黄金色の空が暮れて少しかげり、年中蛍のようなものが飛ぶ、仄かに明るいいつもの夜。
 俺が十三になった頃、『もっと気持ちがいいことをしよう』と言われて、細く長い指に誘われるまま布団に行って、押し倒された。
 着物を落とした美しい人の肢体と微笑に目も心も奪われて、はい、と上の空で返事をした俺は、その夜初めての性器を受け入れる性交をした。
 最初は、尻はどう考えてもモノを入れる場所じゃないから、痛いのだろうと覚悟した。
 覚悟、したけど。気持ちがいいことをしようという言葉の通り、違和感はあっても痛みはなく、その違和感もの指によってすぐに快楽に変わった。
 俺の中に擦られると気持ちのいい場所があって、は指で、俺よりも立派な陰茎で、そこを執拗に攻めた。
 その夜は叫んでしまうくらい気持ちがよくて、最後には意識を飛ばしてしまった。

「あ……?」

 次に気がついたとき、俺は着物を着ていて、ちゃんと布団で寝ていた。
 外ではりーんといつも通りに虫の声がしていて、寝間着の着物もいつも通りだった。
 まさかアレは夢だったのか。あの熱い夜は。
 自分の夢という妄想が耐え難いほどに恥ずかしくなって枕に顔を埋める。
 と、美しいあの人と俺が、交わった。なんて。そんなわけないか。だってその必要がない。俺の体液を食べるあの人にとっては唾液と血と精液があれば食事には困らないはずで、だから、俺を抱く必要っていうのがない……。
 そうだ。あの熱い夜は夢だったんだ。俺が見た恥ずかしい夢。
 一人納得して布団を剥いで起き上がろうとして、ずき、と腰と尻が痛んだ。「…っ?」着物を着ている自分を見下ろす。何も、汚れてない。だけど体が。普段痛まないところが痛い……。
 畑仕事には慣れた。昨日特別なことは何も。
 夢で、四つん這いで尻を突き出すようにしてシたことを思い出して顔がぶわっと熱くなった。
 他にも色々、嬌声を上げていた自分が腰を痛める要因はいくつも思い当たる。主に普段はしないだろう体位。
 ……じゃあ、夢ではなかった…? 俺はあの人に抱かれた、のか?

「おはよう」
「、」

 びくん、と跳ねた体でぎこちなく顔を向けると、障子戸に寄り掛かるようにして、今日は薄い水色に月が浮かんでいる着物を着たが立っていた。
 赤い瞳と目が合うとゆるりと細められる。その瞳が俺を愛でて「体、痛くないかい」と言うから、顔がさらに熱くなってくる。

(ゆ、夢じゃ、なかった)

 俺は昨日この人に抱かれたんだ。初めての性行為に気持ちがよくて気を失った。でも着物を着て寝ていたってことは、気を失った俺をこの人が世話をしたということ。
 裸の自分を労わる美しい鬼を想像するだけでもう一段階顔が熱くなった。発火しそうだ。「少し、痛い。です」正直にこぼしてなんとか布団から起き上がる。気のせいじゃなく腰と尻が痛い。
 眉尻を下げたが「すまない。なるべく優しくしたんだ」そうこぼすのが新鮮だ。
 そんなに、どういう顔をすればいいのか。顔が熱くて自分がどんな表情をしているのかわからない。俺、いつもどんな顔してこの人と話してたっけ。
 小さく笑ったの指が俺を引き寄せた。ひんやりした肌、着物。だけど俺を貫いた熱は確かに熱くって、舌もぬるい温度で。思い出せば出すほど体が熱くなってくる。
 つつつ、と背中を撫でる指の感触と「すごくおいしいよ、お前は」耳が孕むかと思う艶やかな声に体の熱の上昇が止まらない。
 そんなふうにして俺の処女というのは失われた。
 別に、俺の処女とか失くして惜しいものではないが、今まで以上に美しいあの人の目のやり場に困るようになった。
 笛を吹く横顔。揺れる黒い髪。緩められた紅い瞳。
 焦凍、と俺を呼ぶ声。
 おかげで俺の心臓は始終どきどきと跳ねて落ち着かない。
 それで、胸の高鳴りが最高潮になって、股間がどうしようもなく熱くなると、あの人とまた体を繋げる。
 お前はおいしいね、と囁く声に耳を犯され、俺よりも立派なものに体を貫かれ、喘いで、叫んで、蕩けた意識で何度目かの絶頂を迎える。
 との性交は甘くて、優しくて、気持ちよくって、何もかもどうでもよくなる。
 快楽を貪って、享楽に耽って、情と欲に溺れる。
 鬼が住まう山に抱かれ、黄金色の空が見える神秘の世界の縁側で、一日中気持ちのいいことをする。そんな堕落した生活もは許してくれる……。
 今朝も畑から今日の菜食分の野菜を引っこ抜き、昨日炊いた白米をお粥にして食べ、食器を片付けていると、あの人がやってきた。カラリ、と下駄を鳴らして台所の戸口に立った姿が今日も美しくてとくとくと心臓が早鐘を打ち始める。
 漆黒の髪を緩く一つに縛り、紅い宝石の瞳で俺を捉えて「焦凍」と呼ぶ艶やかな声。

