事件性はない。
 そう判断されたにも関わらず『ヒーローとして同行してほしい』と頼み込まれ、非番だったはずの俺はなぜか今ものすごく田舎のバス停で、二時間に一本しかないバスを待っている。「あの…飛んで移動しますけど」そう提案はしたが、ここは田舎だ。万が一緑に引火したら大変だということでその案は却下された。

「こんなことなら車で来るんだったよ」

 参ったようにぼやく刑事の声に肩を竦めて返す。
 氷じゃ大した速度は出ないし、後片付けもある。そうなると俺らはここで大人しくバスを待つしかないわけだ。
 古臭い、鉄錆の臭いすらしそうなギシギシいうベンチに男二人で腰かけているだけで、そのうちバキッと折れないか不安になる。
 せめてもの救いは季節がいいことだ。秋晴れ。陽射しは少し強いが、田舎らしく鳥の囀りが耳に心地いいし、空気も美味い。

「時間もあるし、どうしてショートに同行してもらったのか、改めて説明しようかな」
「はぁ。資料は読みましたけど……」
「ヒマだから! もう一回! ね!」
「はぁ」

 仕方なく鞄からタブレットを取り出し、事件性はないが関連性はある五つの自死についてをまとめた書類を斜め読みする。
 死因については五件それぞれだが、共通していることが一つ。それは、人間が一人、そして、人間ではない人形が一体、それぞれ傍らにいた、ということだ。
 とある遺体はお互いを包丁で刺し合うような形で死亡。とある遺体は隣り合って首を吊って死亡。
 五人の私生活に共通点は一つもない。ただ『人形と死んでいる』という点だけが一致している。
 当然、警察はこの人形について調べた。
 どこで購入したのか。
 製作者は誰なのか。
 これは『人形』という個性による事件なのか?
 調べた結果出てきたのは、長野の山奥に一人住んでいるという人形師の男。そして、この男は無個性であり、人形は本当にただのカラクリ人形だった、という事実。
 それでも同じことが五度も起きれば、何かしら事件性があるのではないかと警察が動くのも仕方がない気はする。

「……もう制作も販売もやってないんですね」

 これから会う人形師の顔を指で弾く。「ああ。おそらくだが、事件を……いや、事態を受けて、受注するのをやめたんじゃないか」「なら、もう同じようなことが起きるってこともないはずですが。これから会う意味は?」「まぁなんというか、ケジメというか。第六感というか?」……そういった曖昧なものに非番のヒーローを付き合わせるのはどうかと思うんだが。俺にだってプライベートの時間くらいくれよ。
 それから飽きるくらい資料を読み返し、ようやくやってきた古臭いバスに乗り込み、ガタゴト揺られながら山道を行って終点で降りて、さらに徒歩で三十分。そんな山奥にポツンとした和風の一軒家があった。
 ざく、という音に視線を投げると、こんな辺鄙な場所だからだろう、自家栽培で食物を補ってるのか、畑があって、そこで桑を握って土を耕す誰かがいる。特徴的な長髪ではないし、例の人形師ではない。「あのー、すみません」刑事の方が手でメガホンを作って声をかけると、相手は顔を上げ、桑を置くと、一軒家の方に消えていく。ここの手伝いか何かをしている人間だろうか。
 少しして、「お待たせしてしまいまして」と言いながら玄関の引き戸が開き、資料で見た顔の人間が出てきた。
 写真で見ているより髪が長く、人形師の顔色はどこか白い。和服で体形はよくわからないが、今にも折れそうだ、なんて印象すら受ける。

「ご連絡差し上げておりました、山下と、同行してもらいました、ヒーローのショートです」

 紹介されたからぺこっと頭を下げておく。「これはこれは。はるばるこのような場所まで、ようこそ」そう言って笑った男の笑顔には陰が目立った。もとからそういう笑い方なのかもしれないが、何か、哀しくて仕方ない。そういうふうにも見えた。
 俺たちを家に上げ、冷たい茶と乾き菓子を出した人形師、は、事件、というか、自分の作った人形が辿った道についてはもちろん把握していた。

