滑り台とブランコ、鉄棒、あとはベンチしかないちょっとした公園 。
 夕焼けの橙に染まったその場所に子供の姿はとてもまばらで。その場所をぼんやり眺めている隣の紅白髪の持ち主に気付いて片手を挙げて車を停めてもらい、抱き上げることも簡単な小学一年生の体をすくい上げるようにして外に出る。「え。あ、の」本来ならこのまま轟の家に戻らなければならないのだが……。
 私は黒塗りの車を振り返って「どうだろう、煙草休憩に、十分というのは」彼が喫煙者であると知っている私がそう提案すると、私の意図を理解したんだろう、彼はにやりと笑って「いいね。じゃあコンビニまで行ってこよう。また十分後に」と言って車を発進させた。
 行儀よく被っている帽子を取って「さあ、時間がないよ。どれで遊ぼうか」と遊具を指す私に、轟焦凍という少年はぱぁっと顔を明るくさせた。「いいの?」「いいよ」「じゃあ、ブランコ! 次にね、滑り台!」子供らしく駆け出す姿を追いかけて、子供らしく遊ぶ彼が斜陽に照らされている姿を目を細くして眺める。
 轟焦凍。
 母親が心を病み、顔に煮え湯を浴びせられるという、一生消えない理不尽な傷を負った子供。
 父親である轟炎司。ヒーロー名エンデヴァーから彼の世話役を仰せつかった私は、今日もまた少し、仕事とは関係のないことをして、いつも唇を噛んで耐えた顔をしている彼の心の息抜きになればと、ブランコを揺らすために小さな背中を押す。

「もっと! 高いのがいいっ」
「落ちるなよ」
「うんっ」

 勢いよくブランコを漕いで、夕焼けの中に足を投げ出す小さな子供。
 自分にはこんな時期がなかっただけに、その姿は視界を射す斜陽以上に眩しく映った。
 たったの十分。五分ブランコで遊んで、何度か滑り台を上り下りすれば終わってしまうような休憩時間だが、それでもないよりはいい。
 一生懸命走り回ったからだろう、頬を上気させている焦凍のことを抱き上げ、滑るようにして停まった黒塗りの車に乗り込む。「ナイショだぞ」「うん」「ズボンが汚れちゃったのは、地面に座ったからだってことにしておこう。ね」「うん」今このときは素直に笑ってみせる焦凍の紅白の髪を撫でて、もとのように行儀よく帽子を被せる。
 貴殿との契約期間だが、焦凍が小学校を卒業するまでとする
 はい。その条件に異論はありませんが、質問をお許しいただけますか
 なんだ
 その後は、どうなさるおつもりですか
 その頃には自分のことは自分でできる歳だろう。世話役など必要ない。家のことをこなす適当な使用人を雇う。それで事足りる
 ……畏まりました。炎司様
 私には契約期間が定められている。そんな大人の事情は小さな焦凍の知らぬ話だ。
 轟焦凍という少年は根は優しく、末っ子らしく甘えん坊で、よく『一人では寝られない』と言って枕を抱えて私のところにやって来ては私の布団の中ですやすやと眠った。
 厳しい父親の、行き過ぎたと言っていい個性特訓にも、涙目で相手を睨み上げながら立ち向かっていく、その姿は健気だとも言えた。
 お母さんを傷つけた父親を許せない。
 お母さんを追い詰めることになった自分も許せない。
 そうやって泣き顔を耐えて唇を噛み続ける、そんな君を許そうと、小さな子供を抱き上げて、夜の庭を散歩したり、厳しい父親が仕事でいないとわかっている日には彼を外に連れ出しもした。
 体の成長とともに個性を強くしていく、同じくらいに父親への憎悪を募らせていく彼の、昏い目をした、本当は優しい子供の力になってやりたかった。
 しかし、そのためには、六年という定められた期間は短すぎた。 
 学校の行事をなぞる日々はまるで飛ぶように過ぎてしまい、焦凍は小学校を卒業。同時に、私は静かに彼の前から消えた。
 私と同じで今日で解雇の身である運転手の彼と最後に煙草を吸い合う。「いいのか」「何がだ」「結構思い入れあるんだろ。傍から見てりゃわかる」「ああ…」ふー、と吐き出した煙草の先でジジと音を立てる火を眺める。
 さようならも、言わなくていいのかと。別れの挨拶もなくていいのかと。彼はそう言いたいのだろう。

