青春というアオいハルのアルバムの中に誰もが持つであろう『後悔』や『間違い』あるいは『若気の至り』……まだ若かったが故に犯してしまった人には言えない秘密。そんなものはきっと誰にだってあると思う。
 たとえば、長くナンバーツーだったヒーローエンデヴァーにも、ドロドロで複雑な家庭の事情があったように。きっと誰にだって人には言えないコトがある。
 俺の場合、ソレは高三、雄英を卒業するときの最後の想い出作りの一環として存在する。
 キレイに彩られた卒業という想い出。そのアルバムの中で一点だけ白濁とした色に汚れているページがある。 
 ソレは最初、単なる罰ゲームとして始まった。
 仲間うちでPVPゲームに興じ、ビリになった奴が『誰かにウソの告白をする』……そんなどこにでもある罰ゲームで、得点最下位だった俺は、たまたま通りがかったんだろう轟焦凍という紅白頭の後輩を呼び止め、仲間たちの前で仕方なくウソの告白をした。
 なぁ轟、実はさ、ずっとお前のこと好きだったんだ
 これで罰ゲームはおしまい。まったく最後になんて恥をかかせてくれたんだ。
 轟、悪いな。今のは……そう言いかけた俺の前でぽかんとしていた轟がぐにっと自分の頬をつねった。真面目な顔のまま。それで痛みがあると確かめたのか、じゃあ付き合いましょうと言われてしまった。今のは冗談なんだ、と言い出す前に。
 周囲が無駄に盛り上げたこともあり始まってしまった関係は、轟が案外とグイグイくるもんだから、俺は本当のことを言えないまま、轟との時間をずるずると続けてしまった。
 手を繋いだ。
 抱き締めた。
 キスをした。
 ここまでなら線を引けた。
 だけど案外と狼な轟が俺の酒に睡眠薬を仕込んで、寝てる間に勝手に俺とシたことで、あとに引けなくなった。
 俺の上に跨って俺のをケツに入れてベッドを軋ませてる轟の恍惚とした表情を目の当たりにして、冗談、ですむような段階ではとっくになかったんだってことに気が付いた。
 轟は俺に本気で、ゾッコンってやつで、手離す気なんてさらさらないんだってことをそのとき知った。

「何歳になったんですか」
「五歳」
「へぇ。そりゃあ、俺もあなたも歳を取るはずだ」

 いつもの平坦な声に肩越しに視線を投げるが、帽子の間から覗く紅白色の髪が見えただけで、その表情までは窺えない。
 背もたれ同士くっつけられた公園のベンチ。日向のその場所に俺と轟は背中合わせで座って、顔も見ずにぼそっとした声でやり取りをしている。
 俺は砂場で遊ぶ少女、自分の娘を眺めて、ときおり「おとーさんー!」と振られる手に手を振って返し、あとは携帯で暇潰し。
 轟はといえば、俺と背中合わせの場所にぴったりと座って、たぶん本を読んでる。
 雄英卒業の日に犯したたった一つの間違い。罰ゲームでウソの告白をすること。それで付き合うことになってしまった轟焦凍という人間は、俺が結婚した今も、娘ができた今も、俺のことを手離す気がない。
 今の俺と轟の関係は、いわゆる、愛人というか。そういう感じになるんだと思う。
 初恋だった子と就職先の職場で偶然再会して、お互いイイ感じになってきて、そのとき覚悟を決めて轟に別れようと切り出して、即座に嫌ですと返された。他に好きな子ができたんだと説明しても無駄だった。轟は暗い目で俺の手を握り締めたまま絶対に離さなかった。
 お前が嫌でも俺はあの子と付き合いたいんだと言ったら、勝手にすればいいと言われて、そのとおりに勝手にした。
 その子と付き合って、婚約して、結婚して、子供ができて………。
 順調な人生の、まるで影みたいに、轟焦凍はどこまでも俺についてきた。
 きっとどこかで目が醒める。自分って存在がいるのに女を作って結婚して、子供まで作った、そんな身勝手な男なんだって目が醒める。轟は賢いんだから、俺なんて最低な男のことはきっとどこかで見切りをつけるはずだ。そう思っていた。
 けど、恋は盲目と言う。
 それが愛ともなればどうなるか。轟焦凍の愛ともなれば、どうなるか。
 結果はこうだ。俺が結婚しようが子供を作ろうが、一軒家を建てようが、三人家族で笑っていようが、いつでもじっとこっちを見ている。黙って俺の手を掴んでじっと影の中に佇んでいる。

(最初に騙したのは俺だ。悪かったと思ってる。すぐに『罰ゲームだったんだ、ごめんな』って謝ればよかったって今も後悔してる)

 だから、いい加減、俺の手を離してほしい。
 いくら説明しても、頭を下げても、願っても、轟は俺の腕を掴んだまま離さない。
 慰謝料なら払うからと言っても金なら余ってるからいらないと言う。じゃあ欲しいものをやるからと言えば、あなたが欲しいと、そればっかりを言われる。
 愛して欲しいと。それだけが望みで願いだと、暗い瞳に見つめられたら、俺はもう何も言えない。
 これ以上口を滑らせて、うっかり轟の機嫌を損ねて、俺たちのことが妻の耳にでも入ってみろ。幸せな家庭は一瞬で崩壊する。
 轟の一言で、轟の一挙一動で、俺の平凡な幸せは瓦解するのだ。
 休日、昼下がりの公園。砂場で遊ぶ娘を日向のベンチから眺める父親。
 どこにでもある風景の奇跡的なことといったらない。
 轟が黙っているから保たれている平穏。俺が隠し繕い続けているから保たれている平和。
 本来ならのどかで和やかなこの時間も、轟がいるというだけでどこか後ろめたく、日向にいるはずなのにじっとりとした陰に包まれているような暗い気分になる。

