人の世は日が暮れる。
 自然がもたらす光が地平の向こうに沈み、暗闇が這い寄り、生命の営みがひっそりと静かになる宵が訪れる。
 私たちは夜目が利くが、夜に出歩くのは人の世では不自然なため、休むと決めている。
 昼間は行動し、夜は休み、早朝、日の出とともに動き出す。この生活にも慣れた。
 とある橋の下、川のそば。少し増水しているが雨の心配がない場所でござを敷いた焦凍の手をするりと撫でる。

「お腹が空いたんだ」

 気持ちがいいことをしよう。
 私がそう言ってしなだれがかると、焦凍は朱色がさした顔で惑ったように視線をあちこちに向けて、誰の目もないことを確かめた。それから、修行僧の袈裟を脱ぎ、動きやすさを重視している着物の結び目を解く。
 今の私の体は幼く、まだ十にも満たない子供の容姿だったが、指を数本大人のそれにすることはできた。
 焦凍は陰陽道としての道を極めた。そんなお前を食べることは、私のためになる。

「今はまだ指でしか無理だけれど。いつかきっと、あの頃のように抱いてあげられる」

 三本だけ大人の指の長さにし、焦凍の気持ちがいいところを擦りながら呟くと、口を手で塞いで声を抑えている焦凍が何度も頷く。気持ちがいいのだろう。
 幼子は口が小さいから、焦凍の陰茎にしゃぶりつくのも精一杯だ。
 口がいっぱいだな、濃い味だな、と思いながら焦凍を追い詰めていく。
 普段は血と唾液で我慢しているから、この味は三日ぶりだ。
 焦凍が感じる部分を指で押し潰し、すり潰し、擦り上げて、あの頃の面影がある蕩けた顔に目を細める。
 指と口で焦凍を追い詰め絶頂させて、一度吐き出したくらいじゃまだまだ元気な陰茎を長くした舌で舐め上げる。

「おいしいね。お前は」

 前もおいしかったけれど、今もなんだか、甘くておいしいよ。たとえるなら、そうだな。蓮華のような蜜の味。
 私にとっては甘い飴のようなものを飲み下すこと三回。
 熱が落ち着いたらしい焦凍から指を抜いて、汲んできた川の水で汗を舐め取った体をきれいにしていると、「自分でやれる」と手拭いを攫われてしまった。まだ顔が赤い。「私がやるのに」「いい」どうやら照れているらしい。
 そうすると手持ち無沙汰になるので、どうしようか、と考えて、火を起こすことにした。私は必要ないが、焦凍のご飯がまだだ。
 適当な枝を集め、ふぅ、と息を吹きかけて炎を作り、川に入ってパチンと指を鳴らして魚を数匹気絶させたのを拾い上げる。二匹あればいいだろうか。
 魚の頭を石で潰し、領域から鉄の串を取り出して刺して、火にかざす。
 ついでにお茶くらいは淹れようかと、領域から引っぱり出した鍋で川の水を沸かし、茶葉を入れた急須と湯飲みを二つ用意する。
 湯が沸けるまでの間、ござに座り込み、パチパチと音がする炎をぼんやりと眺める。
 ……私がある程度力を取り戻せば、根無し草のようなこの生活も終わる。
 以前のように、二人で領域に建てた屋敷に住まって、他の何も気にせずに暮らせる。
 いつか、鬼の都のように賑やかな場所に連れて行ってやれたらと思うが。そこで暮らせたら焦凍も退屈しないだろうとは思うが。そんな場所がまだ残っているのかはわからない。
 考え事をしていると、体をきれいにして着物を着直した焦凍に緩く抱き寄せられた。