「そっちこそ。今後の仕事の予定、決まってるのか」
「あー。まだだけどなぁ。まぁ、なんとかなるだろ。お互いキズモノ同士、なんとかやってこうぜ」

 軽く上げられた手に私も片手を上げてぱんと手を打ち合わせ、そうして、轟家の運転手、焦凍の世話役として六年職場を共にした彼とは別れた。
 ……私も彼も、ヴィランとまでは言わないが、汚れ仕事をしていた時期がある。
 そんな私たちが雇われたのは、ナンバーツーの息子である轟焦凍の身の安全のためだった。
 実際、彼は『エンデヴァーの息子』だからという理由で何度もヴィランに狙われた。その度にそのための許可証をもらっている私たちが個性で撃破、あるいは捕縛し、警察に引き渡してきた。
 その権利も今はもうない。
 子供の面倒を見るのに手いっぱいで、他に手に職をつけるような暇もなかった。得意なことというのもないし。帰るべき家というのも、ない。頼れるような友人も。家族も。いない。
 はぁ、と息を吐いて空を見上げる。今日は曇天。まるで私の人生の曖昧さを表しているようだ。
 天涯孤独のこの身には、広い世界は寒すぎる。

「さて。どうしようかな」

 ゆっくりと吸い終えた煙草を靴の底でもみ消して吸殻を拾い上げたとき、カツ、と目の前に上質な革でできている女ものの靴が立った。「決めたわ。あなたにする」「……?」若い声に視線を上げると、高校生くらいだろうか。これも上質だとわかるドレスに身を包んだ娘がいて、腕組みして私のことを見下ろしていた。
 彼女は無遠慮にじろじろと私のことを見て回る。「顔はまぁ合格。所作は今後次第ね。ちょっと、立ってみせて」「…はぁ」仕方なく立ち上がった私を見上げた彼女は満足そうに頷く。「理想的な背丈だわ。これならお父様も文句は言わないはず」「…あの……?」話についていけない私の横に黒いスーツを着た体格のいい男が二人、脇を固めてきた。
 乱闘か、とこれまでの経験上拳を握って片足を引く私にまだ少女と言える子が手のひらを向けると、バチッ、と音がして、光の茨のようなものが私を拘束した。瞬間の衝撃。「が…ッ」電気の個性。そう気付いたときには、私の意識は消失していた。
 そうして私は拘束され、私の意見などは許されない、そういう場所に軟禁された。
 私も馬鹿ではなかったから、普段から拳銃や真剣を持ち歩いているような物騒な建物内で阿呆な真似はできないと、皆から「お嬢」と呼ばれている娘に求められるまま、粛々と従った。
 ここにいる限り寝食には困らない。
 多少窮屈で、多少、いや、かなり私の意思というものを捻じ伏せられはするが、それさえ呑み込めれば、生きるのには困らない。

「今日はパーティーがあるわ。この間の紫のドレス、用意しておいて。靴は合うものを選んでおいてね」
「はい」
「髪のセットもあるから、人を手配しておいて」
「畏まりました」
「もちろん、、あなたも行くのよ。ふさわしい装いでね」
「はい」

 頭を下げて見送る私に、学校へ行くための車に乗り込む前に足を止めた彼女が私を見る。「顔を上げてちょうだい」「…はい」それで、私の意思など無視に、キスをされる。まるで周囲に見せつけるように。
 そうして意地の悪い顔をして車に乗り込んだ彼女が去れば、そこは敵地の只中のようなものへと変貌する。彼女はそのことをわかっていてやっている。
 どこの馬の骨とも知れない男を連れ込み、それを自分のパートナーだと言い張り世話を焼かせる。あまつ、夜のお供さえさせる。今日などはパーティーへ連れて行くと公言までしてみせた。
 私を射殺すかのような目、目、目。
 そんな中を無言で歩き、自室とされている場所に入って、扉に鍵をかけたところで安心などできない。
 何せここには銃もあれば真剣もあり、個性も攻撃的なものを持った人間が多い。少しでも気を許せば、私のことなど『事故死』で片づけられてしまうだろう。そして、彼女はそれをあまり気にしない。おそらくそういう、人で遊ぶことに慣れた人生を送っている。
 私と夜の時間を過ごすとき、ベッドを軋ませるとき、彼女は私でない者の名を呼ぶことがある。それがわざとなのかは知らないが、今までそれだけ相手にしてきた男がいるのだということだろう。

(焦凍……元気だろうか…)

 ぼんやりとそんなことを考え、あの六年間はなんだかんだで平和だった、なんてことを束の間思い、唇を緩ませる。
 さようならも言わずに彼の前から消えることを選んだのは自分だが……こんなことならきちんとお別れをしておくんだった。そんなことを思いながら、彼女に指示されたとおりのことをこなし、パーティーに出席。私のことをパートナーだと公言して腕組みしてまだ小さな胸を押しつけてくる、そんな相手に微笑して返すのに苦労する。
 パーティーが終わればお屋敷に帰宅し、「着替えを手伝って」と誘う指に指示されるままに紫のドレスを脱がせていく。
 私のネクタイに手がかかり、スーツの上着が落とされ、ベルトが外され……そうやっていつものように奪われながら、気がすむようにさせていると、外の方がにわかに騒がしいことに気がついた。…喧嘩だろうか。この場所では珍しくないこととはいえ。

