先輩に情報を流した。その自覚は、あった。
 駆けつけた警察。逮捕されたヴィラン連合の雑魚。怪我をしたクラスメイトと先生。集まった報道陣。それらを見ながら実感した。俺が、売ったのだ、と。
 連日テレビでもネットでも『雄英が襲撃された』と謳う。
 ……妙な話だが。俺は、自分がヒーローとして許されないコトをしたのだという自覚と同時に、先輩が俺の話を信じたことが嬉しかった。
 俺の話が嘘だったら、今回の計画は大失敗で終わっていた。むしろ、警察とヒーローが待機してヴィラン連合を待ち伏せて一網打尽、なんてことすらあり得た。
 先輩が俺を信じているからこうなった。先輩が俺を信じて、俺が仲間を売ったから、二人の共犯は成り立った。
 変な形に歪みそうになる唇を手の甲で隠し、今朝もニュースがどうとか騒ぐクラスメイトの声を聞き流す。
 満足感。いや、高揚感と言ってもいい。
 もう復帰していいらしい相澤先生が体育祭がどうだとか言い出しているが、俺にはどうでもいい話だった。
 そんなことより、俺にはもっと大事なことがある。

「先輩」

 だから、その日、先輩のことを待って声をかけたら、表情の抜け落ちた顔をされた。……俺が声をかけたことがそんなに意外だったろうか。
 いや、意外か。それは俺もどこかで思ってる。自分はどうかしてるんじゃないか、って。
 ヒーローとして、俺はどうかしてる。
 ヴィランに手を貸して、先生にもクラスメイトにも怪我をさせた。という先輩がヴィラン連合と繋がっていて、あの人は確かにヴィランであると俺は思い知った。
 それなのにまたこうして声をかけるということが、どういうことなのか。わからないほど馬鹿じゃない。

先輩」

 二度目になる声をかけて視線で辺りの女子を示すと、状況を思い出したんだろう、先輩が優男の表情を取り戻した。「どした、轟」「帰りましょう」これまでのように声をかけると、先輩は躊躇ったような間のあと、周囲を囲む女子に断りの声をかけてから俺に並んだ。
 互いに話すべきことはなかった。
 俺は先輩に声をかけたことで自分を示したし、先輩は、そんな俺を自分が寝起きするアパートまで連れて行った。
 言葉にはしなくても、できなくても。俺たちは見えない手錠で繋がった。

「ん、」

 お世辞にもキレイとは言い難いアパートの部屋に連れ込まれ、殺風景なそこでキスされた。……いつもは煙草を理由にするくせに、今日はそれすらなかった。
 制服のネクタイに手がかかる。絞めるためじゃなく解くために。
 俺はそれを止められない。止める理由がないから。
 どさ、と音を立てて通学鞄が落ちた。
 夢中でキスをした。甘い煙草の香りが染みついた部屋で、お互いを求めて、口の感覚がなくなるくらいに貪るキスをした。
 なんでだろう。なんでキスって気持ちがいいんだろう。
 先輩の指が触れるだけで、キスしてる口以外も、どんどん、色々、気持ちよくなってくる。
 殺風景な部屋のベッドに連れて行かれ、制服に手がかかっても、その手を払いのける気は起きなかった。

「……お前、わかってんの? 自分が何したか」

 先輩の瞳があのときみたいに不安定に揺れている。
 俺は、笑うしかない。こんな自分を自嘲して唇を歪めることしかできない。「だって、先輩、俺の言うこと信じたでしょ。俺が嘘吐くかもとか考えもせずに。俺、それが、うれしくて」嬉しくて。今も、嬉しくて。だってあんたは俺を求めて制服を脱がそうとしているんだから。
 これがまっすぐできれいな想いからだなんて言えない。きっと薄汚れて、利己にまみれて、泥もついてる。
 それでも先輩との甘くて苦いキスが、俺のすべてだった。

「俺、うれしくて。せんぱい」

 両腕を伸ばして先輩の細い首に絡め、体をくっつける。
 あんたにもう一度会えて嬉しかった。こんなコトでも共有できて嬉しかった。
 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
 …………俺は恋をしているんだと、中学を卒業した先輩を想っている二年の間にとっくに気付いていた。
 それが誰からも祝福されない恋だということにも、もちろん、気付いていた。
 毎日毎日、先輩がくれた吸い殻を見つめて考えた。ヴィラン。ヒーロー。相容れない存在同士で、男同士。茨しかない道。どこかで途切れて進めなくなる道。
 俺の選ぶこの道が、やがては断崖絶壁に辿り着くものだったとしても。
 それでも。

