俺が発案したヴィラン連合、もとい『死柄木弔捕縛作戦』は、テレビでも取り上げられる有名な秘湯のある温泉旅館が舞台に設定された。
 そこへ俺を含めた轟家(炎司さんはエンデヴァーとして仕事があるので来られない、という設定で実際仕事をしててもらう。そうすれば弔の警戒も緩まると思うから)の四人で二泊三日の旅行へ行く。
 なぜその旅館なのかというと、山奥にあって民間人の安全の確保が容易だから、だそうだ。
 加えて、これまでにも何度かヒーロー作戦の展開のために協力をお願いしたことがあって、今回も宿として営業できない間のお金さえ払えば協力は惜しまないとのこと。
 二泊三日のその間は、旅館に泊まる他のお客さんも、世間に顔が割れていないサイドキックなどが分担して担当する。
 ここまでして弔が来なかったら大変な損失が生まれるわけだけど、そこはプロヒナンバーツーである炎司さんがマネーを出してくれるそうなので、その財力に恐れ多くも甘える所存である。
 ………弔から隠れるようにして暮らすのは、もう疲れた。

のためなんだ」

 冬美ちゃんと夏くんを前に畳に手をついてきれいに土下座した焦凍に俺の方が慌てる。「あ、えっと、お願いします」俺のことなのに焦凍が土下座してて俺が土下座してないのも変だし、慌てて倣うと、冬美ちゃんがパタパタと手を振る気配。

「ちょっとやだ、やめてよ二人とも。私はもちろん協力するよ。ね、夏もでしょ」
「……ってか、準備も何もかもすんでるし。拒否権ねぇじゃん」

 つまらなそうにぼやく声に苦く笑う。
 ここまで大々的に展開される作戦なわけだから、そりゃあ、拒否権はない。ごめんな夏くん。
 そういうわけで、『俺を狙ってるとあるヴィランを誘い出すために温泉旅行に行く』という名目で冬美ちゃんと夏くんを説得。
 桜も散って緑深まる五月。
 ゴールデンウィークという世間的な休日、旅館も繁盛期を終えた某日。
 炎司さん、入院している冷さんを除いた四人で、炎司さんが手配した車に揺られ、作戦地である温泉旅館にほど近い駅に到着。そこからは旅館の人が手配してくれたバンに乗り換えた。
 一緒に車に乗り込んだ宿泊客は、実はサイドキックな人たちである。そうと言われないとわからないくらい旅館と秘湯を楽しみにしている一般人になりきっている。
 なんでこんな面倒くさいことをするかって、この旅行がなるべく自然に見えるために、だ。
 麓の駅からバンで揺られて十分。
 風情ある灯篭と階段の道を行けば、轟家よりもまた一段豪華だと感じる和な赴きの建物が俺たちを出迎えた。石畳に竹藪が揺れる音がとても似合ってる。

「うわぁ、素敵」

 冬美ちゃんが感激の声を上げる気持ちもわかる気がする。
 女将さんは着物を着た上品な人で、俺たちが案内された部屋は本館から渡り廊下を行った離れだった。豪華な別宅、って感じだ。
 一通り部屋の説明をしてくれた女将さんによれば、この場所は普段は貴賓向けに案内をしているらしい。つまり、めちゃくちゃ高い部屋だ。
 本館には名物の秘湯があるけど、小さくともこの部屋にも露天風呂があるという豪華仕様。
 轟家でだいぶ見慣れたつもりだけど、ほんと、上って見るとキリがないよなぁ。貧乏だった俺には色々と眩しい。
 家族で旅行に来た、という体が整えばいいわけだから、轟家で旅館に入った時点で冬美ちゃんと夏くん、二人の役目は達成したと言ってもいい。
 そんなわけだから、夏くんはさっそく別行動に出た。そういうオトシゴロなのだ。「じゃあ俺風呂行ってくるわ」冬美ちゃんも秘湯のお風呂が気になってるようで、「あ、ちょっと待ってよ夏、私も行く」鞄片手にパタパタとスリッパを鳴らして行ってしまう。
 この旅館を一人きりで出ないこと、というのが二人に伝えてある最低条件だ。
 なるべくなら一人行動も避けてほしいとは言ってあるけど、どこかでサイドキックの人が目を光らせているはずだから、一人行動してたとして大丈夫のはず。
 焦凍と二人になって、なんとなくお互い顔を見合わせる。

