クソ親父のせいで俺の精一杯の作戦が失敗して以降、は俺と微妙な距離を取り始めた。と思う。 二人きりの状況になるのをなるべく避けている気がするし、実際、キッチンで仕事の炊事してるとき以外二人になれた試しがない。 そのことに思ったより気落ちしている自分がいることが笑えた。 わかっていて始めたことなのに、何を参ってるんだか。 には好きな奴がいる。思い出すだけで胸が苦しくて、一緒にいた時間は甘くて溶けそうだったと、そう言っていた相手がいる。 加えて、世間一般的に言えば、恋も愛も男女間で抱くべきモノで、事実、それが大多数だ。 それでも、と思って始めたのは俺だ。勝ち目がないかもしれない戦いに自分から臨んだ。それで心が挫けそうになってるんだからざまぁないと思う。 ……俺に告白してくる女子のことは鬱陶しいとしか思ってなかったが、今は、少しだけ感心してる。玉砕覚悟で自分の気持ちを吐露する。それってすげぇ勇気のいることだって知ったから。 自室で宿題を片付け、気晴らしに自主練でもしようと庭に出ると、甘い香りがした。甘くて苦い。煙草の香り。また吸ってる。 自分が傷つくだけかもしれないとわかっていても、その香りに吸い寄せられるようにふらふら歩いていく俺は馬鹿だと思う。 は自室の前の縁側で煙草を吸っていた。その横顔が真剣そのもので、一体何について考えてるんだろう、と思う。 ………それがもし好きな相手のことなら。俺はその思考を壊してやりたい。 「わっ」 気がつくと俺はの横っ腹からがばっと抱きついていた。驚いたが煙草を落としそうになって危うくキャッチしている。「び、っくりした。危ないよ焦凍くん」灰が落ちても俺なら平気だけど、そういう問題じゃないってのはわかる。 困った顔で髪を撫でてくる手を掴まえて唇を寄せると、逃げられた。わかってたけど。 俺の方が力が強いから、なんとか距離を取ろうとしてるのことを逃がさないままぎゅうっと抱き締め続ける。 体の、目に見える傷と違って、心が傷つくのは厄介だ。薬を塗って治すってこともできない。見えない傷がどれだけ深いものなのかもわからない。……それでも。 「俺のこと、見てくれ」 前はこの言葉に返事をもらえなかった。 俺の髪を撫でていた手が止まる。 致命傷を負うことを覚悟でぎゅっと目を閉じて言葉を待つ俺に、はぁ、と吐息が降ってきた。溜息。そうわかって閉じた視界がじわっと滲むのがわかる。 (の好みの人間になればいい。まだ中二なんだ、いくらでも自分を変えていける。そうすれば可能性はある) たとえ玉砕しても諦めない女子みたいに、俺も諦めない。 唇を噛んで泣きそうなのを堪えていると、また頭を撫でられた。「君の年齢はいくつですか」「…? 来年の誕生日で、十四」「俺はいくつ?」「……二十歳」なんの話だ。歳がなんだっていうんだ。まさか、俺の気持ちをまた誤魔化す気なのか。俺は本気なのに。 じろ、と睨み上げた滲んだ視界に、優しく笑っているがいて、息が詰まった。俺の大好きな表情だ。…ずりぃ。 「もうちょっと待てない? 高校生くらいまで」 ……その言葉の意味を考えた。考えたけど、自分の都合のいいようにしか解釈できなかった。 改めて確認するのは俺の傷を深くするだけな気はしたけど、もしかしたら希望もあるかもしれないと、そう思ったから、気が付いたら口が滑っていた。「どういう、意味」緊張で口がカラカラに渇いている。 灰が落ちそうになっている煙草を携帯灰皿に突っ込んだが俺の火傷の痕に口付けた。その唇が囁く。「そういう意味だよ」と。その甘い声に、火傷の痕をなぞったぬるい温度に、体中がどうしようもなく騒がしくなって、心臓がドクドクとうるさいくらいに鼓動する。 「最初に会ったときはお前は十歳で、俺は十六。これじゃ明らかに犯罪だったし、十四のお前相手でもわりと犯罪気味だから、俺は我慢をしてるわけだよ」 「………うそ」 「嘘? つく意味ある?」 