悪食っつうのは、一般的な鬼の間では『食糧のお稚児を必要じゃないのにとっかえひっかえする手癖の悪い奴』全般のことを指すが、今回俺とに接触してきた悪食ってのは通り名だ。自分のことをわざわざ『悪食』と名乗り、その通り名が指すように多くのお稚児その他を抱えるろくでもない鬼ってのは風の噂で知ってる。 そんな鬼の使いと名乗る奴が俺らに接触してきた。タイミングはほぼ同時。 急に現れた俺には疑問を抱くでもなくついてきた。話の内容はわかりきっていた、ってわけだ。 「ンで、どう思う。『鬼の決起』の話」 「罠だろう」 体はガキみたいに退化したが、思考力は前の野郎と変わらない。小綺麗な子供の顔をした鬼は湯飲みの茶をすすりながら「平和を説く俊典がいなくなったんだ。悪食が真に狙うのは、自分を頂点とした鬼の世の支配、だと思うよ」これも妥当な線の答えにちっと舌打ちして茶をすする。賢く答えやがって、面白くねぇな。 ……俺やコイツは俊典に世話になった口だ。 鬼と人の世の平和。その理想を蹴飛ばしてまで否定するつもりもなかったから、緩くだが、協力もしてきた。 対して、俊典に真っ向から反発する意見を持っていたのが悪食と呼ばれる鬼で、俊典が都を治めるってことになって以降は離反してどこかへ消えていたが。それがこんな形で戻ってくるとはな。 考えられる限り最悪の展開だ。 人間側から仕掛けてきて滅びた鬼の都、犠牲者に怪我人。陰陽師が、人間が憎いと思う鬼の数は現在進行形で増えているはずだ。そこへ『人間どもに復讐しよう』なんて甘言を持ってこられれば、止める者がいない今、鬼はそちらにつく方が多くなる……。 そうなりゃ、待ってるのは地獄絵図。鬼と人間の戦の始まりだ。確実に三年半前より酷い死傷者数になるだろう。ただでさえ数を減らしてるってのに、鬼の絶滅まで待ったなし、だ。 あの日、あくまで鬼は徹底抗戦で抗った。人の姿を捨て、知性を捨てた俊典を讃えてそうした。アイツの顔を立てたからあの場はあれで納まったのだ。次はない。 にあん、と鳴くだみ声に視線を投げると、その俊典がいた。 そうとは知らないがぱちくりと瞬きし、猫、とぼやいて俺を見やる。 「猫。ではないね」 「…俊典だよ」 もう鬼としては力の残滓くらいしか残ってないが、どこか面影のある金茶の毛並みとその体躯の細さに、納得したらしい。「おいで」と伸ばされる手に寄って行った俊典を緩く抱き上げた紅い目は何かを憂いているようにも見える。 もとがどれだけ立派で功績のある鬼だろうが、弱ってりゃ、力の吸収を目当てに喰われる。それを避けるために保護した。 こんなになるまで自分に鞭打って頑張った鬼なんだ。世話になった恩もある。余生くらい保障してやる。そのためにここにいさせている。 ぬるくなった茶を飲み干し、湯飲みを手のひらで転がす。 「俺やテメェみたいな俊典派は後々、自分の支配の時代の邪魔になる。奴もわかってンだろ」 「ああ。だから先日の使いは、いわゆる、脅し。のようなもの。従うのなら良し。そうでないのなら、覚悟せよ、と」 「ケッ」 「鬼を集める手前、陰陽師に決起を、という話は本当だろうが。たとえばそこでたまたま『俊典派が多く死んだ』としても、戦だ。必要な犠牲だったと流せるだろうしね」 面白くねぇ話だ。まったくもって面白くない。 こんなクソ面白くもない話を延々としないとならないのも気が滅入る。 湯飲みを床に転がして寝っ転がった俺に俊典が乗ってくる。「おい」お前に乗っていいって意味で転がったわけじゃねぇんだよこの野郎。 が、平和な顔で丸くなってぷすぷす寝息を立て始めた猫を見ていると、払って退かす気にもなれず、結局そのままにしておく。 ここまではお互いの情報のすり合わせ。 本題はここからだ。 ………この無駄に広い空間いらなかったな。やっぱ切り捨てときゃよかったか、と思いながら無駄に高い木目の天井を眺める。 「ンで、こっからが本題だ」 ぼやいた俺にが湯飲みを置く。「なんだい」「………俺と領域共有する気はあるか」「え?」「だから。俺と。領域を共有する気はあるンかって訊いてる」ぷすぷすと胸の上で平和な寝息を立てている俊典を起こさないように小さめに怒鳴った俺にがきょとん顔をしている。なんだその顔、何も知らない無垢なガキみたいでムカつくな。 首を傾けたの細い肩から墨色の髪が滑り落ちた。「領域共有」まるで考えてもいなかったって顔だ。 「確認するけど。今の私はこうだ。