学校では作っている優男のキャラを演じつつ、引き続きオールマイトについての情報を俯瞰風景として入手する毎日。
 でもこれじゃ、視るだけじゃ、ちょっと限界があるな、と感じていた下校時。校舎を出たら黄色い声に出迎えられた。
 やれやれ、モテるってのも楽じゃないなぁと思いながらいつもの笑顔を作って、そのまま表情が固まる。
 ………あの紅白頭。見間違えるはずがない。
 轟がポケットに手を突っ込んで暇そうな顔で女子生徒に囲まれて立っている。……それを見たときの俺の気持ちをどう表現すればいいのか。
 中学のときからそうだったけど。お前って人間はきれいだよな。お前自身はそんなことちっとも思ってないんだろうけど。
 俺に気付くと携帯から顔を上げた轟が無表情に若干の色を滲ませて「先輩」と呼んでくる。
 一年生とは言ってもヒーロー科だ。授業だって忙しいはずなのに、三年の俺が終わるのを待ってたらしい。

「どうかした?」

 なんとか、優男フェイスのまま話しかけると、若干俯いた視線に「別にとくには」とか返される始末。
 ……この間は危うく殺しかけたっていうのに、轟はなんというか、マイペースだ。
 あれはもう一人の俺がやったんであって俺がやったわけではないけど、轟の首を絞めた感触はまだこの手に残っているってのに。
 俺のことを待ってた轟と二人で並んで坂道を下り、駅のホームに立って電車を待つ。そのことの違和感になんか、背中が痒い。俺のそばにいたといえば、もう一人の俺と、弔くらいだったし。

「学校、どう? 少しは慣れた?」
「まぁ」
「……オールマイト、一年生の授業してるんだろ。どんな感じ?」

 これには轟がちらりと俺を見やった。俺が自分をヴィランだと告白したことを忘れてない目だ。俺の言葉にどんな意味があるのかと探っているような視線。
 実際にオールマイトの授業を受けてる轟から話が聞ければ一石二鳥。他に余計なことをせずにすむ。
 でも、轟は頭が良いから。俺のヴィランとしての思考なんてもう読み取っているだろう。だけどそれでも口ごもって何か言おうとしている。

「……先輩の」
「ん」
「家でなら、話します」

 首を捻って言葉の意味を考え、よーく考えて、夕暮れのせいだけじゃなく赤いんじゃないかと思う轟の横顔から視線を引き剥がす。
 自分に都合のいい甘い考えをしようとする思考を殴りつけ、優男の顔で「いーよ」と返して、学生としての俺の生活場所である古臭いアパート、殺風景で何もない部屋に案内すると、轟は戸惑った顔をしていた。「ここに、住んでるんですか?」「そー」もう誰の目もなくなったから気怠い声で返して冷蔵庫を開け、かろうじて残っていたオレンジジュースを紙カップに注いで出してやると、轟はそろそろと紙カップを受け取って中身に口をつけた。……何か入ってるかもとか、もう少し疑えばいいのに。素直だな。
 中学生の頃は、授業が終わったら適当な場所で煙草が吸えたけど、雄英は駄目だ。そこかしこに監視カメラ系のものが設置されてるし、潜入してる身である以上、教師の目につくことは避けたい。だから煙草はここに帰るまで我慢してる。
 さっそく一本取り出して吸い始めた俺を轟の視線が追ってくる。…色の違う両目。まっすぐな目が。
 煙草を指でつまんで口から離し、顔を寄せると、轟の喉がごくんと上下したのが見えた。ジュースを飲み下したんだろう。
 あの頃みたいに、煙草の苦い煙と俺の唾液を流し込むキスをする。
 轟は嫌がらない。昔からそうだ。嫌なら逃げればいいのに逃げない。自分から口を開いて俺を受け入れる。だから、逃げないのは、そういうことなんじゃないかと、都合よく考えそうになる。

「……次の、ヒーロー基礎学。オールマイトと、相澤先生と、もう一人で、レスキュー訓練をすることになりました」

 至近距離のまま小さく呟く唇を唇でなぞる。「ヒーロー学って感じ」「……場所も、知りたいですか?」「知りたいなぁ」引き寄せた灰皿に煙草の灰を落として煙を吸い込み、もう一度、香りばかりが甘ったるいキスをする。
 二度目のキスをしながら、轟の口内に舌を捻じ込む。煙と唾液を流し込んでやわらかくてぬくい舌と舌を絡め合う。
 どうしてされるがままなのか、どうして俺に応えるのか、は考えない。それがお互いのためだから。
 次のヒーロー基礎学の授業がUSJと呼ばれる災害を想定した演習場であること、そこがバスで移動を要するくらいには校舎から遠いことを雄英敷地内のマップを呼び出して確認していると、轟が俺のパソコンを覗き込んできた。「……どうするんですか。そんなこと、確かめて」「さぁ。どうすると思う?」唇を緩めて笑う俺に轟は閉口した。言葉の代わりに、ベッドに座ってノーパソのキーを叩く俺に体重をかけてくる。ヒーロー科で鍛えてるだけあって重い。
 目は口ほどに物を言う、というけど、轟の色の違う両目はまさにそんな感じだ。こんなに殺風景で何もない部屋なのに、轟の瞳だけが宝石みたいに輝いている。
 ………俺はヴィランだ。そちら側の人間だ。そうわかっていて轟は情報を提供した。
 次に起こることは、俺たちは共犯者だ。

