補正をかけて見やすくなった写真に、ヒーローショートという自分の知名度だけを頼りに道行く人に声をかけまくった結果、白っぽい服を着た子供なら山の方へ行くのを見た、という老人に出会った。
 入れ歯は取れそうだし、着てるもんはパジャマだし、俺のことを孫かなんかだと勘違いしてるのか「真昼」とか呼ぶし、アルツハイマーとかで記憶が怪しげな感じはしたが、「龍がお付きの御子様なんてなぁ」とぼやく声に「ありがとうございますっ!」と残してとにかく山へと走った。

(龍。そうか。俺が蛇だと認識してたアレは、龍だったのか)

 古ぼけた文字でなんとか山道と書かれている入り口の、くたびれたマップをひったくるように手にして、走って、走って。
 そうしてようやく追いついた相手と、今並んで歩いている。
 しゃく、しゃく、しゃく。
 橙、黄、紅。その下に埋もれる山道の土の色。
 様々な色の枯れ葉を踏みつけながら、秋模様の緩い昇り坂の道を歩く白い装束の子供の隣で、ゆっくりを意識しながら歩く俺を、白い龍がさっきから睨んでくる。
 最初こそ睨み返していたが、睨み合っていたところでキリがないことに気付いて、今は黄色いその目はスルーしている。

「どこ行くんだ」
「ええと。そうだなぁ。あっちの方」

 白い装束を揺らして小さな手が指さした方角には木々があるだけだ。
 携帯の電波は入らないだろうと踏んで入り口で取って来た山道のマップを広げる。「……何もねぇぞ、そこ」現在地と、が指した方角を合わせてみるが、ただの山だ。山道のルートですらない。
 が、はさっそく山道を外れた整備されてない茂みの中に入っていく。「おい、」慌てて後を追う。また見失う前に。
 汚れ一つない白い装束はどこにいたって目立つはずなのに、ふと視界から外した瞬間に消えてしまいそうな存在感のなさが共存していて、見ていてとにかく不安だった。
 こいつの目撃情報だってじいさん一人だった。何百人にも聞いてたった一人しかの存在を知らなかった。こんなに白くて目立つ服を着てるのに。
 ……この間はあれが真っ赤に染まった。赤い血で。



 呼ぶと、相手は立ち止まった。こちらを振り返る顔に表情はない。およそ子供のする顔じゃない。顔に火傷を負った頃の俺だって、もう少し表情があったぞ。「体は、大丈夫なのか」どこか乾いた声で訊ねると、相手は首を傾げた。

「見てのとおり。動いてます」
「いや、そういう意味じゃ……」

 子供の首に巻き付いてこちらを睨んでいる龍と目が合って口を閉じる。
 下手なことを言うとこの龍に飛びつかれそうだな。そうなっても氷で防ぐが。
 そこでぐぅ、と鳴った腹に、思い出して、ポケットに入れっぱなしになっていたエネルギーバーを取り出す。そろそろ昼だから食おうって思ってたとこだったっけ。
 はどこにでもあるエネルギーバーのパッケージをじっと見つめて、「それは、なんですか?」と小首を傾げて白い髪を揺らした。「食べ物。……食ったことないのか」じゃあやる、とそばまで歩いて行って差し出すと、小さな手が受け取って、封の破り方がわからないのか引っくり返したり振ったりしている。
 封を開けてから渡してやると、中に入っている長方形のクッキー生地を見て難しい顔になった。よかった。表情筋は動くんだな、と変なところで安心する。
 意を決したようにエネルギーバーにかじりついたが目を見開いた。それからガツガツと小さな口で押し込むようにして食べていく。よっぽど腹が減ってたのか?
 それじゃ喉が渇くだろうと水の入ったボトルをキャップを捻ってから渡すと、がしっと掴んで取られた。意外と遠慮がないぞこいつ。
 ごくごく中身を飲み干したがぷはっと息を吐いて、「初めて食べた。へぇ、すごい」なんか知らないが一人で感心している。そんなの顔を白い龍がじっと見ている。

「人は、普段こういうものを食べるんですか?」
「いや、これは……そうだな。時間がなくて、パッと片手間で食事をすませたいときに食うもんで。普段はもっと違うもんを食うと思う」
「たとえば?」
「たとえば……俺は蕎麦とか…」
「ソバ」

 俺は蕎麦ばっかり食うからあんまり普通の食事ってもんをしてないし、本職がヒーローで、ゆっくり飯を食ってる暇がないときはそういうもんでパパッとすませるから持ち歩いてるだけだ。一般人なら自炊するなりカフェやレストランに入るなりでもっとゆっくり食事すると思う。
 蕎麦も食ったことがないのか、は考えるように虚空を見上げていたが、空になった容器と袋を遠慮なく俺に押し付けた。「おかげで元気になりました。ありがとうございます」腹減ってたのか。まぁ俺も減ってるんだが。
 仕方なく背中のリュックにゴミを入れ、新しいエネルギーバーを取り出してかじりながら歩く。
 道なき道を進んでるっていうのに、の足に迷いはない。目的地がわかっていてそこへ向かって歩いている、そんな感じだ。
 とくにうまいともまずいとも感じないエネルギーバーを義務的に胃に入れ、水を飲んで、歩き続けて三十分。地図を見てもどの辺りにいるのかもう曖昧だなって頃にが足を止め、小さな手で前方を指した。「アレです」「?」小さな指を辿ると、人の手の入っていない井戸、のようなものが草原の中に微かに見えている。
 近くに朽ちたと思われる木の残骸もある。昔はここに家があって、誰かが住んでいて使われていたものかもしれない。
 これがどうした、と首を捻る俺に、白い龍はふんと鼻を鳴らした。『貴様には何もわかるまいて』……いちいち喧嘩腰だなこいつ。なんなんだ。
 は一つ息を吐くと白い龍の体を撫でた。

