雄英高校普通科、三年生に出された宿題をノートパソコンを使って適当に処理しながら、スピーカーから流れてきた『どうだい。オールマイトの様子は』と言うどこか笑った声に手を止めずにキーボードを叩く。「様子、ですか。普通ですよ。普通に教師をしてます」俺の個性で把握できる限り、オールマイトはとても普通だ。ただし、先生が言うように『弱って』もいる……。
 タン、とキーを叩いて宿題を仕上げてしまい保存。プリントアウトして学校用のファイルに挟み込む。

「先生こそ、どうなんです? やっぱり管なしは無理ですか」
『そうだねぇ。呼吸器がないと、潰れた顔ではどうにもね』
「先生が動けないと、不便ですね」
『仕事を増やしてしまってすまないねぇ、
「……別に」

 数年前のオールマイトとの戦いを思い出しながら通学鞄にファイルを放り込み、殺風景な部屋のベッドに腰を下ろす。
 この部屋は学生としての俺の行動にボロが出ないようにと与えられた普段の居住場所だ。
 先生の命令で雄英高校の普通科生徒として潜入している俺は、これまでのらりくらりと学生をやっているだけでよかったけど、今年からは忙しい。
 何せあのオールマイトが雄英の教員になったのだ。打倒オールマイトを目指している弔や先生には待ってましたと言わんばかりの展開。
 けど俺には仕事と負担が増えて増えて仕方がない。学校にいる間は目を使わなきゃならないし、学生として学校にいられる俺には視察とか細工とか、あれやれこれやれと命じられることも多い……。
 普段なら、オールマイトはヴィラン潰しにあちこち飛び回っていて、その不規則な行動を捉えるのは難しい。
 でも、教師に就任したとなれば、そのスケジュールだけは遵守するだろう。そう、オールマイトの行動があらかじめ予測できるわけだ。そのスケジュールさえわかれば。

「オールマイトですが、今年の一年生を重点的に指導しているようです」
『へえぇ。三年生にも、次期オールマイトって呼ばれている子がいなかったっけ?』
「いますね。通形ミリオ。でも三年生には最低限挨拶をした程度みたいですよ。
 まぁ、インターンでもう先も決まってる生徒が多いですから、それよりもこれからが大事な一年を育もうってことじゃないですか」

 ぼやきながら、煙草を一本取り出して火をつける。どうせ仮の住居だから壁紙がヤニで汚れることはもう気にしない。
 銜えた煙草の先で火が明滅するのを眺めていると、なんとなく、轟とキスしたことを思い出した。それから、もう一人の俺が危うく殺すところだったことも。
 今は汚れていない自分の両手をかざす。
 今は汚れてない。きれいだ。でも俺はもう何十人と、何百人と、殺してきた。先生に言われるまま、求められるままに。
 そんな俺の人生を今更見たいって言われたって困る。……見てほしくない。真っ赤に塗り潰されただけの、見れたものじゃない、絵以下の産物なんだから。

、次の指示だ』

 先生の声に思考を現在に引き戻す。「はい」『雄英バリアと呼ばれている面倒なセキュリティがあるだろう。資格保持者でないと突破できない、警報が鳴るっていうアレだよ』「ありますね」『アレ、どうにかできないかな』「……俺には難易度が高いです。弔の方が向いてます」『というと?』どうせわかってるくせに、と思いながら、伸びてきた前髪を切るためにハサミを掴んでゴミ箱を引き寄せる。
 オールマイトが教師に就任した。どうしてもコメントが欲しい。その授業風景が知りたい。そんなふうに連日マスコミが雄英に張りついている。
 そこに弔が加わって、崩壊の個性でバリアの一部を破壊する……それくらいできるだろう。そうしたら報道陣はこれ幸いとばかりに雄英内に侵入する。バリアを突破された雄英がどう出るか、その反応が知りたいなら、先生の言ってることは弔が動けばすむ話だ。誰かを潜り込ませるにしたってそのときにすればいい。
 シャキン、と髪を切り落としてハサミを机に放り、煙草の煙と一緒にざっくりと言葉を吐き出した俺に、先生の笑った声が言う。さもおかしそうに。

