かなり無理矢理な方法でを俺のサイドキックとして押し通し、三ヶ月がたった。
 その日は平日の真昼間だったが、子供を人質にとったヴィラングループが銀行へ籠城するという事件が発生。近場をパトロールしていた俺と、その他集合したヒーローの面子で顔を突き合わせて情報の確認をする。

「人質の人数は」
「一人、小学一年生の男の子だ。それ以外には銀行の従業員が一名、脅されて金庫を開けたり、金を用意するのを手伝わされてる」
「ヴィランの人数は三人、で間違いないか」
「私の個性の『アイ』で確認したわ。そこは間違いない」

 名前は忘れたが目の個性を持つヒーローの周囲には野球ボールくらいの眼球が浮いていた。子供が見たら泣きそうなくらい瞳をぎょろつかせている。……お化け屋敷にありそうだなこういうの。
 これで中の状況を確認済みだっていうなら、ここまでの情報に間違いはないだろう。
 わかっている限りのヴィランの個性も教えてもらい、ぼけっとした顔で銀行を見上げているを小突く。「おい、やれるか」「ん? あ、俺?」自分をさして首を傾げる姿に浅く頷く。
 別にこき使いたいわけじゃないが、今回は人質がいる。まだ小学一年生の男児だ。これ以上のトラウマを植え付ける前に救出したい。「そしたら、なんかくれる?」「………はぁ」目の前の作戦のことよりその後に意識がいってるらしいに軽く目頭を押さえる。こいつが望むことなんて食以外で聞いたことがない。

「居酒屋、貸切ってやるから。なんでも食べればいい」

 未来ある子供と罪のない人々、ついでに銀行の金を守るためだ。店を数時間貸切る金を出すくらいの価値はある。
 ぱぁっと顔を輝かせたが上機嫌そうに指を振ると、そこからドロリと肉塊に溶けた。
 だいぶ見慣れたが、どんどん溶けて人の形をなくしていくにヒーローもその場にいた警察も度肝を抜かれている。
 こういう個性の奴はたまに見かけるが、ここまでグロテスクな肉の色をしたスライムはそうは見ないからな。気持ちはわかる。
 カシ、と硬いものが引っかかる音に、が消えて行った排水溝にしゃがみ込んで、通り抜けられなかったらしい首輪をつまみ上げる。ピーピーと警告音がしている。「作戦中だから問題ない」の肌に触れていないと勝手に警告音を出すことになっている機械の部分に不機嫌に声を投げかけ指を押しつけて俺の認証を送り返し、首輪をポケットに突っ込む。
 さっきまでが着ていたステルススーツを拾って脇に抱える。
 排水溝から下水道、下水道から銀行内のトイレへ侵入したは的確にやってくれた。
 三分割したスライムの体で犯人を取り押さえ、内側からの施錠を解き、子供と従業員を逃がし、俺たちヒーローがヴィランを捕らえるまでの仕事を楽にしてくれた。

