俺が雄英を卒業しようかってときに、が若手の俳優として特集されたテレビ番組を見た。
 たった五分かそこらの、デビューの役はこうだったとか、俳優を目指したきっかけはああだったとか、今出ているドラマは、なんて、そんなありふれたことを喋っているだけのよくある番宣。
 だけど俺にとってはあの別れの日以来になるだ。あの日以来になるあのきれいな瞳。鮮やかな朝焼けの、夜明け前の空の色。
 憶えているより成長して、もう女子と間違われることはないなってくらい背丈も伸びてる相手を瞬きもせずじっと見つめて、番宣という出番が終わりこっちに向かって手を振る姿に思わずテレビにしがみついたらクラスメイトに驚かれた。
 それまでの俺はといえば、中学の短い期間交友があっただけののことを探す術が思いつかず、とにかく早くプロのヒーローになってメディアに露出して、に俺のことを気がついてもらうしかないと、そんなことを考えていた。
 まさか、俺から捜して迎えに行くより前に見つけられるとは。おかげで手間が省けた。
 そんなことを思ったのがついこの間のことのように思う。

「現行犯」

 のマンションの部屋の合鍵。作ったのか裏ルートから入手したのかは知らないが、堂々と玄関から侵入しようとしていたストーカーの腕を捻り上げて鍵を取り上げて自分のポケットに突っ込み、日本語なのかも怪しい言葉を喚く口を塞ぐ。「氷漬けにしてほしいならそうするが」耳元で低い声でぼやいて右の足元からパキパキと氷を這わせていくと相手は簡単に沈黙した。
 個人的には氷像にしてしまってもいいんだが。それはヒーローのやる仕事じゃない。
 俺はのボディガードとして今この場にいる。相手を氷像にするのは、仕事じゃない。そう我慢することにしてる。
 ………これで捕まえたストーカーは三人目。
 だっていうのに、曰く、まだ『いる』らしい。
 警察にストーカーを引き渡してあとの処理は任せ、念のため周囲を見回ってベランダから部屋に戻ると部屋着のが驚いてせんべいを落としていた。「あ、もったいね」それでさっと拾って何事もなかったかのようにかじっている。

「終わった」
「お疲れー。助かったぁ」
「ん」

 の個性……自分のことを強く想っている相手の心の声が聞こえるという特殊な能力のおかげで、俺が周囲を見張るまでもなく、『今この辺りにヤバい奴いるかも』という感じに本人が察知できる。俺はそれを受けてガードを強化したりする。それで今のところうまくいっている。
 長い黒髪を一つにくくっているはソファに座り込むと、俺の好きな瞳を細くしてこっちを見上げた。「何怒ってんの」「怒ってねぇ」「いや怒ってるじゃん。機嫌悪いじゃん。俺には隠したって無駄だよ」む、と眉間に皺を寄せ、この心も読まれてんのか、と思う。
 別に、お前に対して怒ってるわけじゃねぇのに。お前に関してることだから伝わっちまうのかな。
 ん、と両腕を広げた俺に、せんべいをもう一枚かじったが仕方なさそうに両腕を広げる。「はい」そこへばふっと遠慮なく抱きついて、クーラーが効いてるとはいえまだ暑い季節の中で、それでも人の体温を抱き締める。
 そのまま俺が動かないと、は仕方なさそうに俺の頭を撫でたり、あやすように背中を叩いたりする。
 お前と再会したのはついひと月ほど前のことだが、お前といるときが、俺は一番心が安らぐ。中学生のときと同じだ。
 それはそれとして。これは早急な問題だ。

「引っ越し。いつだ」

 少なくとも、メディアに見張られたりストーカーに鍵作られたりするくらいにはこの場所はバレてる。
 俺はあくまでボディガードだから、今結んでいる契約上、一緒に住んでを守ってやるってことはできない。
 俺がいない間こんなセキュリティの甘いマンションで一人で生活させるとか不安と不満しかない。不機嫌にだってなる。

「いや、大げさな。大丈夫だよ」
「根拠のねぇ大丈夫は嫌いだ」
「ええ……」
「さっきの奴は鍵持ってたぞ」
「仮に開けられたとして、チェーンしてるし」
「個性とかで切られたらどうするつもりなんだ」
「え。えっと」
「お前は腕っぷしはないんだぞ。ここは八階だ。いざ侵入されたらどうするんだ」
「えーっと……」

 なんにも考えてなかったらしく、あっちへこっちへ視線を彷徨わせる瞳をじっと睨み上げる。
 様々な個性が溢れた今の世の中、結構なんでもアリなんだ。ホークスみたいに翼があればベランダからの侵入だって容易だ。可能性なんていくらでもある。
 対してお前は、心が読めるだけだ。それはそれですげぇ個性だとは思うけど、お前が追い詰められたとき、役には立たない。
 は困った顔で俺の頬を両手で挟んだ。「心配性……」ぼやく声に、その手に顔を押しつける。

