かわいい猫として人にご飯をねだれば、猫の餌をもらえることもあるし、パンをちぎってくれる人もいるし、にぼしをくれる人もいる。
 日本はいい国だな、と思いながら今日も公園で日向ぼっこをして時間を潰す。
 やるべきことはないし、やりたいことも、とくにない。というか、猫の姿じゃちょっとできない。街をうろついたり散歩するくらいは問題ないけど、猫が店に出入りしてたら変だから。
 ただ、自由だ。それだけは実感している。
 その日もそうで、自由だな〜とのんびりしていると、ぬ、と影ができた。片目を開けて見上げれば、知らない男が一人、鼻息を荒くしている。「猫ちゃん」…よっぽど猫が好きなんだろうか。まぁ、どんな相手でも愛想よくしてれば飯とかもらえていい思いができる。そう理解してた俺はその男相手にも逃げる素振りはみせずにいたら、抱き上げられて、されるがままでいると、腕に生成された袋に突っ込まれた。個性か。

(人攫いならぬ猫攫い、ってか)

 日本はいい国、平和だって思ってたけど、そりゃあ、こういう人間の一人や二人、どこにでもいるだろう。
 袋の中で人間に戻るのは賢い方法とはいえないし、猫でないと騒がれることも避けたい。
 機会を窺いながら大人しくしていると、袋の中からケージの中に移された。
 周囲は薄暗く、辺りは猫が入ったケージでいっぱいだ。
 それで、天井のフックに吊るされた魚の日干しみたいな猫の日干しを見て、ここがそういう場所だと知って、個人的に、ぶっ潰すことにした。
 日本じゃこういう歪んだ男のことも生かして更生を促すのかもしれないが、一度歪んだ性癖っていうのはそう簡単に矯正できるものじゃない。
 そういう人間を闇に乗じてこの世界から永遠に葬ることが俺の仕事だった。
 猫の尻尾をスライムのそれにして檻を解錠し、猫の腹をかっさばいている男の後ろに立つ。

「きれいな内臓だねぇ。ちゃんと食べてあげるからねぇ」

 掲げた左腕をナイフにし、男のことを背中側から刺す。命の線を断ち切るように、太い動脈を断つ。
 猫の姿を借りてる手前、この場で怯えている猫に代わり、男のことを処分する。なるべく苦しむやり方で。
 醜い悲鳴を上げる口はスライム化した右手で塞ぎ、ひたすら男のことを刺したり薙いだり削いだりし続け……とっくに死んでいるってことに気付いて手を離す。
 その後、猫が捕まっている檻を開けて逃がして回り、天井からぶら下がっているいくつもの猫の死骸に黙礼してその場を抜け出した。
 ………その殺しは、どちらかといえば、自己満足だった。
 誰かの命令でもなければ仕事でもない。捕まったなら逃げればいいだけ。わかっていながら、波風立たない方法を選ばず男のことを殺した。
 そんな自己満足の殺しから足がつくとは、FBIというのは、異国の地でも侮れないものだ。
 もしくは、少しふやけてる間に俺の腕が落ちたか。
 追い立てられるように倉庫の前に辿り着いたところで足を撃たれた。「っ、」猫の姿で足を引きずりながらなんとか中へ入り込む。
 相手の数は三人だが少数精鋭。
 いつかには俺が倉庫群でヴィランを狩ってたが、今は逆の立場で、俺が狩られる側になっている。

(いてぇ)

 撃ち抜かれた足をスライム状に軟化させて弾を出せ、なかった。撃たれた部位の個性が発動しない。いや、全身、かなりの気合いを入れないと、いつもみたいにキメラ化できない。猫の体が人間のそれに戻りつつある。
 今の、ただの弾丸じゃなかったか。
 俺のことを消すために編成された人員だ。俺の個性には当然対抗策を練ってあるってこと、か。
 喰らっても大してダメージにならないからいいや、なんて、回避と防御を怠ったらこれだ。俺の性分というか性格というか、そういうものも向こうには伝わってるんだろう。
 裸だろうが構いやしないと、人間の姿で、倉庫の奥を目指して足を引きずって歩く。
 壁を破壊でもしなきゃ、奥へ行ったって行き止まり。エンドだ。個性が使えてれば突破できたろうけど、今は壁を破壊するようなものを生成するのは難しい。
 あちらはそれをわかってるから急いで追ってくることはない。死角を潰しながらゆっくり俺を追い詰める手はずだろう。
 ………組織から逃げ出して、もったのは半年だったか。

(短かったけど、自由、まんざらでもなかったよ。先輩)

 先に逝ったキメラ部隊の仲間を思い浮かべながら息を吐いたとき、肩に手を置かれた。「シー」それで聞き覚えのある声がして視線だけ投げると紅白色の頭があって、その特徴を持つ人間をすぐに思い出す。物好きな日本のヒーローだ。テレビでも雑誌でもしょっちゅう見かける。
 そのヒーローにもアメリカから指示が出てるはずだけど、険しい表情でFBIの人間を睨みつけるショートは、俺を引き渡すつもりがないらしい。「なんで、ここ」「銃声がしたから。そんなことはいい。猫になれるか。鳥とかでもいい」「……気合いで。少しなら」「なってくれ。あとは俺に任せろ」どういうつもりか知らないが、このヒーロー、命令に従う気がないらしい。
 本当、どういうつもりなんだ。意味わかんないなぁ。
 鴉に化けた俺にショートは倉庫の壁を氷の個性で破壊した。遠慮はなかった。「行け!」ひょこひょこ跳ねてから翼を広げて暗闇の中に飛び出す。