「だ、って、好きな奴が、いるって。姉さんと話してるの、聞いた」 「あー、あのとき聞いてたのか。…それお前のことだよ」 甘い声が夢にまで見た言葉を紡ぐのに、俺は自分の耳が信じられなくてばちんと叩いた。幻聴じゃないかと思って。そんな俺を苦笑いで見下ろすを呆然と見つめる。 この人は俺よりもずっと片思いをしてて、その相手は俺で、俺のことを思って、今までずっと我慢をしてきた………? それで、姉の告白も断った? こんなことあっていいのか。こんな、夢みたいなこと。「信じ、られねぇ」「えー。うーん……」困った顔で冬の夜空に視線を逃がしたが自室を指して「あっち行こ」と言う、その甘い声のままにふらふらと襖戸の向こうに入る。 あんまり私物が目立たないの部屋の、畳んである布団の上に座らされて、香りばかりが甘い、すげぇ苦い煙草味のキスをする。 流し込まれる苦い唾液を飲んで、ぬるりとした他人の温度に自分の舌を絡める。「ん、」キスしてる。恋人同士しかしないようなキスをしてる。俺と、が。 前のときは理由があった。『声を上げないように』そのためのキスだった。でも今は違う。 何度も夢に見てたことが現実になってる。 しつこいくらいに隅々まで俺の口を蹂躙した舌が離れて、ぷはっと息を吐いて、俺との唇を繋いだ唾液の糸をぼんやり見つめる。 急に熱が集まりすぎてちんこが痛い。夢中でキスしてたせいか頭がぼうっとする……。 「辛そう」 ジャージの股間をつつつとなぞる指に体がビクつく。「またシてあげようか」甘い声が耳を食んで、舌が、耳の中まで舐めてくる。 すげぇぞくぞくする。あのときだって気持ちがよかったのに、今はそれより気持ちよくなれる気がする。「どうしたい?」と囁く声に、空ぶる口でシてほしいと訴えると、は優しく笑って俺のズボンをアンダーごとずり下げた。 世の中がクリスマス色に染まっていく十二月。 表面上はこれまでと変わりなく過ごしている俺は、が「今年のケーキ何がいい?」と訊いてきたときも、いつもと同じように「ショートケーキ」と答えた。 夏兄がチーズケーキで冬姉がチョコケーキだからみんなの希望はバラバラだ。それで毎年ケーキ作りを諦めるは、今年も諦めることにしたらしい。「ケーキ屋さんに予約だな」とぼやきながらクリスマスだからと入りまくるチラシから洋菓子屋のチラシのチェックを始める。 リビングで期末試験に向けて教科書とノートを交互に読み込んではページをめくる。 試験に不安はないけど、他にやることもない。これは一応の復習だ。 ケーキのことがひと段落したんだろうがノートパソコンの前から立ち上がって、コーヒーを淹れ始めた。「焦凍くんいる?」「ん」本当に二人きりだとわかっているとき以外、は俺のことをくん付けで呼ぶ。今日はまだ家事代行の人が出入りしてるから、そのせいだろう。 ドリップコーヒーを淹れたは、俺にはミルクと半分で割った苦くないやつをくれた。 マグカップのコーヒーをすすりつつ、また思案顔でノートパソコンを見ている。さっきはケーキで、また何かに悩んでる。 「今年のメニューはどうしようかな」 「……クリスマスの飯?」 「そう」 毎年毎年、クリスマスのご飯がマンネリしないよう、この人は努力してるのだ。 今までいろんなクリスマス料理を食べてきた。それを何年も続けてるとなれば、行き詰まるものなのかもしれない。「俺はなんでもいい。なんでも食べる」が作るものはうまいし、なんだって食う。 毎年そんなことを言ってるからか、は苦笑いでノートパソコンを操作している。 それで、結局ヒントはなかったのか、参ったなって顔になるとパソコンを畳んで部屋に戻って行った。 ……俺が何か案を出せればいいんだけど。食には頓着がないし。蕎麦がいい、って言ったらクリスマスらしくないって却下されるだろうしな。 