ときどき、扉や入り口を見かけることがある。
 ウチの家の引き戸や学校の昇降口の扉とは明らかに違うソレは、俺には見えるけど、他の人間には見えていないらしい。
 明らかに不自然な位置に扉だけがあるのに、誰もソレに目を向けないし言及しない。
 ソレは、ぽっかりと黒い穴のようなトンネルとして公園の遊具に紛れていることもあれば、廃墟のようになっている商店街の店の一つの扉然として佇んでいることもある。
 だけど、次の日見に行ったら当たり前のようになくなっていたり、場所を移動していたりする。
 ひょっとしたら誰かに個性をかけられているという可能性もなくはなかったが、それにしては無害だし、持続時間が長すぎる。
 それに、クソ親父に普段からボコられている自分がそこまで腑抜けている覚えもない。
 時折見かける扉には触れないように、トンネルには立ち入らないように。でも時々立ち止まってなんとなく眺めてはその存在を確認してみたりする、よくわからないモノとのよくわからない関係は、中学一年の冬になっても続いた。

「君、不思議な扉や入り口を知らないかい?」

 だから、帰り道、そう声をかけられたときには驚いた。俺以外に見えてる奴がいるなんて。
 中学一年の冬。雪がしんしんと静かに積もる駅前が、その男と出会った場所だ。
 ある程度体温調節ができる俺でも寒いと感じる空気の冷たさなのに、男はまるで季節感のない、春先みたいな明るい色のカーディガンを着ていて、首からさげているアンティークもののゴツい鍵が特徴的だった。

「あ、不審者じゃないんだ。ごめんね、急に声をかけて」
「……はぁ」

 この寒いのにその薄手の格好は、ある意味不審者だが。
 俺はじろじろと相手を観察した。これまで俺だけが知っていた秘密の扉や入り口を共有していいものかどうかを迷う。
 相手は人の良さそうな笑みに困った色を混ぜて、黙っている俺のことを見ている。「ええと、知らないかな」「……なんで俺がそんなもの知ってるって思ったんだ」「そうだな。空気、かな」……適当言ってるな? コイツ。
 それに、不思議な扉やら入り口なんてよく見かける。教えて回るなんて面倒だ。俺に利がない。

「扉の秘密、知りたくない?」

 俺がその場を離れようとしたとき、小さく密やかな声が耳を撫でて、足が止まった。
 ………前から不思議だった。なんでこんなところに扉があるんだろう、とか、なんでこんなところにトンネルがあるんだろう、とか。もし扉をくぐったらどうなるのか、トンネルに入ったらどうなるのか。興味はあった。
 じろ、と睨みやる俺に相手は薄っぺらいなと思う笑顔を浮かべる。雪が降る中、春みたいな色のカーディガンを着ただけの薄着で、足元なんかサンダルだ。まるで気温なんて感じていないかのような佇まいが笑顔のうすら寒さを強調している。

「………近くに一つある」

 長い間自分だけの秘密だったものを誰かと共有する。そのなんともいえない苦みと甘みを噛みしめながら、駅から離れ、シャッター街になって久しい商店街の方面へ。
 男はサンダルをペタペタ鳴らしながらついてくる。
 開いてる店は数軒だけの商店街というよりシャッター街、その中ほどまで行き、もう随分そのままなんだろうと思う錆びたシャッターが下りている店の前で足を止める。「これ」シャッターは赤錆が酷くてもう動きそうにないのに、そこに当たり前のようにファンシーなピンクの扉が鎮座している。明らかに変だ。「あー」男は参ったように自分の頬を指で引っかいて、首にさげていたアンティークな鍵を外した。
 不自然にでかい鍵穴に、鍵は吸い込まれるように馴染んで、カチ、と音を立てる。

「教えてくれたお礼。入ってみる?」

 ギギ、と開いた扉の向こうは薄暗くて判然としないし、誘う男も名前だって知らない、ついさっき会っただけの奴だが。長年の疑問と興味が勝ってこくりと頷くと、相手は笑んでから暗闇の中に入っていった。
 その背中に続いてファンシーな扉の向こうに足を踏み込んで、驚いた。
 本来なら錆びてボロボロなシャッターが下りるにふさわしい、古くてボロボロな店があるだけの場所のはずだ。それなのに俺が今立っているのは七色以上の草木が生い茂る不可思議な空間だった。

「これ、個性、か?」
「うーん、半分正解。半分不正解」

 慣れたことのように水色の芝生を踏んでさくさくと歩いていく相手についていく。「半分?」「これはね、俺が失くしたものなんだ。このファンシーさから見て『想像力』とかそういうものかなぁ」「失くした……?」眉根を寄せた俺に、相手は苦く笑う。それ以上言う気はないらしい。
 ピンク色の立派な巨木の前で立ち止まると、その巨木が大事に抱えるようにしている光に手を伸ばす。

「俺の人間らしさ、返してもらうよ」

 ……返事をしたわけじゃないだろうが、巨木の顔のように見える部分が動いて、笑った、気がする。
 男の手に吸い寄せられた光はそのまま消えて、そうして、ファンシーな空間も溶けるように消えて行った。あとには何も残らず、俺たち二人は赤錆色のシャッターの前に立ち尽くしているだけ。
 鍵を首からさげ直した相手が浮かべる笑顔はやっぱり薄っぺらい。「ありがとう。おかげで一つ取り戻せた」「はぁ」「ところでこの辺、まだ扉とかあるよね。知ってる?」「まぁ……」「じゃあ、また案内してほしいな。ジュースくらいなら奢るから」どうかな、と首を傾げてみせる相手に少しだけ考え、「わかった」と頷く。
 こうして、俺と男の『不思議な旅』は静かに始まった。