「あれが噂のキメラくん? 使えるのね」

 目の個性を持つヒーローの、その何気ない言い方が耳に引っかかった。
 使える。
 それはキメラ化の個性のことか。それともって人間のことか。
 あいつがどんな扱いを受けてたか。あいつがどんな人生を歩んできたか。何も知らないくせに。
 何となくイラつきながら、ドロドロした肉塊のを顎でしゃくってこっちだと示し、用意してもらったパーテーションで区切られた空間に入る。
 キメラ化の個性の最大の欠点は裸になることだと思う。動物になってもスライムになっても、人間のときに着ていた衣服はそのままになってしまう。
 当然スライムになった今回も裸で、こんなふうに着替える場所を用意する必要がある。そうでもしないと裸でも気にしないが公衆の面前で生着替えを披露するから。
 その着替えの最中のことだった。
 ばちゃ、という何か重たい粘性のものが落ちる音に、今回の仕事についてを電子書類でまとめていたところから視線を投げると、コンクリートの上に肉塊が落ちていた。
 の視線の先にあるのは自分の腕だ。正しくは腕、であるはずの部位。そこに腕としてあるはずの肉が落ちて、ぶよっとしたモノが地面で蠢ている。
 その色に触れるのは躊躇ったが、肉を持ち上げて腕の位置に戻してやる。いつもならすぐくっつくのに治らない。「ちょっと時間がかかる、かな」俺の手から肉を受け取ったが微妙に眉根を寄せている。
 戻らない右腕、戻っている左腕、交互に視線をやっているの肉は徐々に人のそれに近づいているが、いつもより、戻るのが遅い……。
 時間がかかるならとりあえず隠せと下だけでも穿かせ、日本人と違って引き締まってる体から視線を引き剥がし、電子書類に意識を戻す。
 ……人の温度のあるぶよぶよとしたモノの感触が手に残っている。
 この手はペンを握っているのに、まだ肉を握っているような気がしている。離れない。

「ショートはさ」
「ん」
「俺のこと、ただ『処分される』って道から助けてくれたわけだけど。それもあんまり、長くは続かないと思う」
「……どういう意味だ」

 肩越しに視線を投げると、右腕がようやく人の形になったところだった。
 だけどどこか、不自然に震えていて、指先の爪が伸びたり縮んだりしている。「不安定なんだよ。『キメラ』だから。いつも綱渡りしてるみたいな状態の細胞なんだ。どこかで一歩足を踏み外せば、そこから全部、台無しになる」今のところは大丈夫だけどね、と笑う顔に眉根を寄せて、もう震えていない手を睨みつける。
 その日の夜、貸切った居酒屋で、はこれでもかってくらいに食った。
 曰く、キメラ化した細胞の維持には相当なエネルギーが必要らしい。
 そのせいでうちの冷蔵庫は二回りも大きいものに買い替えたし、調理器具は余分に買いまくって、いつも腹が減った腹が減ったってうるさいから、その度に外食に行くのも面倒だと、必然的に調理ってのを憶えた。
 いつまでもソファで眠るんじゃ辛いだろうと余っている部屋をの部屋にして、寝床にすればいいとベッドを買ってやった。
 映画館で映画を観てみたいというから付き合って行ったし、遊園地も水族館もテーマパークも、どこにも行ったことがないというから、日程が許す限り付き合った。
 そういう日々に笑うはどこにでもいる人間に見えたし、実際、どこにでもいる人間だったと思う。
 人を殺すことに躊躇いがなく、スライム化した体の戻りが徐々に遅くなっていることを除けば、どこにでもいる人間、だったと思う。
 ある日、シャワーをすませてきたと思ったら下半身が溶け崩れたまま元に戻らないと言うを抱え、とりあえずソファに移動させた。ズルリズルリと肉を引きずる感触はなんとも言えない気持ち悪さがある。

「原因は」

 途中でちぎれたままフローリングの床で蠢いている肉塊を拾って本体に押し込む。「さぁ」上半身は普通なは困った顔で自分の腹から下、蠢く肉を揉んでいるが、元に戻る気配はない。
 BGM代わりにつけているテレビから漏れてくる誰かの笑った声が、今はただうすら寒くて、電源を落とす。
 そうすると途端にシンとする部屋があって、はなんだか苦い顔で笑っている。笑って、自分の肉塊を見ている。

