時間は、少し遡る。

 ヒーローにこのアジトが見つかるようにわざと行動した俺は、慎重に時間を測った。
 弔が我慢できる時間。雄英が動き出すまでの時間。ヒーローが集うまでの時間。
 轟となら精魂尽き果てて死ぬまでセックスしてたいけど、そういうわけにもいかないのが現実だ。「あ゛ーイぐ、ィ、」「うん」「〜〜〜〜ッ」メスイキして痙攣を繰り返す轟の首に最後の注射を打って、意識を失った紅白頭をやんわりと撫でる。
 お前はいい子だったから、ヴィラン連合が欲しがってる言葉は最後まで言わなかった。ずっとセックスして追い詰めたってのに、快楽漬けの思考で、よく頑張った。
 次は俺が頑張らないといけない番だ。
 気を失った轟に最後のキスをして顔を離し、裸はな、と考えて俺のシャツを着せることにした。ちょっと小さいみたいだけど、彼シャツってやつだ。
 緩んだ口元を自覚して意識して表情を消し、名残惜しさを感じる指で最後のボタンを留めて手を離す。
 ぱた、と音を立てて落ちた雫のせいで滲む視界を指で拭って払う。
 煙草の煙と性のにおいが混じり合ったこの部屋はクーラーの効きが悪くて、とにかく暑い。この汗もそのせいだ。
 シャワーを浴びて適当に着替えてから弔たちのいるバーに顔を出すと、バーカウンターを中心にヴィラン連合のメンバーが集結していた。「お。終わったのか」荼毘は轟のことになるとなぜか絡んでくるのがちょっと鬱陶しい。
 射殺す勢いでこっちを睨んでくる弔が怖いったらないけど、なるべくいつも通りを心掛ける。「ちょっと休憩。さすがに死ぬから」軽く返しながらバーのテーブルに散らばっている適当な菓子をもらって口に放り込む。

「あー、食べたぁ。トガのですよぉ」
「一個くらいちょうだいよ」
「もー」

 ぷくっと頬を膨らませてみせるトガに笑いかける自分の笑みは優男のそれだ。我ながら面の皮が厚い。
 わざと証拠を残した。ヒーローがここを追えるように。
 テレビでは今まさに雄英高校が謝罪会見をしてるけど、これはフェイクだろう。その思惑通り、ヴィラン連合はテレビの会見を笑いながら見てるし。お菓子広げてジュースやら酒やら飲んで、すっかり勝利ムードって感じ。
 ………ヒーローは俺の思惑通りに動いてくれた。
 雄英の生徒を助けるため、謝罪会見を囮に、オールマイトを始めとしたヒーローが集結。轟のことを救出した。
 ばいばい、と口の中だけで呟いて、いるべき場所へと戻った轟を見送る。
 俺の人生で唯一美しかったものは遠くへ去った。

(いいんだな。これで)

 頭の中の声に、いいんだ、と返す自分は静かで、心は凪いでいた。
 ヒーローたちによる全力の急襲に完全に不意を突かれる形になったヴィラン連合は、拘束されかけたけど、そこはさすが先生。させなかった。
 先生が自ら黒幕として表に立つことで、博士の力も借りて、俺たちは逃がされた。
 最も、それは俺にとっての逃げではなくて、新しい地獄ってだけだったけど。

「おい」

 目の前に立った弔にシャツの襟首を掴まれた。「なんだよこれ。何ヘマしてんだ」「…それ、俺のせい?」弔には確証はないはずだけど、俺を見下ろす赤い目はギラついていて、一度灯った弔のそういう熱は発散するまで止まらない。セックスと同じだ。
 どこかヤバいって空気は連合のみんなが感じてるんだろうけど、一人も動かない。弔の怒りを買って灰になりたくないから。

「で、それとはまた別。二日か、三日か? 快楽漬けで轟焦凍を連合に取り込むって話、どうなった」
「……堕ちなかった」
「あ?」
「堕ちなかった」

 本気で口説き落とせばこちらに来てはくれるだろうけど、俺にそのつもりはないから、堕とせなかった。そういうことにしておく。
 ぼやいて、ピリつく空気、誰一人として動かない連合メンバーに視線を這わせてから、表情の読めない顔でどうすべきかと思案しているだろう黒霧を指す。「場所を変えよう。黒霧」命令を待ってたんだろう、黒霧は俺の言葉でも聞いた。
 俺と弔の二人をワープで転移させた黒霧は俺たちを二人にした。
 どこかの雑木林。他に人目のないその場所で、弔の血走った赤い目が俺を睨んでいる。

「灰にする前に、言い訳くらいは聞いてやろうか」

 弔は自尊心が強い。ストレスに弱い。今も、ばりばりと首を引っかいている。
 弔にとって俺は所有物。少なくともそう思っていたはずだ。長い間自分の面倒を見てきた男で、セックスしろと命じたら抱く、自分に抗わない、そういう都合のいい男だった。
 そんな、自分のものだと思ってた男が、他の奴を抱く。それだけでもいい気分じゃなかったろう。俺が夢中になって抱いてたっていうんならなおのこと。

(ああなってる弔はオレでも殺せない)

 頭の中の声に、ああ、とぼやいて返す。
 弔が油断しているか、以前みたいに俺に対して心を許していたなら、首を刎ねる隙はあった。けど今はそれもない。
 弔の首をかく手は酷くなる一方だ。血が滲んでる。

「今ここで俺の手で殺してもいいが、そうだな。脳無にして一生俺に侍らせるってのも手か。そしたらもうどこにもいかないし、俺以外見ないだろ」

 なぁ、と笑う弔の凶悪な笑みに、懐の短刀に手を伸ばす。
 そうくると思ってたよ。
 抜き放った短刀は、これまで多くの人間の命を奪ってきた。もう一人の俺の手で。今日でそれも最後になる。
 短刀を抜いた俺に弔は若干構えた。「届く前に、俺が灰にする」「そうだな。そうだと思う」もう一人の俺が俺の体を使うとき、よく人じゃない動き方をしてると言われたが、酒と煙草で爛れた体じゃそれももう難しい。

(オレが、お前にしてやれる最後って、こんなコトか)

 つまらなそうにぼやく声にごめんと返して目を閉じる。
 脳無にされて弔に仕えるなんてごめんだし、研究材料として博士に脳を弄られるのもごめんだ。
 なら、こうするしかない。
 再利用できないように。頭をバラバラに切り刻む。
 すう、と最後の呼吸をして、思い出したのは轟のことだった。先輩、と呼ぶ声だった。
 ………俺とお前のことは、他の誰かも感づいてるかもしれないけど、証拠は一つもない。俺が黙って、お前が黙れば、誰も何も言えない。後ろ指さされるだけですむ。だから轟、うまくやれよ。これからも隠し続けろ。それで、頑張ってヒーローになれ。
 俺のことは、忘れていいから。
 今日のことも、これまでのことも、全部忘れたらいい。
 後ろを振り返るんじゃなく、前を向いて生きろ。オールマイトみたいなヒーロー目指して頑張れ。
 お前のやりたいように、お前のなりたいものになれること、願ってる。
 最後の呼吸を終えた俺に、ヒュン、と音を立てて刃が煌めいて、視界を一瞬で切り刻む。
 そうやって俺は終わった。弔に灰にされることなく、脳無になる可能性も潰して、死んだ。