『緊急手配中のヴィランと思しき人物。見つけ次第確保せよ』

 今日の勤務は午前中まで。昼に蕎麦でも食って帰るかと席を立った矢先、緊迫感のあるメッセージとともに表示されたのは、一枚の写真だった。
 携帯でとっさに撮ったのか、ブレてるし、わかりにくいが、写真の中に映っているのは子供……のようにも見える。
 事務所で映像処理が得意な奴がブレブレの映像を綺麗にした結果、わかった顔は、やはり子供のものと。それから、老人みたいな白髪。傷だらけの肌。白い装束。個性を使っているのか浮遊してどこかへ行こうとしている、そういう一枚の写真だった。
 なんでも、この写真が撮られた場所ではコンクリートの地面が突如陥没。周囲百メートル、民家や商店も巻き込みながら、すべてが地に沈んだらしい。
 その中心部にいたのがこの子供で、だから『この事態を引き起こしたヴィランと思しき人物』とされたわけだ。
 ……子供だが、逃げた、ってのはよくない。事情を聴かなきゃならないことには変わりないだろう。
 相当な被害が出ているはずだが、救援要請の方はウチまではきてないなら、あっちの人手は足りてると見ていい。
 現場はうちからは遠いが、浮遊する個性なら移動距離は稼げるだろう。こっちまで来ないとは限らない。

「見回り行ってきます」

 本来なら今日は午前で上がっていいんだが、緊急手配のこともあり、俺は自主的に街のパトロールに出ることにした。
 怪我をした白髪の子供、を意識しながら上空から、ビルからビルへと飛び移りながら人混みの中に目をやる。
 今日はとくに大きな事件も事故もなかったと思ってたが、それは俺が目に見えている範囲での話だった。実際には、事件か事故かまだ不明だが、多くの人が犠牲になる事が起こっていた。その現実に拳を握り締める。
 とにかく。その子供がヴィランかどうかはさておき、話を聞く必要がある。見つけ次第確保をしないと。

(……ん?)

 凝らした視界の先に、この辺では見ない白い装束と、白い髪の、子供が。ビルとビルの間、細い路地裏に入っていくのが見えた。
 すぐにその場を飛んで子供が入った路地裏に飛び込んで後を追う。せめぇ。思うように走れやしない。「待て!」細い背中に声を張り上げると、子供が振り返った、その顔が、なかった。ごっそり、まるできれいに切断されたみたいに、顔面がなかった。そのことにぎょっとして体が硬直する。

「来ないで、ください」

 顔がないのに、どこから発声してるのか。子供はそう言ってずるりと引きずるような動作で角を曲がる。
 はっと我に返って、とにかく追わなければ、と足が動く。邪魔なゴミ箱や缶を蹴飛ばしながら苦労して狭い路地裏の角を曲がって、倒れている子供を発見した。「あが…ッ」びぐん、と不自然に震えた体の足が、ゴキ、と音を立ててあらぬ方向へと折れ曲がる。
 かけようとした声が掠れて言葉にならずに消えた。
 子供が目の前で折りたたまれていく。目に見えない何かによって。
 ハンカチを、洗濯物を、きれいにたたむように。腕が、足が、ありえない方向に折りたたまれて、その度に赤い血が噴き出て飛び散り、ついにはゴキリと鈍い音を立ててその顔が真正面ではなく真後ろを、背中の方を向いて、止まった。

「……おい、」

 今自分の目で見たことが信じられなければ、何もしてやることができなかった自分も信じられなかった。
 すべてが流れるような速度だったとはいえ、これがヴィランの仕業なら、ヒーローである俺が止めなくてはならなかったのに。目の前で。子供を。死なせてしまった……。

(救急車。は。もう無理か。なら警察か? だが今見たことをなんて説明すればいい。なんて言えばいい。手配中の子供が目の前で折りたたまれるようにしてこうなってしまったって、そんな馬鹿みたいな説明をするのか? 俺はそれをただ突っ立って呆然と見ていただけだ、って?)

 とにかく、脈があるのか、そのくらいの確認はしようと、ばしゃ、と赤い色を踏んで膝をつき、折れ曲がっている腕の手首に触れる。

「……あ?」

 脈。が。ある。
 嘘だろ。
 俺の願望とか、俺の手が震えててそう誤認してるのか。とにかくもう一度ちゃんと確かめようと今度は反対の手で脈を測る。
 ………弱々しいが、ちゃんとある。生きてる。この状態で。顔がなくて、手足を真逆の方に折りたたまれて、首は真正面じゃなく真後ろ向きにされて。それでも、生きて。

『おい貴様』
「、」

 気がつくと首筋にピタリと冷たい何かが据えられていた。それからしゅるしゅるととぐろを巻く、蛇、のような体があることに今頃気が付く。ならこの冷てぇのは牙か何かか。動くのは、得策じゃない。

『ヒーローか』
「……そうだ」
『役立たずめ。すでにあの地は堕ちた』
「は?」
が身を持って怒りを受けているからあの程度の陥没で済んだのだ。感謝せよ』
「はぁ?」
『人間を救うというのなら、さっさと無益な争いを治めよ。これではキリがない』

 なんだ。何言ってんだこの、蛇みたいな体の奴は。まるきり意味がわからねぇ。
 失せよ。その言葉が頭の中に響いたとき、俺の意識は混濁として、まるで寝起きの頭みたいに視界も意識も何もかもが歪んだ。
 その霧のようなものが晴れたあと、頭を振りながら地面を見れば、もう何もなかった。折りたたまれた子供も、蛇のようなものも、何もなかった。血の跡でさえ。「………」立ち上がって振り返っても路地裏には他の誰の姿もなく、ビルの上まで飛んで辺りを見回したが、もう件の子供の姿はどこにも見つけられなかった。
 ただ、一つ収穫はあった。「」あの子供の名前だ。それに、付き人か知らないが、蛇のような姿の何かも一緒にいる。
 だがこの不確実で不確かな情報を、果たして報告すべきなのか、判断に迷った。
 洗濯物みたいに折りたたまれ、ありえない方向に曲がった手足、真後ろを向かされた頭。削ぎ落された顔面。それでもあった脈。蛇のような生物に威嚇されたこと。「……無理だろ」ぐしゃ、と髪を握り潰してビルの屋上で蹲る。
 …………これは事務所に戻ったあとで聞いた話だ。
 例の崩れた場所というのは、道路の老朽化が進んでいたのと、古い紙の媒体に『採掘』をしていた場所として記録が残されていたらしい。
 つまり、人為的に引き起こされたものではなく、自然と、そうなるべくしてなった。その可能性もある、ということだ。
 紙の媒体しかなかった時代に採掘がされて、時代とともにそれは忘れ去られ。空洞がある地面の上に、そうとは知らずに道路が敷かれ、家やビルが建てられ、土地がその重みに耐えられなくなって陥没した。…ありえない話ではない。ありえなくはない。が。
 が身を持って怒りを受けているからあの程度の陥没で済んだのだ。感謝せよ
 確かにそう言っていた声の主と、ホラー映画に出てきそうなくらいにグロテスクな見た目になっていた子供を思い出して、寒気のする腕をさする。
 これは、俺のただの勘だが。なんだかとんでもないことが起こっているような。そんな気がしてならない。

(探さないと)

 あの子供と。それから、蛇みたいな奴を。
 気がついたら俺は長期休暇の申請書を提出、というか親父の顔面に叩きつけ、容認否認なんぞ知ったことかと事務所を飛び出していた。