今日やる予定の教科の復習を終えて教科書とノートを片付けていると、コートを着たがやって来てチャリンと家の鍵を揺らした。「俺、ちょっと出てくるけど。焦凍くんどうする?」そんなの訊くまでもなく答えは一択だろ。「行く」「デパ地下だけどいい?」「ん」教科書とノートを持って自室に戻り、適当に着替えて玄関に行くと、が俺のことを待っていた。そんなことでジンとするのはおかしいのかもしれないが、なんか、デートに行くみたいで、ちょっと照れくさい。 寒風吹きすさぶ中、家を出て電車に乗り、デパートのある駅へ。 はデパ地下の惣菜コーナーを真剣な顔で吟味して、俺は隣でその横顔を眺めるだけ。 総菜の色んな香りがするフロアで、色んな呼び声がするそこで、だんだんと困った顔になっていく好きな人を眺める。そういう顔も好きだ。 「ヒント、なさそうか」 「んー。だいたい作ったんだよなぁ」 わざわざデパ地下まで来たけど的には収穫はなさそうだ。 ちゃっかりケーキのチラシだけはもらっていくの横で、駅にあるスタバを指す。「ん?」「……喉渇いた」本当は別に渇いてない。だけどこのまままっすぐ家に戻るのはもったいない気がしたから口実を作った俺を、わかっているのかいないのか。相手はとくに疑問に思った顔でもなく「寄っていこうか」とスタバに入っていく。 なんでもいいと言った俺にはカフェミストを二人分と、二人で半分にするんだろう、ケーキの皿を一つ持って窓際のソファ席を陣取った俺のもとにやって来た。 「ピスタチオ使ったケーキだって」 とくに興味はなかったけど、半分に切られたから大人しく食べておく。…思ったより甘くなくて食べやすい。 なんかこれってデートみたいだな、なんて思いながら目の前の好きな人から窓の外へと視線を逃がすと、腕組みして歩いていくカップルが見えた。 クリスマス色の街並みに溶け込むよくある風景。 だけど、俺とには絶対にできないこと。 そんなありふれた姿をいいなと思う俺がいて、そんな自分を頭の中で殴りつける。 だって我慢してるんだ。俺だって我慢できる。我慢しろ。 「そういえば、進路の方は決めた?」 唐突な話題にカップルから視線を引き剥がした俺に、紙カップのカフェミストをすすりながら声をかけてきたの目がいつもより鋭い気がする。 にとっても俺の行く先は大事、ってことだろう。だって恋人。なわけだし。 浅く頷いて「雄英。推薦枠狙ってる」前にもその予定だって話はした気がするけど、俺の気持ちは変わってない。 俺の実力なら問題なく行けるはずの、ヒーロー育成校として有名な学校のことを告げると、は神妙な顔で俺より長い足を組み直した。「ヒーローになりたいんだね」「…ん」週末、クソ親父にボコられる回数も減ってきた。に出会った当初みたいな大負けはしないようになってきた。このまま自分を鍛え続ければヒーローになることは難しくない。そのための雄英だ。 は深く息を吐いて紙カップを置くと、「左手出して」と言う。 首を捻って左手を差し出すと、両手でやわらかく包み込まれた。俺より細長い指が俺の手の甲を撫でる。「それなら、ちゃんと左も使わないと駄目だ」「………クソ親父の力なんざ使わない」いくらの言うことでもこれは譲れない。右の氷の力だけでヒーローになって親父を見返すって決めてる。アイツの炎なんて使わない。 「俺が死にそう、ってときも使わない?」 「は?」 「目の前で俺が死にそうになってても、それでも、左の炎は使わない?」 ………そんなことにはならないだろ。オールマイトがいる限り、あの人が立ち続ける限り、ヴィランによるそんな犯罪許すわけがない。 黙り込んだ俺に、はおどけるように肩を竦めて手を離した。 ぱた、と膝に落ちた左手には力がない。 ……もし。仮に。が死にそうになってて、それが右の氷じゃ助けられないどうしようもない場面だったとして。左の炎の力が必要だったとして。もし、そんなときが来たら、俺は。俺は。 |