ヒーロー殺しという呼び名を持つヴィラン、ステインと、怪我があらかた癒えた弔の引き合わせまでを手引きした俺は、あとは知らんふりで建物の屋上で煙草を吸うことにした。
 ここで弔が死ぬならそれもそれ。いつもみたく先生が唆すならそれもそれ。別にどうだってよかった。
 俺にとってどうでもよくないものは、人生にたった一つだけだった。それももう失くしてしまったけど。

(なぁ)

 頭の中の声に何と淡白に返し、三本目になる煙草の煙を吐き出す。
 全員殺そう、と言う唐突な声に煙草の灰を落とす指が止まった。「何、急に」ぼやいて返して夕暮れの空を睨みつける。
 赤い。……そんな色に轟を視ることすら、間違ってる。

(先生も、弔も、黒霧も、全員殺そう。ヴィラン連合全員。そうしたらまだ間に合う)

 間に合う。一体何に。
 たとえばお前の言うように、悪の組織を壊滅させたとして。それで俺がしてきたことがなかったことになるわけじゃない。
 自首したとしてタルタロス行き。人生終えるまで狭い箱の中に閉じ込められるだけ。それはごめんだ。狭い豚箱の中で死ぬくらいなら、先生手伝って、自堕落に生きて自堕落に死ぬよ。その方がまだ自由だ。
 ……俯瞰の風景の中で、黒霧がステインと弔をどこかにワープさせているのを視る。
 殺し合ってない。つまり交渉は成立したわけだ。絶対決裂すると踏んでたのに、やるなぁ、弔。
 落ち始めた夕陽をぼんやり眺めながら四本目の煙草を吸って、吐いて、誰もいなくなったバーに戻ると、まだテレビがついていた。サウンドオンリーで先生と繋がっている。『やぁ、。二人で話すのは少し久しぶりだね』「……そうでしたっけ」バーの適当な酒を掴んで適当なグラスに中身を注いで一気飲みする。味は、しない。

『精鋭集め、任せてしまってすまないね』
「別に。仕事ですから」
『ステイン。彼は弔にとっていい刺激になったようだ。他にはどんなメンバーを予定しているんだい?』
「……はぁ」

 一つ息を吐いてから、すでに接触済みのトガヒミコ、荼毘と名乗る男などを挙げ、どいつも一筋縄ではいかないけどヴィラン連合にはピッタリな個性持ちであることを酒を飲みながら話すと、先生は愉快そうに相槌を打ってくる。
 ……長く付き合ってきてるけど。この人はいつもにこにこ、にこにこと、もう潰れた顔でも、昔はあった顔でも、いつも笑ってる。それが意味がわからない、って思ってた。今も思ってる。
 それなりの度数があったのか、酒が回って回転の鈍くなってきた頭に手を添える。
 どんだけ飲んでも轟が頭から消えない。消そうとすればするほど先輩と呼ぶ声が耳に蘇ってくる。甘い嬌声が胸をかき立てる。弔相手じゃ気合い入れなきゃ勃たないのに、轟のことは、思い出すだけで勃ちそうになる。
 感覚が曖昧になっている指で新しい煙草をつまもうとして、箱が空っぽなのに気付いた。「……はぁ」ぐしゃ、と握り潰してその場に落とす。もうそんなに吸ってたっけ。

『随分と荒れてるじゃないか。らしくないね』

 笑っている声に、揺れている視界で目を閉じる。「ちょっと仕事多いです。俺も体は一個なんで、気遣ってもらわないと」ぼやいて返しながらバーのカウンターテーブルに額を押し付ける。
 別に、仕事は多いくらいでちょうどいいけど。それでも頭の中を誤魔化しきれなくなってきたってのが辛いところだ。
 俺のことを先輩と呼ぶ甘い声がじわりと意識に滲んで消えない。

「ところで、ステインについてですが」
『うん』
「駒、ということでいいんですね」
『そうだね。せっかく連れてきてもらったのに、悪いねぇ』
「……弔とは根本的に思想が合わないでしょ。実力はありますし、その思想も一考に値すると俺は思いますが。まぁ、ヴィラン連合とともに行動するのは無理だろうと思ってました」