 その後、あの場所がどうなったのかは知らない。
 一時的に俺の個性を封じる、そういう効果のある弾丸のせいで鴉の姿も長続きせず、気がついたらショートが住んでるマンションのベランダで気絶していた。「……いて」薬の効果が切れたんだろう、スライム化に成功した足から肉の中にめり込んだままだった弾丸を押し出し、人間のに戻す。
 傷はこれで消えて見えるけど、傷ついた組織はまだ再生してないから、痛い。
 スライム化した腕を窓の隙間にスルスルと入り込ませ、かかっている鍵を外して中に入る。
 全身ベタベタして気持ちが悪いから勝手にシャワーと着替えを借り、個性を使って腹が減ったから勝手にカップ麺を食い、体を回復させるためにソファで寝る。
 そんなことを三日ほど繰り返した頃、この部屋の主はようやく帰還した。どこかげっそりした顔だが、俺がいることに驚いた様子はない。

「おかえり」
「ただいま。傷とか、どうだ」
「おかげさまで。お腹空いたから勝手に食べた」

 シンクに積み上がったカップ麺やツナ缶、蕎麦の空の袋なんかを指すと、焦凍が目頭を押さえた。食いすぎだろってか。「俺、回復するのに食べるのと寝るのが一番なんだ。ほら」撃たれた足はもう元通りだし、組織も癒えた。おかげさまで元気だ。
 ショートは部屋に上がると、面倒くさそうに片付けを始めた。
 閉まった扉から、窓から、誰かが押し入って来る、ってわけでもない。
 つまり、こいつ、また俺のこと言わなかったんだ。アメリカに追われているキメラだ、って。というかあの場をどう誤魔化したんだか。
 ソファに寝転がってぼんやり人の背中を見ていると、紅白頭がふいにこっちを振り返った。よく見ると瞳の色も違う。

「俺はキメラなんて呼び名の奴は知らないが、お前の名前は決めた。だ」
「は? 名前……?」
「ないんだろ。やる」

 さらっとそんなことを言われて首を捻る。「俺のこと、猫かなんかだと思ってる?」「人間だろ」ゴミを袋にまとめたショートが冷蔵庫を覗いた。食材らしいものは全部俺の腹に消えてるから、長方形の箱には何も残っていない。その有様を見て息を吐いている。

「だいぶ調べた。お前は悪くないんだから、俺はその線で訴える」

 ……何を言ってるんだこいつは、と思った。
 調べた? 俺のことを? 世界の正義国を気取ってるアメリカ様が事情を伏せて捕まえろって突きつけてきた奴のことを、調べたのか。「馬鹿だな。アメリカを敵に回したいのか」呆れながら寝転がったらソファから落ちた。いて。
 大丈夫か、とこっちを覗き込んできた顔を見上げる。
 俺の手を引っぱって起こす、その顔にアメリカ流の冗談の色は見えない。
 お前は悪くない、って、なんだそれ。そんな言葉生まれて初めて聞いた。

「生物兵器なんだ。野放しにするはずがない。その意思が俺になくたって、危険なものに変わりはないんだから」

 だから、どこかの手に渡る前に、誰かの手に落ちる前に、殺すんだ。壊すんだ。自分たちの非人道的な行いを棚に上げて、他国に盗られるくらいならと手にかけるんだ。
 ヴィラン殺しのキメラ部隊、最後の生き残りを闇に葬って、すべてはなかったことにされる。
 孤児を使った個性因子の操作も。その末に生まれたキメラの子供たちも。体が瓦解、生き物にすらなれなかった肉塊の成れの果ても。闇から生まれたものは、月に照らされる前に、闇に沈んで消えるのだ。
 俺はたまたま、少しの間、月の光の下を歩けただけ。
 首を捻ったショートが取り出したのは、なんか、首輪だ。猫につけるみたいな。「交渉はしてきた」首につけられたチョーカーのようなものを撫でてみる。……本気で猫か何かを飼うつもりみたいになってないか。

「俺のサイドキックとして登録してきたから、外を出歩いても大丈夫だ」
「は?」
「色々難航はしたけどな。今日本のトップヒーローはうちの親父で、俺はその息子だから、使えるコネはみんな使ってやった」

 なんでもないことのように言いながらショートの指が首輪を撫でる。「さすがに制約なしとはいかなかったが、まぁまぁ自由だよ。俺と一緒にいればそれでいい」ピ、という電子音に首を見下ろしてみる。首輪から鳴った気がする。「半日に一度は俺の指紋と体温と声紋がいる」「ないと、どうなるんだ」「致死量の毒が注入される仕組みになってる」「へぇ……」なるほど。それはまぁ、苦しまずにすんでいいかもしれないな。
 ……事態がとんでもない方向に転がっていったことに変わりはないが、この三日かけて俺のことをどうにかしてきた相手を突き放す気にもなれなかった。
 誰かと一緒に暮らすとか、したことがないけど。
 カーペットの上にごろんと転がって「にゃあ」と鳴いてみると、ショートは呆れた顔をした。「随分デカい猫だな」「そーだよ。かわいいは腹が減ったよ」自虐してみたが笑われなかった。「お前が食いつくしたからなんもねぇよ。買いに行くか」完璧にスルーされている。もしくは気付いてない。ショートはあんまり冗談を知らないのかもしれない……。