「出久が来たよ」
「えっ」

 出久。久しぶりだ。会って話したいことがたくさんあったんだ。
 慌てて食器を片付けてバタバタと着替えて縁側に行くと、お茶を飲んでいた出久が顔を上げて「焦凍くん」と手を振る。
 半年ぶりくらいになる出久はあまり変わっていなかった。俺より身長が低くて、緑の髪がもしゃっとしてて、俺よりもよく笑う。
 その手に手を振り返して隣に行って座った。お茶は俺の分まである。
 俺が片付けをしてる間にあの人が用意してくれたんだろうかと、思いながら湯飲みを手にしてありがたくお茶をすする。ちょっと濃いけど飲めないことはない。

「なんだかんだ、久しぶりだね」
「半年ぶりくらいじゃねぇか」
「ね。かっちゃんに頼み込んでやっと遊びに来れたんだ」
「かっちゃん?」

 聞き慣れない単語に首を捻ると、出久が少し照れくさそうに指で頬を引っかきながら「あ、えと、鬼の勝己、のことだよ。かっちゃんって呼んでるんだ」「へぇ……」あだ名か。あんなキレやすそうな奴に拾われたとか、出久も大変だって思ってたけど、なんだかんだうまくやってるんだな。良かった。
 俺はそういうのないな、とあの人のことを思い浮かべる。未だに敬語で接してるしな。…いいな。
 出久がきょろきょろと辺りを見回して、こっそり耳打ちするように俺に顔を寄せると「あの、僕ね、あの。かっちゃんと。し、シた、んだ」「……! 俺も、と。シた」「そ、そか。そっかぁ」えへへと照れ笑いする出久に、同じものを共有する身として、俺も照れ笑いを返す。
 嫌じゃなかった。むしろ望むところだった。そんなとこまでお揃いだ。
 野菜を日干しして作ったチップスを部屋から持ってきてつまみながら、お互いの初めてのときをこそこそと話し合い、痛かったかとか、最初は違和感がすごかったとか、そんなことを確かめ合うと、なんとなくホッとする。
 出久は俺と同じで人間、同い年。鬼に拾われたという境遇も同じで、俺が本音を話せる数少ない友達だ。
 半年ぶりとなれば話は尽きることがなかったが、「デク」という第三者の声で俺たちの時間は終わりを告げた。勝己だ。「帰ンぞ」「あ、うん。今行く」勝己に対して敬語を使わなくなった出久は湯飲みを置くと足取り軽く勝己のもとへ走って行く。

「またね、焦凍くん!」
「ああ。またな」

 ばいばい、と手を振る出久に手を振り返すと、二人はゲートをくぐって行ってしまった。
 ぱた、と手を下ろして、なんとなく寂しいと感じる胸に手のひらを当てる。
 俺は、あの人と、親しい関係にはなれていない…気がする。
 求めてくれるし、呼んでくれるし、生かしてくれている。これ以上を望むのは贅沢ってもんかもしれない。……でも。
 気が付くとそばにが立っていた。首を傾げたその人の肩から夜色の黒い髪が滑り落ちる。

「寂しいのかい」

 なんだ、気付かれてた。顔に出てたかな。「あの」「うん」俺の目線に合わせて膝をついたその人の着物の袖を握って「敬語、やめても、いいですか…?」おそるおそる訊ねると、はふっと唇を緩めて笑った。…笑った。

「いいよ。そういえば、お前はずっとそうだった」
「正直、窮屈だった」
「そうか。遠慮なんかしなくていい」

 おいで、と腕を広げたに胸がきゅうっとなって、心臓が苦しいままに抱き着いた。髪を撫でるひんやりとした手のひらの感触が心地いい……。