「手っ取り早い。見せてあげよう。ね」
『……私にそうしろ、と』
「うん。僕が何をしているのか、その目で見てもらえば、わかってもらえるし。できれば説明もしてくれると嬉しいな」

 俺を置いて進む会話にむっと眉間を見せていると、白い龍が嘆息してしゅるりとの首から離れた。仕方あるまい、という本当に嫌そうなぼやき声のあとに龍が俺の頭の上に乗っかる。
 瞬間、ブワッ、と空気が変わった。
 秋模様に染まった山。少し肌に冷たかっただけの空気が変質した。
 感じた寒気、殺気、敵意。
 思わず身構えてしまってから、周囲に溢れ返っているソレが、井戸からきていることに気が付いた。
 間違っても誰かが落ちないようにコンクリートで蓋をされた、もう使われていない井戸から、黒い、泥のようなものが、溢れている。ソレには意思があるかのように井戸の周りを這いずり、何かの形を成そうとしている。

「なんだ、あれ」

 あの泥がこの冷たさの原因だってことは俺でもわかる。あれは何か良くないモノだ。
 しゃく、と落ち葉を踏んで歩いていくの足に迷いはない。多くのヴィランと対峙してきた俺でも足が動かない黒い泥を前に膝をつき、祈るように手を組み合わせて目を閉じると、ブツブツと何語かわからない言葉を口にし始める。
 頭の上の龍は、仕方がなさそうに、白い爪で泥のことを指した。『アレは穢れだ』「ケガレ…?」『お前たち人間が生み出す、自然には不必要なモノ。醜さ。エゴ。怒り。悲しみ。この場所が感じたそういったモノが積もり積もって表まで出てきた。それがアレだ』俺の見ている前で泥が斧の形を成す。泥の刃。「…っ」動こうとしたが足が鉛のように重い。言うことをきかない。
 自分の首を狙っている斧を前に、は笑ったようだった。

「謹んで、お受けいたします」

 そうして、泥の刃がありえない鋭さと速さで細い首をブツンと切断した。
 ぼん、と地面に落ちた小さな頭に、声も出てこない。
 ……普通なら。死んでる。
 だけど、の口はブツブツと何か言葉を口にし続けている。生きているのだ。体と首を切断されてもなお。

は人類を救う人身御供なのだ』
「ヒトミゴクウ……?」
『贄、ということだ』

 ニエ。
 生贄。
 泥でできた斧が、そのままの体を切り刻み始めた。まな板で包丁を使って野菜を切るかのように、白い装束に包まれた細い体が細切れにされていく。肉片にされていく。

『ああして、この場にある怒りを受け入れる。その身を持って痛みを知り、怒りを受け止め、鎮める。そうして生きるのがの役目だ』

 小さな、子供の体が、人間とはおよそかけ離れた肉片へと変わり。体から離れても何か言葉を口にし続けていたその顔にもドンと斧が落ちて、脳髄が飛び散り、ついに言葉が途切れた。それでも斧は振り下ろされ続ける。泥でできた斧はそれが顔だったということもわからないくらいにを刻み続け……止まった。
 斧の形を取っていた泥が崩れてべしゃっと地面に落ちる。それと同時に周囲の空気から冷たさというのが抜けていき、俺の体はようやく動くようになった。「……、」しゃく、と落ち葉を踏みつけ、肉片になってしまったのもとで膝をつく。
 これが。役目? ヒトミゴクウ? なんだそれ。…なんだよ、それ。

『近く、人類は滅ぶ』
「あ?」
『その運命を引き延ばすため、達の一族は代々こうしてきたのだ』
「代々、って。なんの罪も犯してない、子供がか」
『そうだ。無垢で、己に罪はなく、その身は潔白である。なればこそ、地に溜まったモノも納得するのだ。罪なきお前がそこまでするのなら、我々も消えてやろう、と』

 肉片と血の赤の中に沈む、輪切りにされた心臓。それがドクリドクリと鼓動を続けている。
 こんな状態でも生きているに自然と涙が溢れて落ちた。『人間が行ってきた身勝手をその身に受けてこうなったのだぞ。貴様が泣くのは筋違いだ、人類の一端を担う者よ』バシ、と龍の尾で頬を叩かれる。
 なんの話か、まだよくわかんねぇよ。人類が滅ぶとか、運命だとか、急にそんなこと話されたってわかるわけがねぇ。けど。

「いてぇだろ。ごめんな。何も、してやれなくて」

 俺は、ヒーローなのに。人を救うのがヒーローなのに。俺はお前に何もしてやれない。
 前回も、今回も。蠢く肉片に、だったものに、俺は何もできない。
 バシ、と俺の頬を叩いていた龍の尾が止まった。『貴様。のために泣いているのか』「うるせぇ」ぐい、と袖で目元を擦る。
 お前らがやってることも、これからやろうとしてることも、まだぼんやりとしかわからねぇけど。

(ついていく。放ってなんか、おけるか)