「轟」
「ん」
「今日は大事な話があるんだ」
「ん? なんだ、改まって」

 洋風の、イマドキでいえば古臭いともいえる館のステンドグラス風の窓があるソファ席は、今日も色取り取りの光をテーブルへと落としている。
 僕がお茶の準備をしながらそう切り出すと、轟は不思議そうに首を傾げながら、これもまた古臭い薪ストーブに左の個性を使って火をつけた。
 まだ冬の名残が残る二月の終わり。
 紅白色の髪、顔の左側に幼少のときに負った火傷の痕があることが特徴のこの男子は、僕の幼馴染だ。
 とは言っても、家同士が決めた『幼馴染』で、特別家が近かったわけでもなければ、劇的な出会い方をしたわけでもない。大人の事情で引き合わされ、大人の事情で手を握らされ、大人の事情で一緒に遊ぶことになった。そういう始まり方をした幼馴染だ。
 その関係も、今では破綻していると言ってもいいんだけど。
 轟の家はナンバーツーヒーローのエンデヴァーが大黒柱で、家庭事情には少し、だいぶ、問題はあるけど、家自体は傾いていない。
 対してうちは、ヒーローだった父が五年前に殉職。父の遺伝子は強くはなかったのか、僕には父のような個性は発現せず、今に至る。
 今ではアンティークといえるような古いデザインのカップとポットで紅茶の準備をし、コトン、と砂時計を逆さにする。
 僕の話を待っているらしい轟がじっとこっちを見つめている。ステンドグラスの青や緑、黄色に照らされたその顔はきれいだ。イケメンというやつ。
 少し冷たい冬の空気を息を吸って、吐いて。
 高校を卒業したら婿入りすることが決まったと幼馴染に打ち明けたとき、彼は様々な表情をしてみせた。眉尻をつり上げた怒り。唇を噛みしめた絶望。目尻を歪ませる悲しみ。
 だけど、僕も、轟も、いずれこうなるのはわかっていたことだった。
 轟は強い個性を持っている。エンデヴァーも現役でヒーローをしている。轟はヒーロー育成校として有名な雄英に入った。このままいけば彼もヒーローになり、轟の家は安泰だ。だけど僕の家はもう……。

「先方はね、良い人なんだ。紹介された娘も良い子だった。僕にとっては古臭いこの洋館をとても気に入ってくれてね。手入れして、一緒に住みたいって、言ってくれた。
 このまま住むだけはもったいないから、改装してカフェを開くのはどうだろうって。料理、得意みたいでさ」

 ぼんやりと結った髪がきれいだった娘のことを思い起こす。
 名家というほどの家ではないけど、傾いて倒れそうなうちにとっては願ってもない縁談の話だ。両親は僕の意思など確かめず二つ返事で話を受けた。
 それから彼女と引き合わされて、お互い最初は愛想笑いだったけど。でも、まぁいいか、この人となら、と思えた。
 だから、それでいいんだと思う。縁談なんて、出会いなんて、そんなものだと思う。
 だから、とこぼして顔を上げる。ステンドグラスに彩られた轟の泣きそうだと思う顔に、はっきりと、トドメを刺す。

「君とは、これでお別れだ」

 僕と轟は親同士が決めた幼馴染。家同士の付き合いのためにこじつけられた関係だった。
 それも父が他界したことで破綻。価値のなくなったウチと轟家が付き合う理由なんてない。
 ただ、轟が、それでも僕のもとに来てくれていた。それでエンデヴァーと喧嘩をしてでも、まるで本物の幼馴染みたいに接してくれていた。それは彼の好意によるものだった。
 正直、それに救われていた。

(でも、もう終わりにしなければ)

 僕みたいな没落した家と轟家が付き合っていてはいけない。火のないところに煙を立たせる奴らのいいエサになってしまう。轟家に迷惑はかけられない。
 僕はもう轟に甘えてはいられない。
 サラサラとこぼれ落ちていく砂が残り時間を告げている。紅茶がおいしくなるまでの残り時間。でも僕にとっては、轟との最後の時間でもある。

「今まで、ありがとう。こんな僕と幼馴染でいてくれて」

 笑った僕に、轟はバンとテーブルを叩いて立ち上がった。鍛えていて握力もある手でぐいと襟首を掴まれて引っぱり上げられ、泣きそうだな、と思う顔と、唇を重ねるキスをする。
 ………もう終わりにしなければ。この関係も。こういうことも。
 お互いに、好きだと、伝えたことはなかった。ただ、そうなんだろうってことは言葉にせずともお互いわかっていた。
 轟が顔に火傷を負ったとき、彼が泣き止むまでずっと抱き締めてそばにいたのは僕だった。
 僕の父親が他界して、家がとてもバタバタしていた頃、なかなか事実を呑み込めず呆然としていた僕の肩を抱いていたのは轟だった。
 お互いがお互いに依存していた。お互いがお互いを大切にしていた。想い合っていた。
 でも、それは、終わりにしなくてはならない。僕のために。君のために。
 サラリ、と砂時計の最後の砂が落ちた。「俺は今でもお前が好きだ」吐き捨てるように口にした轟に服を離されてソファに座り込む。
 好き。
 今まで絶対に、絶対に、口にしてこなかった言葉。なのに。今頃。今更。