「刑事さんにはお話しましたが。ショートさんにはまだでしたね」
「? はい」

 首を捻ってうまい日本茶をすする俺に、人形師は、『自分が作った人形がどういったものだったのか』を説明した。
 たとえば、お互いを刃物で刺し合い死んでいたあの一人と一体は、交通事故で亡くした女性を模した人形で、二人は恋人同士だった。
 たとえば、揃って首を吊っていた老夫婦は、病気で連れに先立たれ、孤独に耐えられなかった老人の妻を模した人形だった。
 五つすべてに経緯があり、五つの人形すべてに悲しい生い立ちがあり、悲しみは悲しみのまま、癒えることなく旅立っていった。それが人形師の言い分だった。
 ……これは無遠慮だろうとわかってはいたが、訊かないままなのもスッキリしないから、俺は茶の急須を手に微動だにしない男の方を見て「彼も、人形ですか」確かめる問いかけをすると、人形師は薄く笑った。「五年前に病死しました。墓石なら家の裏手にありますので、よろしければ、手を合わせてやってください」俺と刑事は微妙な視線を交わす。
 生きてる頃と変わらない人形がここで茶くみしてるっていうのに、墓石に手を合わせるとか。ちぐはぐだ。
 だが、墓があると言われて、礼儀としていえ興味がないのでというわけにもいかない。
 俺と刑事は家の裏手、北側にある立派な墓石の前に行き、二人で手を合わせた。線香の跡に、真新しい花が添えられている。

「どう思う?」
「どう、と言われても。事件性はないと警察が判断したなら、ヒーローの俺には何も……」
「いや、直感というか、感覚というか。ヒーローとしてのそういうもののことだよ」

 薄目を開けて墓石を眺める。
 北側、裏手だが、その向こうの木々は切り倒されたのか見晴らしはいい。風もよく通る。ここで眠るのは魂側としては心地がいいだろうな、なんて思う。

「アテにはしないでほしいんですが。あの人、今にも死にそうに見えます」

 人形師のことをぼそっとそう指すと、刑事はそうかとぼやいて合わせていた手を下ろした。
 それで。なぜか俺はその日、人形師の家にお世話になることになってしまった。俺が家の周りを見回ったりしてる間に刑事が勝手にそういう話にしてしまったらしい。

「聞いてませんよ」
「さっき思いついたからな。俺は俺とお前の勘を信じる!」
「はぁっ?」

 一人やってきたバスに乗り込んでじゃあと手を上げる刑事に氷でもぶん投げたくなったがぐっと堪えた。
 人が非番の日に呼んでおいて、しかもこんな、他人と人形がいる家で一泊していけだと? ふざけてるにもほどがある。帰ったらクレーム入れてやるし、明日からの仕事はあの刑事のせいで間に合わないってことにしてやる。
 古臭いバスが行ってしまうと、もう誰も来ないだろう坂道に一人取り残され……面倒だから氷を使って坂を駆け上がっていくと、人形師が律義に玄関で待っていた。敷地に入るところで氷から跳び下りて、近くのは熱で溶かしておく。
 人形師…は俺が個性を使う様子をしげしげと眺め、自分の後ろに控えている人形を見やった。