 足元の鞄からノートパソコンを取り出し、あらかた作っておいた動画の編集画面を呼び出す。ヒーロー殺しステインの人生をストーリー仕立てにした短い動画。「あとは今日、いい画と音声が撮れれば、それで流せます」『いいね。散らばっていた悪意がヴィラン連合に集まるよ、これで』先生は楽しそうだ。俺は全然楽しくないけど。
 動画作成なんてもので、俺はまた一つ汚れるわけだ。
 また一つ、轟から遠ざかる。……そんなことを考えること自体が間違ってる。
 俺たちは確かにUSJ襲撃事件の共犯者で、手を繋いだ。体も繋いだ。
 だけどもうあのときには戻れない。
 轟は自分のヒーローとしての原点を思い出した。ヒーローになりたいと思ったときの気持ちを、色褪せていたそれを思い出した。長く抱いてきた光を、止まっていた足を動かし、追いかけると決めた。
 俺は、その足を引っぱることは、したくない。
 赤い色に沈んでいる俺って存在を、轟が引っぱり上げる必要はない。
 俺は沈んでいくだけだ。どこまでも、どこまでも、底なし沼を、行きつくところまで。
 俯瞰風景。主に高い視点からの情報収集。
 その間無防備になる体はもう一人の俺がいるから問題ない。
 先生も弔も注目してるヒーロー科一年生は、夏、林間合宿に行くらしい。ってことを視覚情報として入手しながら、窓の外から1年A組の最後列で授業を受けている轟の紅白頭を眺める。

(好きならそう言やいいのに)

 うるさい、と返して意識を体に引き戻し、退屈な授業をこなしたその日。小汚い路地の裏でブローカーの義爛と待ち合わせ、ヴィラン連合に加わってもらう予定の荼毘、トガヒミコと落ち合う。「イケメンさん!」「どうも。だよ」「じゃあ、くん!」くん。俺の方が年上なのに、いかにも女子高生って格好をしてる子にくん呼ばわり。まぁいいけど。
 もう一人、荼毘ってのは、皮膚のあちこちが爛れて焼けて、それを無事な皮膚とつなぎ合わせてるような跡が目立つ、弔とは違った意味で印象に残る奴だった。
 ……なんで今一瞬轟のことを思い出したんだろう。皮膚が焼けてる、爛れてる、ってせいか。
 荼毘は半分以上焼けて爛れてる顔でにやっと笑うと「どーも」と片手を挙げ、ぽん、と俺の肩を叩いた。「さっそく会いに行こうぜ。我らが大将に」「ん」この二人が弔と馬が合うかと言われると、まぁたぶん合わない。それでも義爛に連れてきてもらったのは、今日はいわゆる面接だから。
 義爛の紹介、俺が素性行動その他を洗って、まぁいいかと思った最初の二人。
 弔はまた皮膚を引っかくだろう。機嫌も悪くなるだろう。
 オールマイトを狙って襲撃、惜しいところで失敗。ヒーロー殺しステインを利用してヴィラン連合の名を上げようとし、これも失敗。
 やりたいことをやるだけじゃ目標には近づけない。……そろそろ弔も学ぶだろう。だから、合う合わないを差し置いて、俺がOKした人材を引き入れる。その決断をする。

「あれ? くんは? 行かないの?」
「俺は煙草吸ってくるから。じゃ」

 義爛に二人を任せて雑居ビルの屋上に行き、いつもの煙草を吸って、吐く。
 ………ばら撒いたステインの動画の影響が思ったより大きい。このまま行けば、ヴィラン連合は活気づくだろう。人も増えて、ブローカーも増えて、潜んでいた悪はますます勢いづく。
 ああ、なんて、ろくでもない社会。
 そう嘆くだけ嘆いて行動しない俺も俺だ。
 何もしない限り、嘆く権利も怒る権利もない。わかってる。俺は生きやすい場所を生きているだけ。それがここだったってだけ。
 気乗りはしないが、先生からの指示だ。ノートパソコンに必要事項を打ち込んで送信。細かいところは先生の方が色々上手だから、あとは任せる。
 夏の林間合宿。次の狙いはそこだ。

(会えるな。轟焦凍に)

 頭の中の声を黙殺してパソコンを鞄に突っ込む。
 会えたとして、だからなんだっていうんだ。
 俺たちは過去に繋がっただけの共犯者、だった者。今はもうなんでもない。ヒーロー科の一年生と、ヴィラン連合の一人として潜伏してる普通科の三年生。もう接点だってない。
 でも、そうだな。俯瞰の風景での視点でなくて。実際にこの目で轟を見れるなら。それはそれで、いいかもしれないな。