「授業、気をつけるように。無理して前に出て怪我をしないように」
「……俺が怪我したら、どうしますか」
「どうもしないけど。まぁ、罪悪感くらいは、感じるかな」

 ついさっきキスした唇を指でなぞると、咥えられて、しゃぶられた。ぺろ、と舌を出す轟に背筋がぞくぞくする。
 天然なのかわざとやってるのか知らないけど、そんなことしてると奪うぞ。
 そんなわけで、俺は轟を利用する形で俺の仕事をして、オールマイトのことを調べてヴィラン連合の作戦に必要な情報を提供。轟たち一年A組が件の施設で授業を行い、そこに黒霧がワープで弔以下メンバーを送り込む手伝いをした。
 作戦当日。俺はといえば、普通科の退屈な授業を受けていた。
 生徒として学校に潜伏している俺は、今は情報提供が主な仕事であって、オールマイトと相対するのは弔と、前々から開発されてた新兵器の役目だ。
 あのキモチワルイ生物兵器のことを思い出しながら、カツカツとチョークが黒板を撫でる音を聞く。
 目を閉ざして俯瞰の視点になっても、さすがにUSJまでは届かない。今どうなってるのか、ここからじゃ確認のしようがない。

(気になるのか。轟焦凍)

 頭の中の声に別にと返して目を開け、多くの生徒がそうしているように、黒板の内容をノートにメモしていく。
 …………気にならない、って言ったら、嘘になる。
 轟はよく俺を待っている。女子に囲まれて、黄色い声を鬱陶しそうにしながら、俺が現れると少しだけ嬉しそうな顔をする。俺と一緒に下校してるときも、俺の部屋で煙草の香りに包まれながらキスしてるときも、どこか嬉しそうな顔をしている。
 だけどそれも、俺が実際にヴィランの手引きをしていると今日思い知れば終わるコトだ。
 俺が確かにヴィラン側の人間なのだとわかれば、ヒーロー側である轟は手を引く。
 だから俺がその日頭を悩ませたことといえば、弱っているはずのオールマイトに新兵器脳無をヤられ、銃弾で両腕と両足を撃ち抜かれてのたうち回る弔の世話だった。

「いてぇ、痒い、いてぇ、痒い」

 泣きながら這って縋りついてくる弔に、痒い痒いとうるさいその手を握って、掻きむしって血が出ている首を舐め上げる。「俺がいるだろ。大丈夫。痒くない」「痒い……」「痛いだろうけど、銃弾は貫通してる。大人しくしてれば傷もよくなる。弔」仕方がないからキスしてやると弔はほんの少し大人しくなって、喚く代わりに、サウンドオンリーと出ているテレビに向かって声を張り上げた。

「平和の象徴は健在だった。話が違うぞ先生!」

 ちら、と視線をやると、テレビからは『違わないよ。ただ、見通しが甘かったね』『うむ、舐めすぎたな』先生と、博士の声もする。
 黒霧にも手当ての手伝いをさせながら、会話のほとんどを聞き流す。
 俺はただ機械的に動いて弔を手当てし、痒みが治まるようできる限りの手段でその意識と体を甘やかしてやって、会話の流れが途切れたところで弔を抱き上げた。「もういい? 先生。博士。弔は大怪我してるんだから寝かせないと」口を挟んだ俺に先生の笑った声が言う。『おっと、そうだった。今はゆっくりおやすみ弔。精鋭集めはの仕事だ』………どうせそんなことだろうと思ってたよ。まったく。
 いつもセックスする部屋に弔を連れていってベッドに寝かせると「顔の手、取れ」言われるままに弔の顔を覆っている手を取る。「キス」満足に動けない弔からの命令に大人しく従って顔を寄せ、かさついた唇にキスをする。
 そうすると、目の前に紅白色の髪がチラつくようで、胸が嫌な感じに重くなる。
 ……轟としてるときは何も感じないのに。ただ、キスって気持ちがいいんだなと、そんなことを思って、気をつけないと夢中でしてしまうくらいなのに。どうして弔とのキスはこんなに不快なんだろう。

(そりゃあ、お前。好きじゃない奴とのキスを強要されて、気分良くなる奴なんていないだろ)

 頭の中の声にうるさいと返し、弔から顔を離す。「寝るんだ」「いてぇ…寝れねぇ……」「寝れるよ。大丈夫。寝るまでいてやる」黒霧が鎮静剤を打った。痛みも痒みも意識もそのうち落ちる。
 白っぽい色をした弔の髪をやんわり撫でていると、薬が効いて眠くなってきたのか、弔の瞼が徐々に下りてきた。「」「うん」「……」「いるよ」撃ち抜かれて痛いだろう手に触れると、思いのほか強い力で握られた。縋るように。
 そのままスーっと寝息を立てて眠った弔の顔を眺めて、握り込まれた手をゆっくりと抜いて立ち上がる。
 煙草を吸いに屋上に出ると、もう夜だった。「はぁ」溜息を吐いて煙草を一本取り出して吸う。それでも胸のムカつきは治まらない。
 とどろき、と口にしても、ここにはいない。誰もいない。
 …………もっと早く、出会えていればよかったのかな。
 それとも、俺が先生なんてろくでもない人と出会わず、泥水すすってでも生きてれば、もっと違う形で出会えていたのかな。ヒーローとヴィランなんていう相容れない立場同士じゃなくて。もっと可能性のある場所に立てていたのかな。
 なんて、全部今更だ。
 苦い口内を舌で舐めると、嫌でも轟とのキスを思い出した。こちらを見つめる色の違う両目を思い出した。俺を受け入れて薄く開かれる唇を思い出した。
 ああ、キスがしたいな。そんなことを思いながらぐっと強く目を閉じて、冷たい欄干に額を押し付ける。
 救いも。報いも。俺に求める権利はない。
 愛や恋なんてなおのこと、求める権利はない。手にする権利もない。
 轟のことは忘れよう。それがお互いのためだ。きっともう二度と俺の部屋には来ない。
 きっともう、二度と。