俺がを見つけて、が轟の家に来て、五年。
 最初こそ遠慮がちに家事代行の人の仕事を手伝ってたが、今では自分から率先して家のことをするようになった。
 今日も、ぎっくり腰をやったというばあさんに代わって同じ内容の仕事を淀みなくこなしている。
 その様子を視界の片隅で確認しながら飛んできた拳を紙一重で回避、氷の足場を蹴って空中でひらりと回転する。

「どこを見ている」
「どこも見てねぇよ」

 空中で交錯した親父の声に舌打ちしたくなるのを堪え、左から炎を噴射して構える。
 ガキの体とはいえ、五年も同じことを続けてれば、高校の自分とそう変わらない個性力を発揮できた。炎に限って言うなら、この体の方が使い勝手がいいくらいだ。
 左の指先から弾丸のように放った炎の礫を親父が残らず相殺していく。
 攻撃の手を休めることなく叩き込んでいくが、腐ってもプロヒーロー。俺より経験を積んでいる人間。ガキの俺にやられるなんてことはない。
 まだ思うように体はできてねぇし、親父からは一本も取れないままだが。この分なら自分の実力不足でを失うってことはないはずだ。たとえあの野郎が現れても。
 無数の手をつけた気味が悪いヴィラン、死柄木弔のことを考えながら親父と相対し、なんとか一撃叩き込んだが、しょせんはガキの体だ。ようやく筋肉らしいものがついてきて背も伸びたが、まだガキの体重しかない。俺の一撃は軽く、親父は簡単に防御して切り返してくる。
 そういう攻防をどのくらい続けたのか。「炎司さーん焦凍〜」下からの呼び声に視線を向けるとがこっちに手を振っているのが見えて、親父の攻撃を避けるついでに下まで降りた。砂利の地面に着地してそばに行けば「お疲れさま」とタオルが差し出される。三時のおやつ。もうそんな時間だったらしい。
 受け取って顔の汗を拭い、仏頂面で降りてきた親父を無視して縁側に腰かける。
 最初こそ不慣れだったけど、今では日本茶を淹れるの手つきに迷いはない。

「おやつは?」
「今日は和菓子」

 盆の上には小さなサイズの紙箱があり、ぱか、と開けられた蓋の向こうにはかわいいサイズの饅頭が納まっている。
 触れたら壊れそうな繊細さに、カロリーを気にしそうな女子が手に取りやすい小さなサイズ。姉さんとか好きそうだな。

「最近オープンしたお店で、宅配もしてくれていたので。茶葉を買うついでに」

 物言いたそうな視線にはそう説明すると、親父の機嫌を窺うように箱を持ち上げた。「せっかくなので、どうでしょうか」おい、食えよ。がお前のことも考えて頼んだんだぞ、と言葉にはせず視線で睨みつけていると、親父は口をへの字にしながらでかい手で小さな饅頭をつまんで一口で食ってしまった。おい、味わえ。
 焦凍も、と差し出された紙箱の上で指を彷徨わせ、気付く。「これ、四つしかない。の分は?」俺と、親父と、冬姉と、夏兄と。それでもう四人だ。一個足りない。
 は苦笑いで「俺は甘い物はいいや」と無難な逃げ道を口にする。
 ぷう、と頬を膨らませて、手にした小さな饅頭を半分だけ食べて、残り半分はの口に押し込んだ。
 自分のことを当たり前みたいに蔑ろにする。そういうところは嫌いだ。
 食べるまで口に当てた手は離さないぞって顔で睨みつけていると、観念したが饅頭を口の中に転がした。「あまい」とぼやく声に手を離す。最初から半分こって言ってればよかったんだ、ばぁか。
 親父は微妙な顔で俺たちのやり取りを見てたが、携帯を引っぱり出すと早々に茶を飲み干して立ち上がった。「仕事だ」「はい。お気をつけて」「焦凍、始末はしておけよ」庭であちこちに突き刺さっている氷を指されて「わかってる」とぼやいて返すと、親父はずんずんと廊下を歩いて視界から消えた。
 ふう、と息を吐いたが正座していた足を崩して胡坐をかき、湯飲みの茶をすすった。
 新しい店のはほんのりと桜の味がする。そういう期間限定のものなのかもしれない。

