立てて、肌を吸って、俺の痕を残したいって思う人がいる。
 それは、たぶん、幸福なことなのだと思う。