「もう。集中して」

 ぐいっと顔を上向かせられて、「ごめん」と、二人のときだけは敬語を外した言葉で返し、キスをねだる唇に望む通りのものを与える。
 私は男だが、とくにそういう欲求はない。乾いた人生らしく性欲も乾いている、そんな自分だから、彼女の望むように情熱的にベッドを軋ませるという要求には毎度苦労する。
 それで、そんな私がじれったいのか、彼女は私を押し倒すと自分から私の上に跨った。騎乗位というやつだ。「いいわよ。私が、自分で、ヤるから…っ」お嬢様とは思えない、すべてを晒して開脚した格好で私を咥え込み、ぱんぱんと肉をぶつけてくる音に、体は多少感じても、心はまるで動かない。
 ………この生活を続けていれば、楽でいい。いつ死ぬのか怪しいという問題点はあるが、焦凍の面倒を見ていた頃と同じだ。
 小学校の高学年頃から、あまり笑うということはしなくなったけど、よくも悪くも素直な子だったと思う。
 今頃、どうしているだろう。蕎麦以外のものもちゃんと食べてるだろうか。姉兄とは仲良くなれているだろうか。私がいなくなったことであの家の中の空気はどうなったろう。

「もう、集中…っ?」

 ぱちゅ、という水音と彼女の声がふいに途切れた。
 ぼやっとしていたところから視線を投げると、彼女の二つの乳房のちょうど間から、氷の棘が生えていた。
 太い一本が彼女を貫き、そのまま数を増やしていき、彼女のことを胸を中心にドスドスと貫き、ついには上下に裂いた。
 どさ、と人だったものがベッドの下に落ち、ぐらぐら揺れたあとに下半身の方もどさりと落ちる。
 その死体とも呼べない体を蹴飛ばしたのは、紅白色の髪をした。轟焦凍。だった。まるでここに来るまでに何人も殺してきたと言わんばかりにそこら中に赤い色をつけている。

「焦凍…?」

 呆然とその名を呼ぶことしかできない私に昏い目を向けた焦凍が、笑う。この状況で。自分が殺した人間の死体が転がる部屋で笑う。「探した」それでふらりとベッドに上がると、動くことのできない私のことをぎゅうっと抱き締めた。「探したんだ。本当に。やっと見つけた」言いながら焦凍の手がこの状況にさすがに萎えた私のに触れた。左の熱い手だ。コンドームを取っ払った熱い手が直に肌に触れてくる。

「クソ親父もお前も何も言わないから、知らなかった。解雇されるとか。知ってたらちゃんと伝えたのに」
「…っ?」

 熱い手のひらで私のものを扱き始める焦凍に困惑していると、キスされた。そのまま唇を舐めた舌が口の中に捻じ込まれる。
 半冷半燃の個性のせいか、焦凍の舌はぬくいのか冷たいのかよくわからない温度をしている。
 不思議な感覚を味わっていると、ちゅ、と音を立てて顔を離した焦凍がそのまま私のを咥え込んでフェラを始めるから、さすがに何か言わなければと口を開いて、言葉が出てこなかった。

(なんて声をかければいい。私のためにここまでしてしまった焦凍に、何を言えばいい)

 お嬢相手で勃たせるのに苦労するのに、今の自分はきちんと勃起している。「なんだ。元気だな」よかった、と笑った焦凍がズボンとアンダーを脱ぎ捨てて私の上に跨って、それからベッドに転がってるローションをちょうどいいとばかりに私のにぶっかけて、ずぷりと後ろの孔に埋めていく。「しょぅ、と」そのキツさに声を絞り出すと、焦凍がまた笑う。とても満足そうな顔で。

「好きだ、。こういうことしたいって意味で、好きだ。ずっと好きだった」

 ずぶずぶと私を咥え込んでいく焦凍の中がとてもキツい。
 私はそっちの知識はあまり知らない。が、男でも後ろの孔を犯されて気持ちがいい場所っていうのがある、くらいのことは知っている。たぶんそこに届いたんだろう、焦凍が「あ、」とこぼして腰を揺らし始めた。自分から。それで「」と手を伸ばしてくるから、その手に指を絡めて握り返して、自分から動いて水っぽい音を立てながら喘ぐ姿を見上げる。
 ……不思議な感覚だ。
 ついこの間まで小学生の、仕事で面倒を見ていただけの子供が。今は私とセックスしてるんだから。「あー、きもち、ィ、」自重でどんどん私のを奥に埋めていった焦凍の口から涎が垂れて、生理的なものか、快感故か、絶対に泣かなかった子供が涙を流している。だらしなく涎を垂らした泣き顔で夢中で腰を振っている。
 その顔を見ていると。それまでただされるがままでいた自分が、動いていた。
 焦凍の体を抱き寄せてぬぽんと自身を引っこ抜き、そのことに「あゥ」と声をこぼした焦凍をベッドに組み敷く。
 今度は自分からキスを仕掛けて、熱いのか冷たいのかわからない舌を味わいながら、掴んだ足の間、ひくりと動いている場所に自分のを押し当てて、ずぶずぶと挿入していく。「ん、んンっ」少しコリコリしてると感じる場所で声を漏らした焦凍に、ここがいいのかな、と擦ると、大人とも子供とも言えない体がびくりと震えた。