「最近、炎司さんも忙しいね」
「その方がウザくなくていい」
「こら」

 素直なところを言ったんだけど怒られた。なんでだ。だって親父が得意ってわけじゃないだろうに。
 玄関の引き戸が開く音、車が停まる音、発進する音が続いて、静かになって、家事代行の人間が掃除機をかけている音が遠くで聞こえるだけになる。
 ……うちの庭には桜の木はないから、家に閉じこもっているとあまり季節感を感じることはできないけど。吹く風はぬるくて冷たさを感じないし、朝晩の冷え込みもなくなってきた。もうすぐ春が来るのだ。
 あたたかくなったら、の膝を借りて、縁側で日向ぼっこをしたい。そんなささやかな幸せを思いながら春の味がするお茶をすする。
 二人でお茶を飲んだら、はおやつの片付けをし、俺は庭に突き刺さってる自分の氷を左の炎を使って溶かして始末していく。
 広い庭を一通り見て回ってから戻ると、縁側に腰かけているがいた。なんか、遠い目をしている。気がする。考え事か。
 それでも俺が寄っていくと笑う、その笑顔が気に入らなくて睨みつけた。俺のために笑うなって前に言った。「ああ、いや。うん」むにっと自分の顔を両手で挟んだが軽く息を吐いて地面に足を投げ出す。

「これはさ、贅沢だってわかってるんだけど。デートがしたいなと思ったんだよ」

 ぼそっとした声に何度か瞬きしてから首を傾げる。「俺とか」「え、お前以外いる?」いたらそいつを氷漬けにするか燃やし尽くすかしてるところだ。
 でも、そうか。俺とデートしたいって思ってくれてるのか。……そっか。
 ようやく二桁になった、それでもまだ小さい自分の手を掲げてから、の隣へ行く。
 ヴィラン連合の死柄木弔を捕まえてからの話にはなるけど。「俺も行きたい」とこぼすとは口元を緩ませて笑った。今度は自分のために、自分の気持ちに正直になったからの笑顔。

「ほんと? 嬉しい」
「俺も、嬉しい」

 この世界でも俺のことを好きになってくれて、抱いてくれて、嬉しい。俺と一緒に生きていてくれて嬉しい。「けど、シガラキ、捕まえてからだ」「あー」「お前が危険になるのは嫌だ」「あー。うん」苦く笑うは『死柄木はもう俺のこと狙わないよ』とは言わない。気休めでしかないことは言わない。
 …………死柄木の野郎はあれから尻尾を出さない。
 あの日から何度かテストを受けるために家を出てはいるけど、会場にはプロヒーローがいるし、送迎にも護衛をつけてるから、こっちに手を出したくてもできないってのが本当のところだろうけど。雄英を襲った頃のように、連合が力をつける前に叩きたいが。それにはどうしたらいいのか。
 考えていると、隣でが手を叩いた。いいことを思いついたという顔だ。

「俺が囮になるのはどうだろう」

 ……自分のこめかみと唇が引きつった気がする。
 は至極真面目な顔で顎に手を当てて「デートってことは伏せて『ヴィラン連合捕縛のための囮作戦』みたいな、もっともらしい感じのことをするのは? って。もちろん、警察とかプロヒーローとか、許可が出ればの話だけど」悪い考えじゃないと思うんだけどな、と首を傾げるの紺の髪が揺れて、一瞬、先輩に重なる。
 言葉に詰まってから視線を庭へと逃がして、一応、考えてみる。
 このまま家に閉じこもり続けるのは簡単だ。
 ここにいる限り、俺はにずっとついている。可能な限り一緒にいる。野郎が襲ってきたとして対抗できる。その自信もある。
 ここにいる限りは安全だ。
 けど、これまでを考えるなら、安全の代わりに状況の進展もしない……。

(ワープの個性持ち。野郎がいつから死柄木と組むようになるのかは知らないが、あのワープ持ちがいない間に決着をつけた方がいい)

 ワープの個性がどのくらい融通が利くのかとか、詳細はわからない。
 最悪、この家にも侵入してくる恐れがある。
 ……四六時中一緒にいたはずのの姿が砂粒みたいに瓦解して、指の隙間からこぼれていく。
 必死にかき集めても砂粒になってしまったが元みたいに笑ってくれることはなくて、心臓が凍えて血の循環が終わり、体は死体のように冷たくなる。そんな想像が簡単にできてしまって、どくどくとうるさく鼓動する左胸を押さえつける。
 ………なるべく早く、死柄木を捕らえる必要がある。そのためには多少危険な橋を渡る覚悟も必要か。

「親父に。言って、みる」

 ぼやいた俺に、は一人考え込んでなんかブツブツ呟いている。「ほら、弔はなんか俺に執着してるしさ。だからうまくやれば誘き出せると思うんだけど、問題は場所だよな。あんまり人の多い場所も少ない場所もよくないだろうし、選定が難しいな」だとか「でも遊園地行きたいな」だとか。
 遊園地。
 行ったことないな。前の人生では遊ぶなんて許されないまま、個性特訓ばっかりだったし。先輩とだって、デート、なんて、行けないままだった。
 ………死柄木をタルタロスにぶち込む。そしたら遊園地なんていくらでも行ける。
 次の一手で決める。
 こちらから仕掛けて、ヴィラン連合を誘き出す。