「嫌いに、なってよ」

 結納も終わった。今は僕の高校卒業の日程に合わせて式の日取りを決めてる最中。
 もうどうしようもない段階になってからこの話をした。そんな僕を、怒って、なじって、嫌いになってほしかった。よくも俺の気持ちを裏切ったなって罵って罵倒してほしかった。そうすれば僕も、嫌な奴になりきれたのに。
 轟は泣いていた。怒りややりきれなさも感じているだろう。それでも彼の中で一番に勝った感情は悲しみのようで、色の違う両目からぽろぽろと涙をこぼしていた。

「勝手に、決めるなよ。俺は、お前が、好きなまんまだ。この火傷を負った頃から、好きなまんまだ」

 自分の左の顔を撫でて悔しそうに唇を噛む轟に、ごめん、としか言えない。
 のろりと手を動かし、ポットを傾け、ティーカップに琥珀色の液体を注ぐ。二人分。あたためおいたミルクも注ぎ、紅茶のためのキャンディスを一つずつ落とす。
 上品な甘さのある砂糖の飴玉みたいな加工品は、スプーンで混ぜていればそのうち消えてなくなる。
 ………この砂糖みたいに。僕らの気持ちも消えてなくなればいいのに。
 男同士で、好きだなんて、こんな気持ち、消えてなくなればいいのに。
 轟が幼馴染として、友人として、ただ僕を祝福してくれればよかったのに。僕も、苦い気持ちなんて一つもなくて、これで家が破綻せずにすむんだと笑っていられればよかったのに。
 ぽた、とミルクティーに落ちた水滴に自分の目元に手をやると濡れていた。

「お前の、の気持ちは。どうなんだよ」
「……何が?」
「その縁談、決めたの親なんだろ。家のためにそうしろって勝手にされたんだろ。
 はどうなんだ。それでいいのか。決められた相手と結婚して、家のために自分を犠牲にして、人生捧げて、それでいいのか」

 甘い紅茶を一口飲んで、今頃問われた自分の意思というやつに薄く笑う。
 僕にとってそれは贅沢品だ。
 家のためにこうしなさい。ああしなさい。お前はこう在りなさい。今までずっとそうやって指示されて生きてきた。
 今更自分の意思なんて。人形のように生きてきた僕には。
 甘い紅茶を飲み干して、カップを置いて、窓辺からのステンドグラスのような光に照らされた轟を見ていると、胸に込み上げてくるものがあるのに気付く。
 僕は、轟と一緒にいるときだけは、僕自身でいられた。

「僕は」

 喘ぐように息をする。喉につかえる言葉を吐き出させたくて胸を叩く。「僕は、」自分の、気持ちを。言いたい。伝えたい。大事な君に。

「君が、好きだ」

 決して伝えるつもりはなかった言葉。伝えてはいけなかった言葉。墓場まで持っていかなければならなかった禁断を口にして、視界が滲んだ。「好きだよ。ずっと好きだった」今だって好きだ。どこが好きなんだと訊かれたら全部が好きだと答えてしまうくらい、君という人間が、好きだ。
 一度外れてしまった蓋からは想いという想いが溢れてこぼれて僕の心を覆っていった。無にしていた場所を、何も感じないように、苦しくないように、そうやって空っぽを保ってきた心を、轟焦凍という人間が覆っていく。
 結婚なんてしたくない。君といたい。まだ一緒にいたい。笑っていたい。君の隣で。
 泣きながら、言葉につっかえながら自分の気持ちを吐き出した僕に、轟は笑った。あんまり見ることのない破顔した顔と、「お前の居場所はちゃんとある。俺の隣に」そうして差し出される手の意味がわからないほど僕は子供ではなく、轟も、冗談でこうしているわけじゃない。
 時代遅れのこの洋館が嫌いなわけじゃない。
 決められた縁談の相手が嫌いなわけでもない。
 ただ、全部を凌駕するくらい、轟焦凍という人間が好きなだけだ。
 だから僕らはお互いの手を取り合い、ポットとティーカップ、砂時計を残して、薪ストーブの火を消し、慣れ親しんだ部屋を出ていく。
 最後に振り返った部屋のステンドグラスの窓はいつもと同じように色取り取りの光をテーブルに落とし、もう誰も来ることもないだろう場所を彩っていた。
 轟とここでお茶をするのはこれで最後。
 これからどうなるのかは、まったくもって未知数だけど。彼が僕の隣にいるというのなら、きっと、大丈夫だ。