かつてのような力はない」 「ンなもん見りゃわかるわ」 「領域を共有したとして、私がカバーできる範囲はそうはない」 「それもわかっとる」 「では、なぜ? お前に利がある話とは思えない」 ますます首を捻った鬼は鈍い。それが鬼らしいってモンではあるんだが。 ちっ、と舌打ちして指さした天井にぼやっと今現在のお稚児二人の様子が映し出される。出久の方は泣いてて、それを半分野郎がおどおど慰めてるって図だ。 鬼の都が襲撃された日、多くの鬼の面が割れた。俺もその一人だ。 俊典の意向を組んで多くの陰陽師を生きたまま逃がしたってこともあり、鬼に対しての街での警戒は強まっている。もう以前のようにブラつくような真似はできない。 俺はそれでも構いやしないが、人間ってぇのは面倒だ。 あの日以降、半分野郎って話し相手がいなくなり、顔見知りだった俊典も猫みたいな生物に成り下がって、行く場所もない。そんな出久が精神的に不安定になっているのは知ってる。人間ってのは思ってるよりも脆い。 馬鹿みたいに天井を見上げていたが顔をこっちに戻す。「出久のためならリスクを負う、と」「うるせェな。分かり切ったこと言うんじゃねェ」「…それを素直に伝えてやれば、ああして泣くことはないんじゃないか」ド正論だけにムカつく。それができりゃ苦労はしないんだよ。 痛いところを突いてくる無自覚な鬼に、こっちもやり返してやることにする。 「テメェこそ、半分野郎には与えてやってんだろうな」 「何を」 「……それ本気か?」 ちょっとばかし茶化してやるつもりだったが、相手は首を捻って思案顔だ。「何を?」本気で思い当たる節がないって声だなこれは。 この鬼は基本頭が良いが、抜けてるというか、そういう部分がある。俊典もそういう抜けてるとこが心配だとか言っていた。「ちっ」一つ舌打ちして俊典を退かすとだみ声で抗議された。うるせぇ、お前がうるさく言ってたことを言ってやんだから黙ってろ。 「アイツはもう人間じゃねェんだ。奪うばっかしてたら鬼の力が枯渇するだろうが」 「あ」 「……おい」 「それもそうだ。半分は鬼だった。考えていなかった…」 「マジか。じゃあ何かお前、今まで食うばっかかよ」 「……………」 真剣な思案顔になったがすっくと立ち上がり、黙って出て行く。 (アイツ、実は頭悪いだろ) 半年お稚児としてこれまで通り食い続けてたってのか。半分は鬼になったって相手から、力を奪うだけ奪ってたわけか。死ななくてよかったな半分野郎…。 しかし、自分から言い出しといてなんだが、面倒なことになった。半日はしけこんで出てこないぞアイツ。 まったく。なんで俺が他の鬼と領域共有なんざせにゃならんのか。 たりぃな、と息を吐きながら湯飲み二つを持って台所へ行けば、出久とばったり会った。「かっちゃん」…泣いた跡を隠すかのようににっこりと笑ってみせるのが気に食わねぇ。 「アイツらは」 「なんかさんが来て、焦凍くんと一緒にあっちに行ったよ」 指さされた方角は庭だ。適当にスペース開けてあった場所だが、今は小汚い納屋みたいなのが建っている。それで首を捻った出久が「あれ、あんなのあったっけ?」と言う。 あんな小汚いもんが領域内にあるってだけで視界にウザい。出てきたら手を入れてやる。「ありゃあ」茶を飲んだだけの湯飲みだから汲んだ水ですすいで流して布巾の上に伏せる。「の持ち物だ」「え? でもここは」「この場所を共有することにした」「えっ」目を丸くする出久の頭をぐしゃっと撫でてやる。 俺ぁこういうのは苦手だ。お稚児の飯だっているから食ってるだけで、必要以上に触れ合おうとも思わない。が。 「俺ァこうだ。話し相手には向かねェ。半分野郎ならいいだろ」 「……でも。かっちゃん、そういうの。嫌いだろ」 「領域共有なんてなァ、クソザコが強がるために群れてすることだ。 …そんで済ませられた時代は終わった。なんかあってからじゃ、遅ェだろうが」 半分野郎は腐っても陰陽師としての道を歩き直した。さらに言うなら半分は鬼だ。仮にこの領域に何かあったとして、戦力にはなる。 俺が出てくときはが、が出てくときは俺がいれば、領域を留守にするってこともしなくてよくなる。利点はある。 ポカンとしていた出久の顔がじわじわ赤くなっていく。「え、えっと」それでサッと顔を俯けて「あの、僕、ご飯の準備を」「俺の飯は」「……僕です」「腹ァ減ってんだよ。来い」細っこい腕を掴んで引っぱって歩き、寝所に連れ込んでスパンと障子戸を閉める。 あっちはとっくにおっぱじめてんだろ。んじゃ、こっちも始めようぜ。 |