「そりゃそうだ。お前のこと好きなんだから」

 好きな奴が心無い強姦に襲われてみろ。俺は発火して相手を氷漬けにして殺す。
 冗談のつもりは一片もなかったが、は思わずというふうに笑うとそのままばたっとソファに寝転んだ。「轟ってほんと俺のこと好きだよねー」「おう」のそりと動いての上に乗っかる。鍛えてる俺は当然重いからからは「重いー」と抗議の声。
 俺と違って鍛えてないし、女と間違われないくらいには背は伸びたみたいだけど、細いまんまだ。俺が抱き上げることも簡単なくらい。
 その薄い胸に頬を押しつけると、心臓の音が微かに聞こえてくる。生きている音。
 さらさらと髪を撫でる手を掴まえて唇を押しつける。体温。ぬくみ。今はそれだけで満足できなくて、べろ、と舐める。少しせんべいのしょうゆの味がする。

(俺のだ)

 そう思うことについて、からはとくにリアクションはない。心は伝わっているはずなのに。
 お前をテレビで見かける度に、過去の作品を見つける度に、いつも思ってた。は俺のものだ、って。
 俺の部屋にはが載った雑誌や出演したドラマのディスクがずらりと並んでいるし、携帯にはが出番があった番組が余さずDLされている。
 今は勝手に手を舐めて指をしゃぶってる。が嫌がってないからセーフなだけで、このザマじゃ、俺が捕まえてきたストーカーと何が違うっていうのか。ボディガードを引き受けたヒーローが聞いて呆れる。

「轟さぁ」
「ん」
「ほんと、俺のこと好きなのは伝わってんだけど。応えてやりたいとも思うんだけど。問題が一個あるんだよ」

 応えてやりたい、の部分でぱっと顔を上げる。「なんだ、問題って」金ならあるし、住む場所のことなら俺が今すぐ手配すればどうにかなるし、ストーカーも順番に捕まえる。お前の平穏は俺が守ってやる。問題、って、あと何がある。
 は天井に視線を逃がしたまま、「お前の言う好きは、性的にも好きなわけだろ」「ん」「できるなら俺とシたいと」「ん」「でもね、俺は女役はしません」ああ、なんだ。そんなことか。
 お前が姫って呼ばれるのを嫌がってたこと、母親に娘として扱われて去勢手前までいったこと、忘れてない。お前が嫌がることはしない。
 形がいい爪をしてる指を舐めながら「俺がする」と言うと、は沈黙した。けど別に居心地の悪い沈黙ではなくて、たぶん、俺について熟考してるんだろう沈黙。
 たっぷり数分間の沈黙のあと、舐めていた指が逃げていった。「舐めすぎ…べちょべちょじゃん」「どこでも舐めるぞ。ここも、舐めていいなら舐める」の太ももから股間にかけてを指でなぞるとまた沈黙された。
 足の裏でもいいし、首筋でもいいし、顔でもいいし。舐めていいならどこだって舐めるし、食べていいならどこだって食べたい。
 どんな味がするんだろうなとぼんやり考えていると、が居心地悪そうに動いた。「えっと。轟のこと、そういう目で見たことがなかったので………ちょっと考える。そんでいい?」「ん」熟考した末の声に、ひとまず満足する。
 つまり、抱けるのかどうかとか、そういうことを意識して俺のこと見てくれるってことだ。
 中学時代、何も答えをもらえなかったときを思えば充分な前進じゃないか。
 のそっと起き上がってソファに手をついての顔を覗き込むと、若干頬が赤かった。こっちを見上げる瞳は相変わらずきれいで、俺の知っている限り、一番きれいな目をしている。
 中学のとき。劇のシーンにあるからと言い訳して何度もキスをした。
 いつも伏せて隠してしまうから知らなかったけど。あのときも、お前はこんな顔をしてたんだろうか。

「キスしていいか」
「……昔は勝手にしたくせに」
「そうだな。じゃあ勝手にする」

 形のいい唇にちゅっとリップ音を鳴らしてキスを一つだけ落とす。
 そのままじっと俺の好きな目を見つめていると、俺にも夜明けがきたのかな、なんて気分になる。
 思えば、長い、長い夜だった。明けることはないんじゃないかと思うくらいにずっと暗かった。遠くで咲いた花火の音を頼りに、見えない光の華を捜す、そんな毎日だった。

(あの悲しい別れは、忘れてない)

 笑って行くお前を拳を握って見送ることしかできなかった中学生の子供は、まだときどき夢に出てきては、行ってしまうお前を見送っている。その度に俺は自分の無力さを思い出して一人立ち尽くしていた。
 もうその夢は見ないのかもな、なんて思いながらもう一つキスをする。「」「はい」「好きだ」愛してる、とこぼして、俺にとっての夜明けを強く抱き締めるとなぜだか涙がこぼれた。
 もう何度だって抱き締めてるのに、俺の体はまだが日常にいるという現実に実感が湧いてないらしい。

「轟」
「ん」
「泣かなくていいよ。もう泣かなくていい。俺はここだよ」
「……ん」

 暗かった俺の空にはいつの間にか光の華が咲いていて、ドーン、と花が咲く音を聞く。
 隣には鮮やかな朝焼け色の瞳を持つお前がいた。
 俺より少し小さいその手を握り締めて、華の空に祈り、誓う。しあわせにする、と。
 それがなんなのか、どういう形と色をしてて、どういう手触りで、どうやったら手に入るもんなのか、俺は知らねぇけど。お前のことを絶対にしあわせにする。だからどうか俺からこの光を取り上げないでください、と祈る。願う。

(どうか、お前と、もう離れ離れになることがありませんように)