「こういうの、いいな」

 ぽつりとした声にカメラから視線だけ外して「何が」と訊くと、足元で小さなボールで遊ぶ子猫に視線を落としたままの轟が、「こういうの。いいな」と繰り返す。えーと、だから、何が。
 小さな子猫が砂だらけになってボールで遊ぶ姿に癒される、ってことかな。それはまぁ全力で同意するけど。
 今日はプロヒの休息日、みたいな感じのことをテーマにした撮影日で、轟と俺は同じ事務所の人間で絡みもあるからってことで、今日轟の家にお邪魔し縁側でお茶をすすってせんべいをかじっている。で、足元には写真映えのためにわざわざ連れてきたらしい子猫に、お気に入りらしいボール。さっきからげしげし蹴っては転がって、追いかけてはげしげし蹴って遊んでいる。

「かわいーなぁ」

 でも、こういう小さい頃って、限定的なんだよな。猫なんて半年でもう大人になるんじゃないっけ。
 こんなに小さくてかわいい姿、子猫を飼ったとしても、見てられる時間は長くはない。プロヒなんてとくに。いつも事件に追われてあっちにこっちに走り回ってるようなもんなんだ。そういう俺たちに動物を飼うってことは難しい。
 俺も寝転がったら相手にしてもらえるかなぁ、なんて思って砂利の庭に転がってみたけど、子猫はボールを蹴るばっかりで俺になんて見向きもしない。
 動物好きとしては寂しい限りだ。ちょっとくらい相手してよ。「さびしー」苦笑いしながらごろりとまぁまぁ痛い砂利の上を寝転がると、真上から轟が俺のことを覗き込んできた。それで子猫のための遊び道具である猫じゃらしを揺らすではないか。……これは、乗るべきか否か。
 つか、今日の目的を忘れたのか。せめてその無表情をやめなさい、カメラがあるだろう。なんて思いながら腕を伸ばしたらすっと高く届かない場所に上げられた。「……轟ぃ?」「ん」手を下ろしたらすっと猫じゃらしが下りてくる。
 さっきより速く、奪い取るつもりでふんっと力を込めて腕を振ってみたけど、俺より轟の方が反応が速い。猫じゃらしはまた俺の手の届かないところでゆらゆら揺れている。
 ぱたっと手を下ろして目を閉じる。「飴と鞭の使い方がへたくそー」「そうか」「飴ちゃんがないと俺は動きませんよー」この場合の飴っていうのは猫じゃらしのことを言ってるわけだけど、何を思ったのか、砂利の踏まれる音がして、俺の上にずしっとした重み。げふ、と息を吐きながら目を開けたら轟のイケメンが眼前にあって呼吸が詰まった。

(待て、お前カメラある前で何してんの。つーか。喋ったらキスしそう)

 気のせいか、カメラマンが固唾を飲んで事の成り行きを見守っている気がする。
 口を開いた轟の吐息がさっき飲んだ緑茶だ。「飴だっけ」「…はぁ。まぁ」俺も同じ緑茶の息してんのかな、と思いながら応じると、とくに躊躇うでもなくごく自然な動作でちゅっとキスされた。唇に。それでさっさと離れたかと思えばまた猫じゃらしをゆらゆらさせ始める轟に軽く、いや、とても、眩暈を覚える。思わず目頭を押さえるくらいには。
 待って。色々待って。情報が追い付かないから。

「カメラある前で何してんだよ……」
「飴がいるって言うから」
「なんで飴がキス。意味わかんないって」
「俺のする甘いコトならなんでも飴だって、前に峰田が言ってた」

 峰田。確か轟と同じく雄英卒で、どスケベで有名なちっこいヒーロー。だっけな。「お前なーそんな奴の言うこと間に受けるなよ……」今頃になって俺のところにやってきた子猫がにゃあと鳴くのを抱き上げ、轟の猫じゃらしで遊び始める姿を胡坐をかいて眺める。
 今の撮られたんだろうなぁ。っていうか疑問に思ってるんだろうなぁ。『えっこの二人ってそういう関係?』って。
 誓って言うけど、俺と轟はそういうアレではない。同じ事務所に勤務しているプロヒ同士。見かければ声をかけるし飯を一緒に食うくらいはするけどそんだけ。
 たったそれだけの、プロヒで同じ事務所にいればよくある関係しか築いてない。と、俺は思ってた。轟がどうかは知らないけど………。
 数日して出来上がって来た『プロヒの休日特集』草案は、やはりというか、轟が俺に乗っかって今まさにキスしそうなとこからキスしたやつまでバッチリ撮られたものも採用されていて、結果、エンデヴァーに呼び出されることとなった。

