その日、狐から言伝を預かった。顔見知りの鬼からの『いつもの団子屋に来い』という内容に首を捻り、しばし考え、焦凍たちにか、と合点する。
 その焦凍の姿を探して部屋に行くが空だった。ということは……。
 下駄を引っかけて外に出てみれば、ようやく両手の指の数の歳になった焦凍は、今日も畑をしていた。
 小さな体で懸命に鍬を動かし土を耕し、私が用意した様々な野菜の種を撒き、水をやる。次に、今日の食事分なのだろう、いくつかの野菜を引っこ抜いて土を払っている姿を眺め、カラ、と下駄を鳴らして近づくと気が付いた焦凍が顔を上げた。「」私のことを呼ぶ声の主に手を伸ばし、首筋を伝う汗に顔を寄せて舌で拭い取ると、焦凍がくすぐったそうに腕の中で身をよじった。

「出かけるから、体をきれいにしておいで」
「はい」

 野菜を手に慌てたように屋敷に駆けていく姿を見送り、先ほど焦凍が植えていた野菜の種のある場所に視線を投げる。
 私は食べる必要はないが、焦凍には必要なものだ。
 簡単な術をかけて作物の成長速度を早め、その分必要になる日光と雨のため、パチン、と指を鳴らして畑の上に雨雲を呼び、黄金色の空から降り注ぐ陽射しを強くしておく。
 川の水を汲んで手拭いで体をきれいにした焦凍には臙脂色の着物を着せ、袴を履かせ、下駄では転ぶので足元は草履にさせた。最後に右は白、左は赤の紅白色の髪に櫛を入れ、かんざしをする。
 着飾らせた焦凍の手を引いてピィと口笛を吹いて狐を呼ぶと、『お呼びでしょうか』ぽん、と音を立てて現れた白い狐に「例の場所に行く。開けてくれ」と指示すれば、狐は滞りなく道を繋げた。
 開いたゲートからカラコロと下駄を鳴らしながら歩いていけば、程なくして指定された団子屋が見えてくる。
 攫ってから五年と少しがたった焦凍の背丈は伸び、歩幅も広くなったが、それでも子供の足だ。なるべくゆっくり歩いてやっているが、焦凍は手を引く私に懸命についてきている。

「どこへ、行くんですか」
「団子屋だよ」

 もう何度か行っているが、今回も焦凍は顔を輝かせた。「団子…!」普段菜食と肉か魚で、甘味も何も与えてやっていないから、団子が嬉しいのだろう。「お友達もいる」「え、出久が?」「ああ。私は勝己と話があるから、一緒に遊ぶといい」焦凍の顔がいっそう輝き、頑張って私を追い越すと、早く行こうとばかりに手を引っぱる。
 勝己、というのは私と同じ鬼で、今回呼び出してきた相手だ。
 初めは顔見知り程度の仲だったが、最近は様々な事情が重なり、こうして会うことが増えている。
 出久というのは勝己が連れている人間のことで、私と焦凍のような仲だ、ということは食べられず勝己に保護されている様子を見ていれば感じ取れた。「焦凍くん!」「出久」団子屋の前で再会した二人は手を取り合って、出された団子を喜んで食べ、お茶をすすり、会えていなかった時間分の話をするかのように一生懸命にお互いの話をしている。
 少し離れた席からそれを見ていた私の隣にどかっと無遠慮に腰掛ける存在が一つ。
 視線を投げると虎柄の派手な着物を着た勝己がいた。口をへの字にして、一生懸命身振り手振りを加えて喋っている出久を見ている。
 とくに渇いていないが、出された茶をすすった。味はとくにしないが、団子屋に来た手前、これくらいしないと格好がつかない。勝己も同じことを思ったようで静かに茶をすすっている。

「三ヶ月ぶりか」
「数えてねェよいちいち」

 ち、という舌打ちの音に、相変わらずの極悪な面構えと言葉遣いで、鬼、を体現している相手は苛立たしそうに足元の砂を蹴飛ばした。
 味がしないな、と思う茶をすすり、これも味がしないが、団子を食べにきたのだという形式上口にだけはしておく。
 味のしない何かぐにぐにしたものを食べている不快感。だが、焦凍の目がたまに私を見ているから、食べる真似くらいは、ね。