「いいですね。個性。私にもあればな」
「……モノにもよりますけどね。それに、あなたの人形造りの技術は、立派な個性だと思います」

 事実、俺は個性で苦しんだ方だし、もっと苦しんでいる奴もいるし、楽をしている奴もいる。個性にも色々ある。あれば便利だけど、便利だけですむ代物でもない。
 の人形について世辞を言ったつもりはなかったんだが、相手は曖昧に笑うと「うちはお肉の類がなくて。今晩は菜食になってしまうんですが、大丈夫ですか」「お構いなく。むしろ、すみません。刑事が勝手を言ってしまって」「いえいえ。久しぶりのお客様なので、嬉しいですよ」笑ってみせる顔にはやはり陰が目立ち、その顔をよく観察すれば、化粧で隠しているようだが、随分と酷いクマもある。
 俺はの動向に注意を払いながら、人形が作ったのだという菜食の飯をいただき(普通にうまかった)、風呂は俺が作った氷を溶かしてお湯にするというやり方ですませ、寝間着は浴衣を借りた。「ああ。ピッタリですね」なぜか嬉しそうに手を合わせるに首を捻って、その先は察した。俺と、物言わぬ人形。身長がちょうど同じくらいだ。
 あてがわれた小さな和室で布団を敷き、「何かあれば私か、彼に声をかけてください」と人形を示され、頭を下げて、ようやく一人の時間になった。
 こんな山奥だから携帯の電波はない。電気はきているし、水道とガスも問題なさそうだが、それ以外は人形との自給自足の暮らしを続けている。そんな感じか。
 ぼふ、と布団に転がってみる。
 ………昔、ここで誰が寝ていたか。それを思うとなんとなく落ち着かない。
 それでも、今日は慣れない移動続きだった。個性はそう使ってないが体は疲れていたらしく、ウトウトしてきていた頃、ざり、という微かな足音に瞼を押し上げる。「……、」腕をついて起き上がり、ざり、ざり、という微かな音が庭の方を通過して、家の裏手……墓石の方へ向かうのを聞く。

(まさかな)

 こんな山奥だ。イノシシやタヌキなんかの獣はいるだろうが、今のは明らかに人の足音だった。
 人形が無意味に歩き回るとは思えない。となれば今の足音はのものだということに…。
 こんな夜中に、墓になんの用がある?
 そこで、とん、とふすまをノックされた。「はい」小さく返せば、カラリと開いたふすまの向こうに人形がいた。
 その手に目を凝らせば、懐中電灯を持っている。それをこっちに差し出すようにしてじっと床に正座している姿に、その手から灯りを受け取って玄関から取って来た靴を履いて縁側から庭に出た。
 光一つない真っ暗な闇に囲まれ、覆い被さってくるような重い闇にたまらず懐中電灯をつけると、どこかでフクロウが鳴いて飛んでいく音がした。
 懐中電灯の細い光を頼りに家の裏手を目指せば、着物の寝間着姿のが墓石にもたれかかるようにして目を閉じていた。

「おい、」

 まさか死んでるんじゃと思って首に指を押し当て、脈があることにひとまずホッとする。
 寝るときは化粧を落としてるんだろう。のクマは酷いものだった。パンダだって言ってもいいくらいだ。満足に眠れない日々がどのくらい続いているのか…。
 ちら、と物言わぬ墓石を見上げる。
 昼間、手を合わせたときにも思ったが。北側にあり、普段は見えない場所、家の裏手にあるにも関わらず、磨き上げられた石は美しく保たれ、きれいな花が添えられ、手入れされている。
 おそらく、毎日のように墓石に話しかけ、磨き上げていたのだ。
 そして毎日のように墓石とともに眠ろうとする主人に、人形が何を思っていたのかわからないが。俺に行けと言わんばかりに懐中電灯を渡したわけだから、あいつにはあいつなりの意思ってやつが……あるのか? 個性由来でもない人形に意思なんて。
 とにかくこのままにはしておけないとの体に腕を回して驚いた。
 私服も着物姿だったからよくわからなかったが、驚くほどに細くて軽い。まるで子供の体重しかない。
 とにかく、体が冷えるだろうと家の中へ運び込んで、俺が飛び出したときのままの形の布団に寝かせて被せ、人形の姿を探せば、廊下で崩れ落ちるようにして倒れていた。まるで主人の状態に連鎖するように。
 こっちは何がどうなってんだと抱き起こせば驚くほどに重い。人形、カラクリ、機械なんだから当然といえば当然だが。
 人形の扱い方なんて知るわけがない俺は、重い人形をの横に運び、自分は左の体温を上げてなるべく部屋をあたためた。
 当然、その状態で眠れるほど俺は器用じゃないから、貫徹だ。
 朝になるまでの長い時間をあたためた部屋で過ごし………薄く目を開けたは、まず隣に寝ている人形に縋りついた。「お前、また。今度はどこが…っ」長い髪を振り乱して必死で人形の状態を確認している、その姿から、生前のこの人形。じゃないな。人形の元だった男と、が、どういう関係だったのか、は想像がついた。
 一心不乱に人形を調べていた細すぎる手がその胸部を開き、そこでがくりと手を落とした。「そうか。もう、だめか」細い声が落ちて、その手が自分の首に伸びたから、掴んで止める。
 そこで初めて俺の存在に気が付いたという顔をするは、なんというか、死人の顔をしていた。
 目元のクマが酷いからそう見えるんじゃない。おそらく、人形が……以前の恋人の似姿がかろうじての命を繋ぎ止めていたのだ。それが壊れた。だからの心も死んだ。