「寝床、あっちでいい?」

 冬美ちゃんが二階、夏くんが一階の和室を陣取っているから、あと眠れそうな場所といえば、障子戸で区切れる二、三畳くらいの広さの月見部屋しかない。
 外をよく見られるようにと窓が大きく、ベランダもあって、寝る場所としては狭いんだけど。どうせ俺と焦凍はくっついて眠る。スペース的に、置いてある家具を寄せれば、布団一組敷くくらいならなんとかなる。
 こくりと頷いた焦凍が俺の服をぎゅっと掴んで引っぱる。「部屋に露天がある」「うん。さすが高い部屋」一泊いくらするのか知らないけど、家具一つ取っても高そうなここで二泊もできるとか、贅沢だ。
 高そうな木製の椅子に腰かけ、月見部屋ってだけあって外がよく見えるように設計されてる椅子でぐっと背伸びする。長く車に揺られて疲れた。
 ボストンバッグを置いた焦凍が俺の顔を覗き込んでくると、また伸びた髪がパラパラと降ってくる。「ついたばっかりだぞ」「ドライブにちょっと疲れて……」ほら、普段ずっと家だからさ。
 小さな手が伸びてぺたりと額に当てられる。右手はひんやりと心地いい。

「二人きりだ」

 囁く声音と丸い瞳にごくりと喉が鳴ったけど、いや待てマテ、と冷静になる。いや、冷静を装う。
 年上の人間として、そんな簡単に流されてちゃ駄目だ。
 この二泊三日、旅館の人以外は普段サイドキックとして働いている人たちがそこかしこにいて、弔が狙ってくるだろう俺のことは監視がされている。
 ということは、だ。焦凍とキスの一つでもしようもんならエンデヴァーに報告が飛んでいく気しかしないし、セックスでもしようもんなら、もう。うん。色々と酷いことになる気がする。
 ………弔は我慢ができない、欲望に忠実な人間だ。俺のことになるとそこにさらに拍車がかかる。だから、この旅行の間焦凍とくっついて仲がいいところを見せつければ作戦としてはそれで充分……だと思う。
 いや。そりゃあね? 火に油を注げば作戦の成功率は上がると思う。けどそれは、この五年轟家の人に内緒にしてきたもろもろを暴露するということでもあるわけで。
 とりあえず、二日あるんだ。今日は普通にくっついてイチャイチャを見せつけて、それでも出てこないなら、キス以上をする必要性も生じる、かもしれない。



 俺より小さな唇が近づいてくる。このままだとキスする。

(キスくらいなら。焦凍は十歳とはいえ、事故とかおふざけでも通るのでは)

 そんな鈍い思考だったから、気がついたら焦凍の小さな唇と口をくっつけるキスをしていた。
 少しだけ離れた唇が囁く。「部屋のお風呂、入りたい」と、誘ってるとしか思えない手つきで俺の太ももを手のひらで撫でてくる。
 大きな窓から緑と光が射し込む和の部屋で、カーディガンを落として、Tシャツも脱いで、ズボンも脱ぎ捨てて、パンツを脱ぐことも躊躇わない。
 そんな焦凍に手を引っぱられるままについていき、外の景色に囲まれた開放的な露天風呂を眺めていると、ズボンのチャックを下げられた。「こら」「入るだろ」「入るけどさ…」せっかく旅館に来たんだ。竹藪と森林っていう豪華な日光浴をしながらお風呂で癒されるのもいいと思う。思うけど。パンツの上から物欲しそうに撫でるのはやめなさい、勃つから。
 あの手この手で誘惑してくる焦凍の浴衣姿(女子がチョイスしそうな桃色の布地に薄紫の帯)に、理性を保つのに本当に苦労した、その日の夜。
 和食の頂点だな、と思うくらい一品一品がキラキラしてる夜ご飯を食べて、焦凍がおいしいからまだ欲しいと十割蕎麦をおかわりした。「こら焦凍。すみません」冬美ちゃんが女将さんにぺこぺこと頭を下げている横で、夏くんが黒部和牛のサーロインステーキを頬張っている。「いいじゃん、どうせ親父が金出してるんだろ。食おうぜ」「それはそうだけどさ〜」うん、それはそうなんだけど。気持ちはわかるよ冬美ちゃん。こういう場所ではお上品に、ってね。
 でも正直、俺もおかわりしたくらい、ステーキおいしい。さすが黒部和牛。口の中で溶ける。
 付け足すとすれば、高い旅館らしくキラキラきれいなご飯なんだけど、全部一口サイズなのが男子としては物足りないかなぁ。
 これから動くってわけじゃないんだ。夜ご飯なんてこれくらいお上品な方がいいんだろう、なんて思いながら、これもお上品な味のお茶をすする。
 焦凍がおかわりまでして夢中になって食べている蕎麦のつけ汁に紅白の長い髪がちょっと浸かっていた。仕方ないからハンカチを引っぱり出して髪を拭い、携帯している髪ゴムで長い髪を束ねて一つにくくる。
 伸ばすって譲らないくせに、手入れとかあんまりしないし、長いの鬱陶しそうにするし。だったら切ればいいのに。
 部屋も満足ならお風呂も満足、ご飯はもちろん大満足。もうちょっと量があれば育ち盛りの子供は言うことがないけど、お高い宿ってみんなこういうご飯なんだろうって思っておく。