(ここがいいのか。じゃあたくさん突いてあげよう)

 背中に縋りついて爪を立ててくる焦凍のことを犯しながら、頭のどこかは冷静にこの状況についてを考えていた。
 この部屋までたどり着くのに焦凍が何をしてきたのか。血に濡れた服を見ていれば想像はつく。
 すべては『ヴィラン同士の武力抗争』という事件として丸め込まれて片付けられる。エンデヴァーならそうする。焦凍にすべてをかけているあの人が、こんなことでこの子の人生を駄目にさせるわけがない。使える権力を総動員して自体をもみ消すだろう。それがヒーローらしからぬことだとしても。
 ぱん、ぱん、と肉欲をぶつける度に焦凍が悲鳴のような声を上げて喘ぐ。「ぎっ、もぢ、、あッ」「もっと奥も?」ぐり、と腰を押しつけると焦凍の中がぐじゅりと収縮して絡みついてくる。「お、ぐ、もぉ、ほじぃ」ぼろぼろ泣きながら縋って来る焦凍の腰を掴んでずるると抜ける寸前まで腰を引き、「や、やだ、やめな、」余計に爪を立てて縋りついてくる焦凍に笑いかけてから、力の限り腰を打ち付けると、悲鳴とともにブシャッと透明な液体が噴き出した。男の潮吹きってやつだ。

(もう、離れられないな)

 背中に縋りつく手の強さ。つけられた痕の数。焦凍が私を求めてしてしまったこと。
 束の間目を閉じて、開く。
 目の前には全身で息をしている焦凍がいて、その体は快楽に乱れ、あらゆる体液で汚れてヒクつき、絶対に泣かなかった子が今は泣きながら私を求めてキスをしてくる。
 ………六年もあった。六年もあって、焦凍の気持ちに気付けないとは。私もなかなかの阿呆で、薄情者だったな。

「焦凍」
「ん……」
「続きはまた別の場所で。ここは嫌だろう?」

 三回イってようやく萎えた焦凍に静かに語りかけて、お嬢様、だったものを指す私に、焦凍は無感動な目を向けた。「ああ……きたねぇ。から。いやだ」「動ける?」「むり」「…しょうがないな」適当に落ちていた衣服を身に着け、焦凍にはバスローブを着させて、苦労しながら重くなった体を抱き上げて部屋を出る。
 和風の渡り廊下に転がる、氷漬けになった死体。あるいは氷に貫かれた死体。氷で突き破られた壁。
 氷が生えまくっている屋敷内を歩いて出て、立派な門をくぐったところで「とまってくれ」と言われて足を止めて、焦凍が左腕を上げるのを見た。
 あれだけ嫌っていた父親の力のある左手を向けた焦凍が、迷わずに火を放つ。すべてを消し去るために。
 背後では爆発音のようなものが響き、いつかの夕焼けのような色が辺りを染め上げる。

「私のためなら、炎も使うんだね」

 ぽつりとこぼすと、焦凍は笑った。それは幼い頃の塾の帰り道、公園で遊んだときに見せた、あの表情にも似ていた。「お前のためならなんでもするぞ。人も殺すし、左も使う。なんでもする。本当だ」満足そうにそう言って胸に顔を擦りつけてくる焦凍をぐっと抱き締めて、木造故にあっという間に燃えていくその場を離れるために歩き出す。

(焦凍の気持ちに気付かず、そばを離れ、ここまで追い詰めてしまったのは私だ)

 その責任は、果たさなければ。
 ……そうしても嫌じゃないと思える。
 簡単だ。六年だった契約期間が、無期限に延長される。ただそれだけの話。
 お前が望む通りにそばにいよう。生き続けよう。それは、たぶん、ここでの生活を思えばずっと苦痛ではないから。
 お前の笑った顔を見ながら生きるのは、私にとっても、

(幸福。だ)

 たとえそれが、どうしようもなく歪んでしまった想いからきているものだとしても。私はそれを受け止めて、その心の形を少しずつ元に戻していこう。いつかの公園で、屈託なく笑ったお前を取り戻すために。