自分の意識というヤツが醒めたとき、一番に感じたことは『絶望』だった。
 体という器がなく、水槽の中をふわふわと漂うだけの根無し草。
 そんな存在は、他人の手で好き勝手にされてしまう頼りないモノだった。
 それでも生まれてしまった。
 それがすべての悲劇の始まり。
(百回目だ。これだけ繰り返せば、さすがに諦めがつく)

 一人ぼやいて、深海の底に積み上がっている躯を眺める。
 と轟焦凍。それぞれがひたむきに繰り返した人生は一度も成功らしい成功を見せず、結局、百回も同じことを繰り返した。
 二人が死ぬ。その度にその人生が死体としてここまで沈んできては積み上がる。
 一番最初の死体だけは特別で、うず高く積み上がった死体の山とは別の場所に寝かせているが。それもそろそろ限界だ。
 地獄か、あるいは黄泉の国か。
 あちらへ連れて行かれる前にオレの内臓やら指やら足やらを渡して誤魔化してきたが、何せもう渡せるものがない。残っているのはこの脳髄だけ。これを渡してしまえばオレは完全に消滅する。
 次の迎えが来る前に決めなくてはならない。オレはどうするのか。こいつらはどうするのか。

(百回繰り返して、ダメだった。だけどそれでもお前は、お前たちは)

 オレが眺めている前で、死体が、動いて、指先を伸ばす。
 一番最後の死体。百度目の死。山の上の方にある新しい死体が二つ、諦め悪く動こうとしている。とっくに死んだのに、死者のルールを無視してでもお互いの指を握り合おうとしている。
 の頭は重機が倒れてきたことで呆気なく潰れてなくなるという事故死で、轟焦凍はその場での後を追った。胸から背中にかけてを自分の氷で貫いた。
 頭がなくなるに、氷で死ぬ轟焦凍。見飽きた二人の死に方。

(そんなに一緒がいいかよ)

 ぼやいて、ちぇ、と舌打ちする。舌なんてもうないけど。
 百回見てきた。その都度人生の長さはまちまちだったが、お互い以外を好きになる瞬間も可能性も、いくらでもあった。あるいは本当にそうなっていれば幸せな結末を拝むこともできたかもしれないが………この二人は、呆れるくらい、お互いのことしか見ていなかった。死体になった今も求め合うくらいには。
 狂っている。そう評していいくらいの愛だと思う。
 百回繰り返した人生で、ただの一度も、お互い以外を好きにならなかった。
 お互いの小指が赤い血の糸で結ばれていて、それを辿って出会うように、当たり前のように出会って、当たり前のように好き合って、呪われているように早くに死んでいく。
 潰れて頭のないの死体を俯瞰風景で眺め、もうなくなった口で、言う。
 なぁ、悪いと思ってるんだ。お前はオレのせいで苦しんだから
 それは、一番最初の人生。
 が先生と呼ばれるあの男にデザイナーベビーとして生み出され、オレが試験管の中にいた、あの人生。
 男が望むような個性も性格もしていなかったの廃棄処分が決定した、あの日、あのとき。
 オレよりもよっぽどかわいそうな『廃棄処分』の人生を決定されたは、ダメモトでと、オレという個性を生み出した肉体に定着させる実験で苦しみ、胸をかきむしって気泡を吐き出し、心臓を止めた。
 一瞬生まれて、一瞬生きて、それがもがき苦しむもので。多くの肉体を用意されそれを跳ねのけてきたオレだが、その相手をかわいそうだ、と思った。
 今までどんな肉体を用意されても拒んできた。男が悪人だということはわかっていたし、そんな奴の求めに応じるつもりはさらさらなかったからだ。
 オレに拒否された奴らは未来のヴィランの駒として野に放たれたり、適切な処理をして脳無の実験体になったりと、次の用途があった。だけどこいつはそれすらない。
 男の言う失敗作の指先がぐずぐずと崩れ始めたとき、反射的にその肉体に取り入って崩れていく指を再生していた。
 は強い個性も持たない、肉体だって一度は死んだ中途半端な体で、決して強くはない。
 それでも、かわいそうなお前を少しでも長く生かせば、こんなクズみたいな連中に利用されたまま死ぬなんてことはきっとない。
 きっとない、と思いたかった。
 だから共生して生きることにした。実験の成功を喜ぶ先生には注意しながら、の成長を見守った。自分が実験体だなんてことは記憶にないがなんとか生きられるようにと手助けしてきた。
 だから百回繰り返した。実験体として生まれ、寿命が決められているお前の人生を繰り返した。なんとか幸せになってほしいとオレなりに力を尽くした。
 けど。それもここまでだ。
 そもそも始まりが悪いんだよ。実験体っていう設定。お前の生まれ。スタート地点がよくない。だからさ
 俯瞰の風景の中、死体同士が硬く手を握り合ったのを見て、思う。
 だからさ。この最後、オレは力を振り絞って、お前のスタート地点を変える。
 クズみたいな研究の末にあの男のもとに生まれる、寿命も短いっていう運命を変える。
 その代わり、オレは完璧に消えることになるし、お前のその後を助けることは二度とできないけど。まぁ、それでもいいよ。本当ならオレもいるところで幸せになってほしかったけど、いいよ。
 お前らの愛は疑うべくもない。オレの入る隙間なんてない。この百回で、思い知った。

(たくさんもがいたな。たくさん泣いたな。たくさん苦しんだな。もういいよ。もう、いいかげん、幸せになれ)

 俺の脳が溶けて崩れる。透明になる。
 死体の山も溶けて崩れて、一番古いのも一番新しいのも、全部が混ざり合って、二つの形になる。
 鏡に映したようにそっくりな二人の赤子を、轟冷の腹の中に双子として押し込む。

(これで………)

 もう力がない。ゼロからお前に新しい家庭を用意してやることはできない。轟焦凍を身ごもったそのときにお前も一緒についていかせる。それで精一杯だ。
 悪いな。あの家もなかなか面倒そうな場所で、男同士で、兄弟で好き合うってのも、茨の道だが。お前らならきっと…………。

(疲れたな)

 俯瞰風景に映る赤子が、紅白頭の双子が、遠くなっていく。
 オレは、消える。それでいい。
 ………試験管の中で、あのクソ野郎の実験の末に生まれた『意思を持つ個性』だと知ったとき。そんな自分に絶望しか感じなかったが。今は結構スカッとしてる。こんな気持ちで終われるなんて、人工物のオレには過ぎた幸福だ。

(好きだったよ。好きだった。だから)

 だから、幸せになってほしい。
 悪人になりきれなかった善人のお前に、自由と、陽の光のもとで生きる、権利を。
 代わりにオレは消えるけど。今度こそ本当に、もうなくなるけど。それでいいから。
 幸せになってくれ。愛する人と、愛し合って、お前のなりたい、お前であってくれ。
 絵を描いてくれ。幸せな人生の絵を。
 生きてくれ。
 いきて、わらって。

(わらって…………)

 遠く、どこかから響く、産生の声。
 それを最後に、オレの意識というのは暗闇に塗り潰され、完全な闇に消えた。