「遊びたい」

 それで、月見部屋の椅子に腰かけてたら、焦凍が浴衣の袖を引っぱってきた。そのまま俺の上に足を開いて乗っかって来るもんだから浴衣から覗いたパンツが俺にダイレクトアタックしてきて理性の急所に入る。
 なんで子供の白いブリーフってこう、眩しいかな。たとえば俺とかが穿いてたらちょっとヤバいなってなるのに。「足を開くな…」今浴衣だろう。ズボン履いてるわけじゃないんだからそういう座り方はやめなさい。

「遊ぶって、どこで」
「本館、卓球台あった。やりたい」

 そういえばそんなものもあったっけ。
 卓球とか、旅館といえば、って感じだ。部屋で月見して腐ってるより腹ごなしに動こうかな。
 抱き上げた焦凍を立たせて浴衣を直していると、一部始終を見ていた夏くんが売店で買ってきたんだろうせんべいをかじりながら複雑そのものの顔をしていた。

「あのさぁ、焦凍」
「ん」
「別にいいんだけどさ。俺にも姉ちゃんにもそこまでべったりじゃないのに、にはなんでそんな遠慮ないわけ。好きなの?」

 たぶん、夏くんなりに、焦凍と交流しようとしてくれた……と思うんだけど。その話題は地雷に等しい。
 むっと眉間に皺を寄せた焦凍が腕を回してひっついてくる。「ちょ、焦凍」いい子だから黙っていてほしいなーって空気を出したのに、焦凍はしれっと「好きだ」と言葉にしてしまう。
 とはいえ、焦凍はまだ十歳だ。だから俺の苦笑いと「うん、今はね」という絶妙なカバーで、固まっていた夏くんが新しいせんべいをかじる。「学校行ってないからな。女子を知らないんだな」一人納得してる夏くん。よかった、すごい冷や汗かいた……。
 眉尻をつり上げて不機嫌な顔になった焦凍の手を引いて「じゃあ、俺たち卓球してくる」と部屋をあとにして、他に誰の姿もない渡り廊下で足を止める。「誤魔化してよ」「なんで。本当のことなのに」「それはそれとして。俺が炎司さんに殺されちゃうだろ…」個性婚までして理想の子供を作り上げた、自他ともにストイックなあの人なんだ。我が子がどこの馬の骨とも知れない野郎とセックスしてるなんて知ったら憤死しそう。
 ぎりっと強く俺の手を握り締めた焦凍の目が剣呑な色を帯びる。触れたらスパッと斬れる刃のような色。

を害する奴は、俺が殺す。親父でもだ」

 限りなく本気の声に生唾を飲み込んで、空気を変えるため、さっさと渡り廊下を行って本館に入り、緑を臨めてリラックス効果抜群のテラスルームにある卓球台のところへ。
 どう見ても浴衣を着たほかのお客さんにしか見えないけど、テラスにいるカップルはプロヒのサイドキックなのだ。飲み物手に談笑してるし、こっちを一度も見ないけど、俺たちのこと把握はしてるんだろう。
 リクライニングチェアやソファを置いた開放的なテラスの一角で三十分くらいカンカンと卓球をやり続け、疲れてきた。俺は運動はそこまで得意じゃない。「ちょっと、休憩しよ」「ん」普段から炎司さんの厳しい特訓をこなしている焦凍は疲れた顔一つしてない。…なんか悔しいな。俺ももうちょっと、運動、しよっかな。
 焦凍はオレンジ、俺はジンジャエールを注文。すぐに運ばれてきたドリンクは冷たくて、火照った体によく沁みる。
 春の夜風がそよそよと髪と肌を撫でるのが心地いい。
 首を捻って時計を探すと、オシャレなテラスにふさわしい木時計があって、夜の九時過ぎをさしている。

(弔、来ないな)

 焦凍に付き添ってテスト会場に行く俺を把握してたくらいだ。俺がここに来ることだって把握してるはずだけど。やっぱり警戒くらいはしてるか。そうすると、イチャイチャしてるだけじゃ、アイツ、出てこないまま終わるかもしれないな……。
 隣のチェアに腰かけて足をぶらぶらさせていた焦凍が空になったコップを置いた。かと思えばまた俺に乗っかりに来る。「こら」ジンジャエールをこぼさないようにしながら片手で押しやってみるけど、焦凍は譲らない。
 女子みたいな色の浴衣を選んで、女子みたいに長くなった髪を揺らして「」と俺にくっついてくる。また足を開く座り方するもんだからパンツが丸見えである。さっき直したのに……。
 ここまで煽られ続けると、ピンクの浴衣を脱がせたくなってくる。
 でも、我慢、しないと。ここにはエンデヴァーが人選したサイドキックの皆さんがいるわけだから。我慢しないと。我慢。



 ちらちらと白い太ももを見せてくるわ、直しても直してもわざと浴衣をはだけさせるわ、挙句、今度は本館の秘湯に入りたいとか言う焦凍に片手で視界を覆う。
 もう勘弁してほしい。マジで勘弁してほしい。俺の。理性が。しぬ。