白くてふわふわしたものが空から舞い降りてくる、季節は冬。
 ラッキーなことに、俺が捜している扉や入り口を視ることができる少年を見つけた。
 俺の捜し物なのに俺自身ではなかなか感知ができないという厄介な扉たちを、轟焦凍、と名乗った少年はいとも簡単に見つけてくれていた。
 彼は目立つ紅白頭をしていて、パッと見ればかなりかっこいい部類の顔つきをしているんだけど、いつも何かを睨みつけているかのように怖い顔をした少年で、今日は頬に湿布を張ってテープで止めていた。「大丈夫…?」「転んだだけだ」いつも油断なさそうに前を睨みつけてるくせに、それはちょっと下手くそな言い分じゃないだろうか。言いたくないならいいんだけどさ。

「昨日新しいの見つけた。こっち」

 黒い学ラン上下とコートに身を包んでいる彼について歩きながら、ふと自分の格好を見下ろす。
 やわらかい春色のカーディガン。足元はサンダルと薄手のスラックス。……道行く人がぎょっとした顔をするのもしょうがない薄着だな。
 でもな。金がないし。しょうがない。
 ペタペタサンダルを鳴らしながら轟についていくと、川を挟む堤防に出た。その川にかかっている小さな橋。その下に黒く蠢く空間があって、轟はそれを指している。なるほど、いかにもだな。
 これまでのは扉の形をしてたからいいけど、今日のはちょっと怪しい。というかアウト。「今日のは待ってた方がいいかも」「なんで」「あー。うーんと」うまく言えないな。
 轟はむっと眉間に皺を寄せて「俺も行く。そういう約束だったろ」「……ハイ」何度かジュースを奢って有り金が尽きてしまった俺は、轟に扉の向こうへ入る権利と引き換えに案内をしてもらってる。
 確かに、約束は約束だ。破るのはよくない。
 首からさげてる鍵を外しながら「轟、戦える?」念のため確認すると訝しげに眉根を寄せられた。「個性って意味か」「そう」「……氷なら」「じゃあ大丈夫かな」武器にも防御にも使えそうだ。
 手にした鍵をぐにぐにと不安定に動いている闇へと差し出すと、手ごと呑み込まれて、カチ、と鍵の開く音がした。
 そのまま闇が大口を開けて俺たち二人を呑み込む。

「なんだこれ」
「だから待ってた方がいいって言ったじゃん」
「はぁ?」

 ちょっとキレてる轟の手を探して掴んで、ほんのりと淡く発光してる鍵を掲げると、少しだけ先が見通せた。
 まだ回収量が全然だからこの程度の光量しかないけど、ないよりマシだ。
 どういうことなんだと俺のことを睨みつけてる轟の手を引っぱって歩きながら、曲がりくねった崖のような道を行く。

「前に、これは個性かって訊かれて、半分正解、半分不正解、って言っただろ」
「ん」
「俺ね、命を懸けて、呪われたんだ」
「…………」
「まぁ、信じられなくてもいいから、話半分で聞いてよ。
 付き合ってた娘の家が、由緒正しい、っていうのかな。そういう歴史のある家で。その娘はとくに、個性として、家の力が濃く受け継がれていたんだって」
「……それで」
「その娘との交際は表向きには内緒にしていたんだけど、普通にうまくいってて。許してもらうのは難しいだろうけど、ご両親に挨拶しなきゃな、って段階だった。
 だけどある日、あの娘はトラックに撥ねられて死んでしまった」
「………アンタのせいじゃないじゃねぇか」
「そうだね」

 がし、と足首を掴まれて視線を落とすと、黒くて長い髪をしたあの娘の白い手が俺を掴んでいた。そして、怨めしそうに崖の下からこちらを見上げている。『い、ショ、に』「…………」この暗闇はあの娘が落ちた暗闇だ。それがあちこちに散らばっている。
 一緒に来いと俺を呪うだけならまだいい。でも、轟のように視える人間がいて、巻き込まれる人間もいる。だからこうして存在してはいけないモノを解放して回ってる。
 轟が右手をかざすと氷が飛び出して彼女の腕を切断した。ぎゃあ、と鈍い悲鳴を上げた彼女が崖から落ちていく。それを凪いだ心で眺める。
 もう生きていたあの頃の面影はなく、今はただ亡者として、俺を引きずり込もうとしている。それだけの存在。

「事故死だった。でも即死じゃあなかった。だからあの娘は、最期に、俺のことを想って、想いすぎて、その個性で呪うことにしたんだ。『一緒に死んで』って」
「……勝手な話すぎる」

 そう言われてしまえばそうだな。
 全身全霊で呪われて、人間としての色々なものを取り上げられ、鍵だけ渡されて、『ねぇ、それでも人として生きたい? また人間になりたい? もう面倒でしょう? だから一緒に死んで?』と青白い顔で笑う彼女を、好きだとは、もう思えなかった。
 だから抵抗してる。少しずつでも自分を取り戻していってる。人として生きられるように。
 ……たとえば、轟とこの旅を終えられたとして。それで人間に戻れたとして。これまでのように生きることはできないだろうっていうのはわかってる。

(きっと、女の子を好きになることは、もうないだろう)

 その後も無数の手が俺の首を掴もうとしたりするのを轟の氷が防いでくれて、正直とても助かった。いつもこの道を落ちないよう、手に抵抗しながら結構必死で進んで行くから。
 暗闇の中からやっとの思いで抜け出ると、橋の下に出て、そこにはもうさっきまでの黒いぐにぐにした闇は消えていた。
 怖い思いをさせたかな、と轟の顔をチラ見すると、眉間に皺を寄せて俺が掴んでる左手を見ていた。「あ」ぱ、と手を離す。落ちたら危ないからって握ってたけど、いつまでも握りっぱなしだった。
 特別怖いとかは思わなかったのか、轟は俺を睨み上げると、首にしていたマフラーを外してぐるぐると俺の首に巻いた。「やる」「え」「この寒いのにそんな薄着なのは変だ」「あー…」指で頬を引っかく。
 金がない、っていうのもそうだけど、温度とかそういうものを感じる感覚がない、ってことも今の話で感づかれてしまったかな。
 少しずつ取り戻していってるとはいえ、俺の体は死体に近い。
 寒さも空腹も痛みも感じない。触覚は生きてるけど、何かに触れているってことがわかるだけ。言葉も取り戻したけど、それにはまだ感情がうまく乗らない。
 そんな曖昧な、人間ではない生き物を前に、轟は自分の左手を睨みつけ続け……顔を上げ「明日、駅で」言い置くと、堤防を上って一人で行ってしまった。
 残された俺は轟が消えていった方向から手元の鍵に視線を落とす。
 この鍵についてる水晶の中身が満ちたら、俺は人間に戻れる。らしい。

(まだ、全然だなぁ)

 そもそも。俺は人間に戻りたいのかな。最愛の恋人を喪って、喪うだけじゃなく呪われて、死体みたいにされて。そんな出発点からまた生きたいって思えるのかな。…思えてるのかな。
 悪足掻きなのかも、と思いながら橋の下で胡坐をかいて座り込むと、冷たいんだろう冬の風が吹き抜けた。
 それでも何も感じない。それが今の俺なのだ。自分の名前すらわからない忘却者。生きるためのほとんどを忘れた、生き人形……。