「どういうことだこれは」

 草案を燃やさんばかりの勢いで握っているエンデヴァーはお怒りのようである。そりゃ、自慢の息子が俺なんかとキスしてりゃなぁ。
 俺は首を竦めて「轟にされました。俺は被害者です」きっぱりすっぱり事実を告げると、横にいた轟が不服そうに眉間に皺を寄せたのがわかった。

「飴が欲しいって言ったじゃねぇか」
「あの場合の飴はどう考えても猫じゃらしだろ」
「んなの言われなきゃわからねぇ」
「むしろなんでキスって方向になるのかの方が、」

 言いかけて口を噤む。エンデヴァーの怖い顔に拍車がかかっている。これ以上喋るなと言わんばかりだ。
 とにかくこの写真は取り下げさせるという怖い声に二人して無言で同意して、執務室から追い出された。
 廊下で二人で突っ立って、なんとなく視線をやれば、轟はこっちを見ているではないか。しかもなんか不服そうに唇を尖らせている。
 不機嫌とまではいかないけど、あれだ。末っ子爆発してる。

「………あのさ。お前さ。もしかして俺のこと好きだったりするの?」

 そういうことならキスしてきた意味もまぁわからんでもないっていうか。
 それとも、世を騒がせるイケメンは男だろうが女だろうがキスくらい朝飯前で、誰にだってしてみせるのだろうか。
 轟はきょとんとした顔で目を丸くした。そうしているとイケメンがだいぶ幼い顔になる。

「俺、告ってなかったか」
「は?」
「言ってなかったのか。そうか。言ったつもりでいた」

 改まったようにこっちに向き直った轟がこほんと一つ咳払いをして、イケメンで真面目な顔を作ったかと思えば、「好きだ」たった一言の短い言葉を告げて、それで照れたのか色の違う両目を伏せた。
 は? と我ながら掠れた声を漏らし、肩を掴んだ手を払えずにいると、キスされた。
 イケメンがとても近距離にあってピントが合わない。ぼやけている。

「撮影のとき。休日は、猫と遊んで、お前と過ごす。そういうのが、いいな、って意味で言った」
「あー……ああ、あれそういう…」

 こういうのいいな、ってぼやいてたけど、あれってそういう意味だったのか。
 つうか、告白したつもりでいたってどういう思い込みだよ。轟が天然だってのは知ってたけどそれはよっぽどだぞ。
 気のせいではなく痛む頭に手を添えて、とりあえず轟の肩を押して体を離す。「ちょっと、待って。状況整理」「おお」「確認するけど……お前俺が好きなの?」「ん。って人間が好きだ」「あ、うん。はい」って同姓同名がいない限り、俺のことが好きだ、って言いたいんだろうけど。やっぱ天然入ってるなこのイケメンは。
 しかし、俺は轟焦凍という人間をそういう目で見たことはない。『仕事のできる同僚』『頼れるプロヒ』『実力もあってイケメンで羨ましい』……思うことはそんなところか。
 困ったことに、お前の好きに返せるような答えを持ってない。それが現状だ。
 俺がもう一歩離れると、轟の眉尻が下がった。イケメンはそういう面も様になるな。「俺のこと、嫌いか」「いや、嫌いっていうか……そういうふうに見たことが一度もないっていうか。戸惑っているといいますか」一歩詰めてくる轟から逃げる理由はないけど、近づく理由もない。そんな感じ。
 困ったな〜と視線をビルの窓の外へと投げる。そこに答えはないし、ただ青いだけの空が答えをくれるわけもない。

「じゃあ、好きにさせる」

 耳元で聞こえたイケボにばしっと耳を叩く。
 卑怯すぎる不意打ち攻撃。女子だったら孕むところだぞ。

「はっ?」

 思わず顔を向けるとちゅっとキスされた。そこに立っている轟は普段なら撮影でだってしないだろう不敵な笑みを浮かべていて、ちょっと心臓がドキッとした。イケメンがイケメンなことしたらイケメン度は増すに決まってる。ずっるい。
 ………俺だって別に。お前と縁側でお茶すすってせんべいかじって、猫見て和んでる、ああして過ごす時間が嫌いとか、不快とか、思ったわけじゃないけど。さ。だからって急に好きだとか言われても困るわけですよ。
 じりじり後ずさるぶんだけ距離を詰めた轟に、俗に言う壁ドンされて、耳元で「覚悟しとけよ」と囁かれて、孕むかと思った。耳が。

 そうして、轟焦凍にオフでも仕事でも猛アタックを仕掛けられる怒涛の日々が幕を開けたのである。