(好き。好きだ先輩。好き。すき)

 今まで閉じ込めてきた気持ちのすべてをぶつけてキスをする。先輩の制服からネクタイを剥ぎ取って、ボタンを引きちぎってでも制服を脱がせる。「とど、」轟、と呼ぼうとする声を遮って先輩の上に跨り、自分からシャツを落として、ズボンのベルトも外す。
 俺とあんたはあの襲撃事件の共犯者になった。
 ずるい俺は、先輩のズボンのチャックを下げながら唇を舐めている。「俺、黙ってる。誰にも何も、言わない。これからも、先輩が欲しい情報はあげる。だから」だから、俺に、先輩の、これをください。これで俺を満たしてください。そうしてくれたら俺は他には何もいらない。
 甘くて苦い香りに包まれているせいか、今はそれ以外のことが考えられない。
 俺は、先輩と、セックスがしたい。
 俺と先輩の秘密の関係はそうしてスタートした。
 表面上は何も変わらない。先輩は普通科の三年生だし、俺はヒーロー科の一年生で、どちらとも体育祭が控えている。
 体育祭までは二週間。
 今年は例年の五倍の警備に増やすということだったし、先日の襲撃のようにはいかない。
 何より、ヴィラン連合だっけ。あっちの主犯は撃たれて怪我してたはずだし、体育祭での襲撃は諦めてるのか、先輩は俺に何かを訊いてくるってことはなかった。普通の学生みたく、普通に勉強して、体育祭については面倒くさそうにしていた。

「今日は蕎麦ですか」
「ん。お前がいっつも蕎麦だから、そんなうまいのかと思って」

 昼飯の時間、窓際の席に陣取っている先輩のところに行って声をかけ、一緒に昼飯を食う。そういう、至福だ、と思う時間が増えた。「でもさ、やっぱ蕎麦は蕎麦だ。こう、力が出ない」「…先輩そういう個性でしたっけ」首を捻った俺に先輩は緩く頭を振って長い髪を揺らす。「そうでなくても、これじゃ栄養面が心配だよ。轟」栄養。…まぁ、蕎麦だしな。家では蕎麦以外も食ってるけど。
 そういう先輩は、いつもジャンクフードだ。食べ物になんてこだわってないみたいに。煙草もそうだけど、この人は長生きする生き方をしていない。そういう投げやりなのは俺って奴がいるんだからもうやめてほしいのに。
 体育祭に向けて自主練に励まないとならないのに、俺が励んだことといえば、学校帰りに先輩の部屋に行ってはセックスすることだけだった。
 殺風景な部屋のベッドの上で、ぱん、と腰を打ち付けられて簡単にイッた。前も弄ってないのに。

(ぎも、ぢ)

 口を解放されてげほ、と咳き込んだ俺に先輩が舌なめずりしている。「まだイける?」「ぃ、ける」「そ」隣室のことを考えて、始終口を塞がれながらするセックスは、甘くて苦い香りでいっぱいだ。
 精液と、汗と、煙草のにおい。
 殺風景だった先輩の部屋にはコンドームその他、セックスのために必要なものが並ぶようになって、そのうち俺のためにと腰当てのクッションが増えて、普通のセックス以外もしてみたいと言ったらそういう道具も増えた。
 尿道を責められて気持ちよくて漏らすことも、電マで亀頭を虐められて泣くことも、嫌じゃなかった。「あー、」気持ちよくて我慢できなかった声はすぐに先輩の口で塞がれて、与えられる刺激の強さに腰がびくびくと跳ねる。またイッた。
 二年間、妄想して、夢に見て、自分で抜いてた。それが、叶った。
 俺は満ち足りていた。物理的にも、精神的にも、これまでの人生の中で今が一番幸せだと言ってもいいくらいに。

(先輩はどうだろう。俺とシて、ちゃんと気持ちよくなってるかな。そうでなきゃ何回も抱かないよな)

 セックスで腰が抜けて動けなくなった俺は、ぼんやりと、先輩の細くてきれいな指が自分の体を拭っていくのを見ていた。
 ………幸せだった。人生に幸福は存在するのだと、初めて実感した。
 先輩の指は優しい。優しく俺を撫でる。
 どんなに殺風景な場所でも、俺は先輩といられればそれで完結できる……。
 このときの俺は、体育祭で自分が変わるなんてこと夢にも思っていなくて。緑谷に変えられる自分を想像もしていなくて。
 だから俺は、曖昧な自分のまま、宙ぶらりんなヒーローのまま、先輩とずっとこの道を歩いていくのだと。そう信じて疑っていなかったんだ。