俺がヒーローを目指そうと思ったのは、オールマイトがいたから。
 俺が右の氷しか使わないのは、左の個性の主である親父を、そのやり方を否定したいから。
 だから、オールマイトに似た個性を持っている緑谷のことは、踏み台としか考えてなかった。
 右の個性だけで一番になって親父の顔を曇らせる。そのためだけの体育祭。ついでに、俺の活躍を先輩に見てもらえたらと、そんな程度のことだと考えていた。
 それが。

「なんで、そこまで」

 緑谷出久。指を、腕を、犠牲にして、俺の氷を相殺してくる相手は、ボロボロの体で走って来る。「期待に応えたいんだ。笑って、応えられるような、ヒーローに、なりたいんだ!」氷の使い過ぎで霜が下りて動きが鈍い体が回避に失敗し、一撃もらう。
 親父が見てる。先輩だって見てるかもしれないのに、霜で、もう、体が。うまく。動かない。思考さえ凝り固まっている。
 ボロボロの緑谷がそれでも走って来る。俺に勝つために。全力で。右の力だけで、半分の力だけで勝つ。そう言った俺に「ふざけるな」と言いながら。
 左も。親父の受け継いだ個性でも。俺の力じゃないかと、叫びながら、走ってくる。

(左を使えばいい。左を使えば霜は溶ける)

 左を。炎を。
 俺の、炎を。
 母とテレビを見ていたとき。オールマイトがそんなことを言っていた。親から子に受け継がれる個性。本当に大事なのはその繋がりではなく、その個性が自分の血肉、自分であると認識することだ、と。
 母も、なりたいようになれと、言っていたっけ。
 血に囚われず。
 俺のなりたいものに。
 俺のやりたいように。
 父のようにはなりたくないけど。オールマイトのようにはなりたい。ヒーローになりたい。幼い俺はテレビを前にそう思ってた。
 気が付いたら左側から炎が上がっていた。燃えていた。その熱で体の霜が溶けて、震えるくらいだった体温も回復する。
 敵に塩を送るような真似をする緑谷出久は馬鹿な奴だと思ったし、あの頃の気持ちを、ヒーローになりたいと思ったあのときを思い出させた緑谷は罪深いと思った。
 おかげで俺は、自分がヒーローとして致命的だということを思い知らされた。

(ヴィランに情報を売った。そんなことクソ親父だってしない)

 ………恋を。していたから。
 俺の人生でたった一人、苦くて甘いキスをくれたあの人が、すべてだったから。そのすべてのために俺にできることをした。情報を渡した。秘密を共有した。共犯者になった。それであの人と繋がった。
 ああ、俺は、覚悟が足りていなかったのだと、今頃になって気付いた。

「轟少年、おめでとう」

 オールマイトにもらった銀色のメダルが重い。今すぐ捨ててしまいたいくらいに。
 オールマイトにかけてもらう言葉も、重い。メダル以上に。
 …………あの人と歩む道が断崖絶壁でも、構わないと、思っていたくせに。途切れて進めなくなる道でもいいと、思ってたくせに。ヒーローという原点を思い出したくらいで。あの人がヴィランだってだけで。俺たちの間にはこんなにも深い溝があるのだと、俺は今頃気が付いた。
 なんて身勝手なんだろう。
 俺は自分で忘れてたものを思い出して、そっちの方が大事なんじゃないか、なんて今更になって考えている。ヴィランの先輩とヒーローってものを天秤にかけている。
 それはゆらゆら不安定に揺れていたけど、だんだんと、オールマイトの形の重し側が自分の中へと沈んでいく。
 先輩が浮いて離れる。俺の心から。

「体育祭、見てたよ」
「、」
「炎すごかった」

 先輩の声にそろりと顔を上げると、あの人はいつもどおりだった。紺色の髪、くすんだ青い瞳に、優男の顔。いつもと同じ表情。だけど、どことなく、かなしそうにも見える。
 先輩は俺の変化に気付いていた。それでも一緒に帰ろうと声をかけてきた。
 それがどうしてかは、わかる。
 だからせめて俺から言わなくちゃならない。そうじゃなきゃあまりにも身勝手だ。

(自分からこの人に縋った。だったらせめて自分から手を離さなくちゃ。そうじゃなきゃあまりにも)

 先輩との帰り道。坂を下って、駅のホームで電車を待ついつもの帰り道。
 体育祭後で混み合って、いつもより人の熱気で溢れる、そんな中で誰かにぶつかられてよろけた俺を先輩の腕が引き寄せた。肩を抱かれたまま細い体躯に頭をぶつけて、目を閉じる。
 いつもと同じアナウンスが電車が来ることを告げている。
 ……これで最後なんだということは、お互い口にしなくてもわかっていた。
 それでも言わなきゃ。ちゃんと言わなきゃ。言わなきゃいけないのに唇が震えて言葉がうまく出てこない。

「いつかにさ、人生を絵に例えたろ」
「……はい」
「轟が、俺の絵を見たいって言ってくれたことは、嬉しかったんだよ。
 だけどごめん。俺の絵は人に見せられるようなモンじゃないんだ。だって、真っ赤だから」

 轟、と甘く囁く声と電車がホームに滑り込んでくる音が重なる。

「さようなら」

 とん、と肩を押されて、電車になだれ込む人の波に揉まれて、気が付いたときには扉は閉まっていた。混み合う車内に視線をやっても、先輩の姿はどこにもなかった。
 ………俺は結局、言いたいことも言えないまま、あの人にさよならを言わせた。
 なんてずるい奴なんだ。
 最後は俺から言わなきゃならなかったのに。ちゃんとさようならをしなきゃならなかったのに。

(先輩)

 普段は作った優男を演じていて、その仮面の下はといえば、気怠そうに煙草を吸って、ジャンクフードの適当な食事をして、生きることを面倒くさがっている。
 その隣で甘くて苦い香りに包まれているのが好きだった。
 本当に、好きだった。
 だけど俺たちの道は交わらない。どうしても交わらない。
 じわ、と滲んだ視界を手のひらで閉ざす。

(それでも、こんなにも好きだ。先輩。せんぱい………)