「数が減ったな。俺らも」

 ポツリとした声に隣に視線を戻す。何を考えているのか、勝己は黄金色の空を見ている。

「もうあまり、鬼は生まれていないと聞いている」
「なんでだろうなァ」
「…さてね」

 森。あるいは大地。そこから生まれる私たちという存在は、自然の産物であり、それ以上ではない。
 加えて、鬼はその力を恐れられる故に人間に討伐される対象だ。陰陽道を代表とした様々な者が我々を刈り取り、鬼の数は減り続けている。
 種の存続を危惧した俊典という鬼が、我々を平和的な道へと導き、なんとか人間と共存しようと頑張っているらしいが、長く続いた鬼と人間の歴史を変えられるほどの情熱にはなりえないだろう。
 近く、我々は滅びる。それが鬼に残された道だ。
 焦凍の父親、炎司。奴は圧倒的な火力を持って鬼をも焼き尽くすと聞いている。私は水が扱えるから奴に対抗できるが、多くの者は、焼かれるしかないのだろう。
 ち、と舌打ちした勝己が私を睨んだ。「オメェも手伝えや。人間狩り」……人間狩りとは、狩った人間を喰らい、その力を得ることだ。人間狩りは陰陽道など我々にとって危険な人間だけに向けられるモノであり、鬼が力をつける道の一つ。
 勝己が言いたいことはわかる。人間との争いを穏便に済ませようと言う俊典に従いながらも、水面下で鬼に害なす人間の数を減らすという汚れ仕事を引き受けよう、というのだ。
 その心意気は素晴らしいと思うが、私は緩く頭を振った。
 焦凍と出会う前。かつての私はそういったことにも手を貸していたが、それはもうしないと決めている。
 いつかに、血を被った私を見て焦凍が怯えていた。もうああいう顔はさせたくない。
 たとえ、それで私の力がいくらか弱まるのだとしても。

「黙って滅ぶってのか」
「……出久は怖がらないか。そういう君は」

 団子のもにゃもにゃした感じを噛み砕きながら訊くと、勝己の顔が引きつった。案の定なのだろう。「うるせェよ。キレイごとですむ時代は終わってンだ。抗わにゃ消されるだけだぞ」もにゃっとした団子を茶で飲み下し、わかっているよ、とぼやく。
 視界の先には焦凍がいて、同じ年頃の人間同士で話をしている。その横顔は私といるときとは違い、ほころんでいて、楽しそうだった。
 声を潜めて精通がどうこうとナイショ話をしているようだが、鬼の耳には届いている。というのは言わないでおこう。実は僕も、とこそこそ返している出久から勝己に視線をやるとあからさまに逸らされた。
 この男、口も表情も極悪なことが多いが、その実、根は良い奴なのだ。だから出久も泣かずに笑うのだ。愛されているから。その愛を感じることができるから。
 ざわり、とぬるい風が一陣駆け抜け、黄金色の草原を揺らし、私の髪をさらい、焦凍の紅白色の髪を揺らした。
 一見すれば平和な景色。
 だが、薄皮一枚で成り立っているこの平穏は、投石一つで壊れる脆いものだ。
 ピシ、と黄金色の空に亀裂が走る。
 下駄を鳴らして立ち上がると、出久と話し込んでいた焦凍が顔を上げた。「あ…」まだ話し足りなそうに出久を見やるが、私のもとに駆けてくる。
 焦凍の目線の高さまでしゃがみ込み、「またお迎えだ。どうする?」と訊ねると、きゅっと唇を噛んだ焦凍が首を横に振った。「…そうか。じゃあ今回も、追い払うよ」紅白色の髪を緩く撫で、カラコロと下駄を鳴らしながら前に出る。私の後ろでは「おいデク、帰ンぞ」という勝己の声と、ゲートが開く気配がする。
 私が手を伸ばすと、額に角のある鬼の面が落ちてきた。
 人間に顔が割れないようにという形式的な面だが、決まりなので、顔の上半分を覆う形の面をつける。  勝己が開いたゲートが閉じるのと同時に、ガラスがひび割れるようなピシ、ビシ、という音が響き、空のひび割れが大きくなっていく。
 焦凍が私の着物にしがみついた。何度目かの襲撃とはいえ怖いのだろう。「大丈夫だ」小さく震えている肩に手をやって、パリン、と高い音を立てて砕け散った空間から、人間のいる現実に、私と焦凍が引きずり込まれる。