「病院へ行こう」
「びょういん………」
「痩せすぎだ。眠れてないのもある。このままだとお前はすぐ死ぬ」

 細い腕を掴んで問答無用で抱き上げると、はほとほとと涙をこぼしながら笑った。「いいな。それ。しにたい」しにたい、とこぼしてもう動かない人形に手を伸ばすを家から連れ出し、徹夜で寝てない目にはキツい朝陽の中、しょうがねぇから個性を使って飛んだ。呑気に二時間に一本のバスなんて待っていられない。
 長野で一番大きい病院まで飛んで、個性の使い過ぎでさすがにガス欠になったが、受付に事情を説明してヒーローカードを見せ、例の刑事にも電話させて話を通させると、案外すんなりと精神病棟での入院を取り付けられた。
 ……母のときも思ってたが。あまりいい思い出はない。
 鉄格子のついた窓に、自分を傷つけるものが一切ないシンプルな部屋は見ていて退屈なくらいだ。
 ベッドには鎮静剤と栄養剤その他の管で繋がれ眠っているがいる。

「………はぁ」

 腹の底から息を吐き出し、パイプ椅子すらなかったから、病室の床に座り込む。
 しにたい、しにたい、しにたい。ここまで来るのにそればかり耳元で囁かれ続けて、頭がちょっとおかしい。徹夜で寝てないのもあるし、個性を使いすぎて疲れてることもあるが。しにたい、しにたいって、甘い声で、何度も、何度も。まるで一緒に死んでくれとでも言うように何度も。

「俺は生きるぞ。お前も生きるんだ」

 今はベッドで眠っているを睨みやる。
 死んでやるものか。死なせてやるものか。
 俺はヒーローだ。人を救うのがヒーローの仕事だ。

(そして、これは、私事でもある)

 それからは、一ヶ月に一度くらいの頻度での見舞いに行くようになった。
 最初の数ヶ月は抜け殻みたいにぼんやりした顔をしてるばかりだったが、あんまりにもその目が俺を見ないことにイラついてキスして舌を入れてやったら、ようやくぼんやりした顔をやめて俺のことを見るようになった。
 見舞いの時間は限られてたから、それが終わったら、の家まで行って掃除をし、寝転んだきりになってる人形のことは乾いた布で拭いて埃を被ってない状態にしてやったし、墓もちゃんと磨いて線香をあげた。
 とは、言葉での会話より、なるべく触れ合うことを優先した。
 体温を、生きていることを実感するために、手に触れたり、頬を寄せたり、額をくっつけたり、キスも何度もした。が嫌がらない限り、キス止まりの健全な触れ合いで、俺は生きてて、お前も生きてる、ということを実感させ続けた。
 そういうことを半年、一年と続けていくうちに、あの日非番の俺を連れ出した例の刑事に言われた。「お前、通い妻でもやってるのか?」と茶化したふうに。
 一瞬意味を考え、顎に手を当ててさらに考えて、「まぁ。そうですね」と返すと間の抜けたぽかんとした顔をされた。
 今はまさにそんな感じだ。俺が頼まれてもないのに勝手に世話を焼いて押し掛けている状態。
 ただ、最近になってようやく、とどろき、と呼ばれるようになった。俺のことを俺として認識するようになった。
 とどろきはきれいだね、と左の火傷の痕を撫でながらキスされるようになった。
 恋人を亡くし、似姿の人形を失くし、心が壊れてしまったの退院がいつになるのかはわからない。
 だが、母だって退院できた。ならにもその日は来る。
 いつになるのかはわからないが、俺はあいつを迎えに行くつもりだ。

(これは、恋じゃない)

 ただ、お前を生かしたい、死なせたくないという、一種の愛。なのだと思う。