『それがねぇ、弔、やりたなくないって言うんだよ』
「……はぁ?」
からお願いされないと、やりたくないってさ』

 くつくつと笑う声に自然と眉間に皺が寄っている。
 俺が学生をするようになってから、弔とはある程度距離ができた。
 平日は学生を演じてる俺に、先生との約束を守って、弔は近づかない。その代わり、週末は俺を拘束して気絶するまでセックスを要求する。そういうコトをもう何年も続けてる。
 そういえば、今日は金曜日だ。弔のところに行かないといけない。「はぁ…」ぎ、とベッドを軋ませて立ち上がり、「わかりました。俺から言い聞かせます」とぼやくと、『悪いねぇ』ちっとも悪いと思ってないんだろう声が笑って、途切れた。通信が切断されたのだ。
 また弔を抱かなきゃならないんだな、と他人事のように思いながら、部屋を出て鍵をかけ、カン、カン、と錆びた階段を下って古臭いアパートを後にする。
 駅に向かう道すがら、自販機で缶コーヒーを買ってちびちびと中身をすすった。
 好きでなくても、興味がなくても、また抱くんだよ。それが俺のすべきことだから。
 今のところ、俺と弔、黒霧しかいないアジトのバーは、何の変哲もない雑居ビルの中にある。まさかこんなありふれた場所がアジトだなんて誰も考えないだろう、ってやつ。
 俺が来るなり暇そうにテレビを見ていた弔が立ち上がった。「ん」当たり前のように奥の扉を指され、首を竦めて大人しく部屋に入る。
 普段は無数の手を装着している弔は、セックスのときは邪魔だからと手を外す。ぽいぽいと、普段は大事そうにしてるくせに、今は煩わしいとばかりに床に手を落としていく。

「また引っかいたのか」
「せんせーが面倒なこと言うから。痒くなった」

 手も服も落としてベッドに転がった弔の目元を指でなぞる。「あんまり掻くなよ。皮めくれる」「じゃあ舐めて治せよ」じろりとこっちを睨み上げる瞳に閉口して、望むまま、閉じさせた目に唇を寄せて舌で舐めると、ざらりとした感触がした。何度も引っかいては傷ができて、かさぶたになって、また引っかいて。その繰り返しを感じさせる硬い皮膚。
 目を閉じて硬い皮膚を舐めていると、どうしてかそれが轟の火傷の痕にかぶって、はっとして目を開ける。
 違う。目の前にいるのは弔であって、轟じゃない。「…なんだよ」合ってしまった目に苦く笑って、自分のシャツを脱いで落とす。

「先生から連絡あった。ワガママ言ってるなよ」
「……だって面倒だ」
「ちょっと壊すだけだろ」
「やる意味あるのかよ」
「雄英の出方を見るんだよ。オールマイトを倒すために侵入する計画があるだろ。事前準備ってやつ」
「……………」

 不満に口をへの字にしている弔の薄い体を手のひらでなぞる。「やるだろ、弔」ぷい、とそっぽを向いた弔の首に噛みついて痕を残す。「弔」甘く優しく。女の子に話しかけるときみたいに甘い声で耳たぶを噛んで、落ち着かない様子の下肢に指を這わせる。
 ………唾液がこぼれるくらいにたっぷりにキスをして、顔を離した、あのときの轟の表情が焼き付いている。頭から離れない。
 危うく殺しかけたのに、俺のことをどこか恍惚とした表情で見上げていた、あの顔が。忘れられない。
 目の前にいるのは弔で、これから抱くのは弔なのに、俺の意識の中には轟がいた。先輩、と掠れた声で呼ぶ轟の口を自分の口で塞いで、ヒーロー科志望で鍛えてる体を俺の指で弄ぶ。そういう、想像をする。
 俺の想像は頭の中だけのことであり、現実はそれとは乖離したもので、薄い体で自分の足を抱えて喘ぐ弔の中を、擦って、穿って、とにかく無茶苦茶に犯して、気絶するまで追い詰める。叫ぼうがイこうが痙攣しようが潮を吹こうが関係ない。そういうセックスしか、俺たちはできない。
 イき狂った弔が気を失った、と同時に、手のひらで口を押さえる。
 想像と現実のコントラストが酷くて、眩暈と、吐き気がした。
 俺が頭の中で抱いていたのは轟で、実際に抱いていたのは弔で。「う…っ」ゴミ箱を掴んで顔を突っ込むようにして飲んだコーヒーと胃液を吐き出す。
 なんだよ。今まで誤魔化し誤魔化しここまで来たじゃないか。なんで今更吐くんだよ、俺。

(もう無理なんだよ)

 頭の中で静かな声が言う。だってお前、轟焦凍のことが好きだろうと、俺に刃を突きつけてくる。
 ………そんなこと。許されるはずがない。
 だから、中学を卒業したときはホッとしたんだ。ヴィランにはならないだろう轟と、ヒーローの道へ進むだろう轟と、これでもう会わなくてすむって、ホッとした。
 だけど先生が俺の進学を雄英に決めて、そこでも駒としていいように使われながら、俺は結局二年、逃げるでもなく抵抗するでもなく、また轟と再会してしまった。それをどこかで悲しんでいて、でも喜んでいる自分もいた。

(あいつも、お前のこと好きだよ)

 頭の中の声にうるさいと返しながら、部屋のシャワーで熱湯を浴びて、吐いたことによる気持ち悪さも、自分の都合のいい思考も、全部を排水溝に押し流す。
 そんなことは許されないんだ。
 俺は今更ヴィラン以外にはなれないし、轟はヒーローになると決めてる。俺たちの道は交わらない。交わることはない。
 あるとしたらそれは、俺がヴィランとして正される、そのときだけ。