「焦凍!」

 悲鳴のような声で焦凍を呼ぶのは彼の姉だ。名前はなんだったか。すっかり陰陽道が板についたのだろう、迷うことなく鬼の私に向かって五芒星の印を結ぶ。
 焦凍には当たらないよう配慮された氷の弾丸が次々と射出されたが、私に水由来のものは意味がない。すべて、私に届く前に水滴となってぼたぼたと地面に落ちて染みになるだけだ。
 焦凍、と呼ぶ姉の声に、頭を振って抗う焦凍は「帰らない!」と声を上げて私に抱き着いた。
 手は塞がるが、怖がっている子供を放っておくこともできず、片腕で抱き上げると、姉の手は惑った。先ほどのような攻撃をすれば焦凍にも当たると思っているのだろう。

「本人は、帰りたくないと言っているよ。先にあの父親をどうにかしたらどうだい」
「鬼は黙ってて!」

 憎しみすら感じられる形相で叫ばれ、肩を竦めて返す。
 鬼のほとんどには親という存在がいないから、家族、というものについて、私はよくはわからないが。あの教育が間違っているものだということはわかるよ。幼子の顔を焼くなんてどうかしている。
 震えている焦凍の背中をぽんぽんと叩く。「帰りたくないと言っているんでね」片手で手繰り寄せた扇子をパチンと開いて一つ振ると、暴風が吹いて、焦凍の姉を含めた複数の術士を弾き飛ばした。
 地面に描かれていた五芒星も吹き飛ばし、この世とあの世の境界が遠ざかり、開く。

「焦凍! お姉ちゃん、また迎えに行くから!」

 待ってて、という姉の言葉を残し、空間は完全に閉じた。「あらまぁ…」被害を被った団子屋が参った顔をしていたので、手にしている扇子を放って投げ「巻き込んだな。これで好きに修理してくれ」と言うと、畏まった顔で受け取られた。
 まだ震えている焦凍を抱えて狐に道を開かせ、屋敷に戻る。
 じゃり、と踏み締めた土は少し湿っぽかった。雨を降らせ、陽射しを強くしているせいか、いつもより煙っている空気の中を歩いて下駄を転がし縁側に上がる。
 焦凍にあてがった部屋の布団の上に下ろすと強く着物を引かれた。
 行かないでほしい、とこちらを見上げる色の違う両目が言っている。
 布団の上に膝をつき、私と違いあたたかい焦凍に顔を寄せて一つキスをする。「怖かったな。もう大丈夫だ」「はい……」ぐす、と鼻を鳴らす焦凍の着物に手をかける。
 これまで慈しんできた肌は白く、あたたかく、温度があり、恥ずかしそうに目を伏せる姿に私の少ない心が掻き立てられる。「気持ちのいいことをして忘れよう」袴の腰帯を解いて落とし、成熟しきっていない細い体に手のひらを這わせていく。
 鬼、という生き物は、食物をあまり必要としない。せいぜいが水と、何かの体液。それくらい口にしていれば生きることに難はなく、付加価値を求めて……たとえば食感を求めて肉を喰らったり、力を得るために人を食べたり…そういったことはするが、鬼は基本、食べなくても問題がない、完成された生き物だ。
 それでも焦凍の涙を舐め取り、唾液をすすり、血を飲み、精液を吸うのは、それが美味だと感じるから。
 は、は、と息をこぼして喘ぐ焦凍の陰茎を長い舌で包んで上下に緩く動かしながら、先端に口を当てて吸う。「あ、あァ」腰を浮かせた焦凍の薄い胸を撫でて、硬くなってきた乳首を指先で弄ぶ。

(もう少し大きくなったら、もっと気持ちがいいことを教えてやりたいが。それまでに鬼と人との状況がどうなっているか……)

 ふと憶えた憂いも、頬を上気させて喘ぐ焦凍を見ているとどうでもよくなった。
 口から伝う唾液を指ですくって舐め、こぼれる涙も同じようにすくって舐め取る。「気持ちいいかい」「ぁ、きもち、ぃ、です」それは良かった。私に抱かれた、甘くて蕩けたお前の顔、好きだよ。食べてしまいたいくらい。
 白くて細い首に牙を立てて血を吸う。適度に喉が潤い腹が満たされるよう血をすすって、白い首を噛み千切るようなことはしない。
 焦凍の肉の味に興味がないと言えば嘘になるが。人間は四肢のどれかが欠損しただけで死に至ることもあると知っている。だから、お前のことは必要以上に傷つけない。こうして体液をすすれるだけで腹は膨れるのだ。充分だよ。