「今度の休み、いつですか」
「え? あー……一日空く日は、三日後かな」

 営業マンで不定期な休みの俺が携帯のカレンダーで予定を確認しながらぼやくと、轟がどこかに電話をかけた。短い通話を終えると「じゃあその日。ここでこの時間に」肩越しに寄越された名刺を指で挟んで受け取って、ヒーローショートの事務所の所在地や電話番号が書いてある面から裏返すと、高くて有名なホテル名と部屋番号と時間が書いてあった。
 轟がこういうものを寄越すときはセックスしようって誘いだ。
 もう何年もこういう逢引みたいなことを続けてきたから、轟が誘ってくるタイミングってのはなんとなくわかる。

「何。出張とか?」
「二週間、北海道に行かないといけなくて」
「いいじゃん、涼しくて」
「あなたがいない場所はどこだって地獄だ」

 ぼやく声に押し黙って、はぁ、と息を吐き出して名刺を携帯のカバーの中に押し込む。
 言いたいことはそれだけだったらしく、「じゃあまた三日後に」と言い置いて、轟が立ち上がる気配がする。
 砂だらけになって「おとーさんもあそぼー」と駆け寄ってきた娘を抱き上げながら視線を投げると、見慣れた紅白頭を帽子で隠している相手が公園を出ていったところだった。
 そうやって、俺と轟は間違いの上塗りをしてきた。
 最初の嘘を隠すために塗っただけのペンキは、重ねられる度にどんどん分厚くなって、今ではそういう壁みたいに目の前に鎮座している。
 これは俺の罪だろう。
 人並みの家庭を築けた。子供もできた。仕事は忙しいし余裕はないものの、共働きでなんとかやっていけている。
 その全部をぶち壊せる力と立場を持った轟焦凍という人間は、俺の影に入るような位置でぴったりと俺に寄り添って、握った手を離そうとしない。
 三十路が見えてきたっていうのに恋人も作ろうとせず、俺とたまにホテルで会ってはセックスに明け暮れ、俺が囁く嘘の愛に酔ったように微睡む。まるで心は少女だとでもいうように。

「子供が、育ったら。二十歳になったらでいい。俺と一緒になってください」

 十五年も先のことを縋るように口にする轟に唇を引き結び、きゅうきゅう締め付けてくる内側を突き上げる。ぱん、と肉同士がぶつかる音が響く。
 俺だけのオナホみたいになってる轟のケツの具合いはちょうどいい。何年も俺を受け入れてきただけある。ぐちゅぐちゅのとろとろ。女みたい。

(十五年後……想像つかないな)

 俺も轟もかなりのおっさんになってて、今はまだおばさんとはいえない彼女も、すっかりおばさんになるんだろうな。
 ぼんやりそんな想像をしながら轟のことを犯し続けて………それでもいいかと、ふとそんなことを思う。
 好きだった子と結ばれた。子供が生まれた。今はかわいい。妻も然り。
 だけど子供は成長して巣立ち、俺らは歳を取る。体力は今より衰え、できてたこともできなくなり、容姿も、歳を取る。彼女はただのおばさんに、俺はただのおっさんになる。
 白濁色を吐き出してイッた轟のきれいな顔を手のひらでなぞる。
 世を騒がせるイケメンヒーローは俺とのセックスに酔いしれてだらしがない顔をして涎を垂らしてる。世間が知らないヒーローショートの淫らな素顔。

「お前、そんでいいの? 十五年後の話だぞ」
「ん…。それでも、が欲しい」

 ぺろ、と手のひらを撫でてくる舌にぞわっと背筋が騒いだ。久しぶりに、義務感以外で犯したいという熱が生まれた。
 じゃあ、約束だ。
 十五年後。俺たちがまだこういう関係を続けていたら、彼女とは離婚して、お前と一緒になるよ。
 そう言ったときの轟の顔ときたら。快楽に蕩けた、そのくせ純真な少女みたいな笑みを浮かべるもんだから、その顔にグッときてまた股間が元気になってしまった。「お」「…あー」今イッたとこの轟には悪いけど、まだ俺が元気。
 轟は舌なめずりするようにぺろりと唇を舐めると俺の首に腕を回して、体には足を回してがっちりホールド。逃げられなくする。「もっとシましょう」「おま……明日から行くんだろ? 加減」「立てなくなるくらい、刻んでくれた方が、嬉しい。中に出して」また。そういうことをサラッと言う……。
 ぐっと唇を引き結んで、耐えられたのは数秒だった。
 俺を招くようにうねる内壁の心地よさにそのままずぶずぶと埋もれ、埋もれて、轟の奥を叩く。「あッ、ぁー」だらしない声を上げる口を俺の口で塞いで、 二人して広いホテルの部屋の物の良いベッドに埋もれる。
 十五年後という途方もなく先に思える約束目指して、俺たちは、今日も嘘を上塗りしていく。