「部隊にいた頃にさ。先輩に言われたんだ。『自由に』って。遺言だった」

 なんでもないことのようにそうぼやいて自分の肉を揉み解すの顔の半分が溶け崩れた。「自由に、色々、やってきた。世界ってのは案外面白かった。そう実感して、満足したから……もういいのかも」ばちゃ、と音を立てて顔の溶けた肉が下半身の肉と融合した。放っておけばそのまま、の全部が溶けてスライムになりそうな勢いだった。
 ………こうなることは、セントラル病院でも言われていた。
 キメラ化を治療するためにを検体にするって道もあったが、それは、実験のためのモルモットの日々に戻ることを示してるし、何より、アメリカはそれを絶対に許さないだろう。
 直接手を下さずとも、いずれキメラは消える。そうわかっているからこちらの交渉に応じたのだ。そうでなきゃこっちが拍子抜けするくらいあっさり手を引いた説明がつかない。
 自由に。
 よくそう口にするを治すため、秘密裏に病院に繋ぎ止めるのは、躊躇われた。たとえばそれでいくらかこいつが長生きするのだとしても。

「……もう、ないのか。してみたいこと」

 ばちゃん、と音を立てての右腕が落ちた。「してみたいこと? うーん」あくまで軽い口調で考える素振りを見せた相手が、片方しかなくなった顔で俺を見上げる。それでなんでか笑う。困ったように。「そんな顔するなよ」……わからねぇよ。今自分がどんな顔してるかなんて。
 体と顔の半分以上が肉塊になった相手がそれでも笑う。それはまるで、悪夢のような光景だった。

(お前は何も悪くないのに)

 親を失って、保護された先の施設で勝手に実験体にされて、勝手にキメラにされて、仕方がないから従って、誰だってそうするように、生まれたから、生きてきた。ただそれだけじゃないか。
 お前が生きてることは罪じゃない。
 お前の生き方だって、罰じゃない。
 俺が何度そう言ったところで、言い聞かせたところで、これが結果じゃあ、説得力ないな。
 俺に何ができるだろう。近く、人の姿を、思考すらなくすかもしれない相手に、何を、言えるだろう。

「あ、一個ある。してみたいこと」
「なんだ」

 食いついた俺を碧眼の片目がじっと見上げてくる。
 したいこと、つまり、肉体の維持。その必要性を感じるモノならなんでもいい。もう溶けて消えてもいいって気持ちが誤魔化せるモノがいる。俺がさせるんじゃなく、がしたいって思うコトがいる。
 そう知ってか知らずか、相手はこう言った。「セックスしてみたい」と。「……は?」それは。確かに。肉体がないとできないことだけど。
 じっとこっちを見ているの碧眼に視線が惑う。「まて。まてよ。それ、俺と、か?」「うん」セックスには肉体がいる。なきゃできない。セックスしたいならちゃんと人間の体に戻れって言える。だけどなんで俺……。

「俺が、人間に戻ったら、シてくれる?」

 大半がスライムになってる体で器用に小首を傾げる相手をちゃんと見れない。
 ………人の姿のに不快感を感じたことはあまりない。食いすぎだろとは思うし、よく笑うなとも思うし、呆れと感心が半々みたいな。いつもそういう気持ちで見てた。
 外人だからってせいか、キメラだからってせいかは知らないが。いい体してるよなとは、キメラ化のたびに晒される裸体を見て思ってはいたけど。

(別に、嫌では。ない。から。興味がないわけでも、ないから)

 セックスだろうが、目標に掲げたら、人を維持できるって、そう言うのなら。
 そっぽを向いて浅く頷く。「ほんと?」「ん」「ほんとーに? いいの? ショート俺に抱かれていいの?」「しつこい」ポケットの携帯を取り出して『男同士』『セックス』で調べれば、検索結果には俺の知らない世界がこれでもかとばかりに表示されていく。
 その画面を突きつけて「調べて、準備とか、するから。その間に戻れ」大半がスライム化している体を指さすと、なんでか知らないが笑われた。なんでだ。
 もう夜もいい時間だったが、なんとなく熱いと感じる体で上着を羽織って財布を掴み、逃げるように玄関へ。

「薬局行っているもの買ってくる」

 これで戻ってきて全身スライムだったら承知しねぇ。殴ってやる。スライムみたいなぶよぶよしたもの殴っても意味ないだろうけど。