「なんだい」
「好きだ」

 ……焦凍は、私が戻ってから、その言葉をしきりに私に伝える。『好き』という好意を、『愛している』という想いを、私に返してもらえずとも、何度だって伝えてくる。
 私は人間じゃあない。完成された鬼という生物だ。
 鬼はその必要がないから子孫を残さない。食事のため以外で性交もしない。
 つまるところ、誰かを愛する必要がないから、愛というものがわからない。
 それでも私はなるべく優しく笑って「私もだよ」と焦凍の望む言葉を口にし、優しく口付ける。
 誰かとともに生きるならお前がいいと思った心。
 長く続けばいいと願った密やかな日々。
 それを取り戻したいと思うこの気持ちが、好きで、愛ならいいと、そう思う。
 十日ぶりくらいに立ち寄った人里の端っこで、ござを敷き、を座らせて荷物を置き、ぱらぱらと集まってきた人たちに簡単な説法をする。
 修行僧という立場を利用する手前、これくらいは憶えろと勝己に言われて仕方なく暗記したもんだが、お坊様のありがたいお話ってのはどこの人里でも好評だ。俺の話が終わる頃には『修行僧の格好をした人』から『こんな辺鄙な村にも来てくれたありがたいお坊様』に評価が変化しているんだから、こっちも楽でいい。
 俺の話が終わったら『お坊様に聞いて欲しい話』ってのを民衆から流し聞く。
 なんでもない愚痴から噂話、最近の出来事、一つ隣の村の話。
 たいていはどうでもいい話だが、中には次の標的の参考となる『奇妙な話』が混じっていることもある。
 その日もそうで、中年の女から説法のお礼にと飯を勧められた。
 ありがたく馳走になりながら(角と髪と顔の火傷痕はが鬼の術で誤魔化してくれた)ちらりと隣を窺う。普段は人の飯は食わないが、今は空気を読んで黙々と食べてくれている。……無理してないといいが。

「肌が焼けた人間。ですか」
「そう! そうなんです。もう気味が悪くって」

 笠を取った俺の顔が気に入ったのか、パサついちゃいるが充分食える飯のおかわりを気前よくよそいながら、女は饒舌に喋り続けている。「お隣さんの旦那がね、森で見たそうなんですよ。青い火の玉! それを操るかのような焼けた肌の人を! 恐ろしい話ですわ。他にも数人、見た者がおりますの」大げさに身震いしてみせる女に柔和な笑みで応えつつ、考える。肌が焼けた人間。青い炎。……鬼。か?
 仮にそうだとすれば、大きく進路を変更して避けて通らなくては。
 考えながら味噌汁をすすり、たくあんを食べ、茶ももらい、昼飯に礼を言ってからの背を押して村を離れた。
 途端、腹を押さえた子供の顔色が悪くなる。普段から白いのに、今は青いとすらいえる。「食べ過ぎた…」「悪い。俺がもっと早く切り上げればよかった」歩くのも辛そうなを抱き上げて、まだ昼間、青い炎など見えるはずもない森を前に足を止める。

「どう思う」
「誘っている」

 断言したが俺の肩に顎を乗せた。黒い髪が首をくすぐるのがこそばゆい。

「仮に鬼だとして、人に簡単に目撃されること自体がおかしい」
「そうだな」

 目下、陰陽道を代表とした人間による『鬼狩り』は続いている。
 そんな中で妖だ物の怪だと噂されるような目撃をされて放置しておくのは異様だ。
 仮にヘマをしたんだとして、俺なら目撃者の口封じをする。それはそれで『森に行ったっきり戻ってこない奴がいる』という事実ができてしまうが、まだ獣のせいだとか言い訳ができる。
 相手を消す暇がなかったというのなら、普通に考えれば活動場所を移すだろう。
 今俺が村で聞きえたような情報を耳にすれば、陰陽師や本物の僧侶がやってくる。
 よほどの自信家か、何かを企んでいるのでもない限り、自分が狩られる可能性を考え、目撃者ってのは潰すか、それが難しいなら自分が移動する、事実が薄れて噂になるまで大人しくするのが定石。
 そういう知恵のない獣だったら話はわかるんだが、青い火の玉は何度も見かけられている。それと一緒に目撃されている肌の焼けた人間…。怪しすぎる。「避ける。で、いいな」「うん」耳たぶをかじる幼い声にぐっと唇を噛んでから足早に歩き、青い火の玉と焼けた人が目撃された森を避け、次の人里目指して旅路を急ぐ。
 が鬼として、大人の姿で立てるように。そのために俺たちは旅をしている。
 旅のかいあっては少し成長したが、以前の姿と比べれば全然、だ。
 俺が抱き上げることができるくらいに軽いこの鬼が、早く力を取り戻しますように。願いながら、土の地面を蹴飛ばし、次の村目指して歩いていく。