焦凍が力ずくで破壊した蔵の鉄扉と足枷は特注品で、わたしが暴走して発火した場合の炎を吸収し、とくに扉は一定まで近づかなければ蔵が視認できないようにする役割も担っていた。
 そう簡単に手に入るものでもないらしく、個性持ちに依頼しなければ同じものは作れない。
 わたしがいるべき場所は焦凍が破壊してしまった。
 だから、わたしは現在、轟家のお屋敷、焦凍の部屋で正座している。
 焦凍が力ずくで鉄扉を破壊したことはすぐにエンデヴァー…あの人に知れた。そして、あの場所そのもののことを知らなかった、兄なのか姉なのかに当たる人にも知れ渡ることになった。だからもうこれまで通りとはいかないはずだ……というのが焦凍の読みで、彼は今、わたしのことであの人と話し合っている。

(落ち着かない……)

 今までずっと、夜になったら暗いだけの蔵の中で、布団を被っているか、お下がりの教科書を読んでいるか、テレビを見ているか、だったから。照明の灯りがとても眩しい。
 落ち着かないまま三十分ほどが経過して、正座で待っているのが辛くなってきたから足を崩した。「……」少し痺れている足を揉み解しながら、なんとなく、男の子の部屋であるはずの和室を見回す。
 服が入っているだろう箪笥と、たたまれた布団と、机と、教科書や本。目につくものなんてそれくらい。
 簡素だなぁ、なんて感想はおかしいのかもしれないけど、そんな印象を抱く。あの蔵を思えばなんでもある、になるのだろうけど。
 夜も更けたいい時間だ。眠たくなってきた。
 照明が眩しくて目がしぱしぱするからなんとか起きていたけど、横になりたい。眠たい……。

 ふっと意識が浮上して瞬く。「あ…」しまった。一瞬で寝てしまっていた。畳に頬を押し付ける形で寝ていたせいか痛い。
 慌てて顔を上げると左の頬を腫らした焦凍がいた。若干不機嫌そうな顔をしている。「そ、れ」そろりと頬を指すと彼は凍らせた手を当てて眉間の皺を解いた。痛そうだけど、とくに気にしている様子はない。畳の上に座ると「話し合い、終わった」これもなんでもないことみたいにサラッと言ってのける。
 これからそのことを話すだろう焦凍に対して、わたしの予想はこうだ。
 特注品である蔵の鉄扉と足枷。これを新調するまでの間の謹慎処分。わたしの炎が暴走したときの万が一のために焦凍がわたしのそばにいる。…あの人が言いそうなのはこんなところじゃないかな。
 姿勢を正すわたしに対して、焦凍は姿勢を崩した。長い話し合いで肩が凝ったのかぐるぐる回している。

「兄も姉も俺側についた。もうあの蔵に戻されることはない」
「えっ」
「ただ、お前の個性について不安点があるのは誤魔化せない。だから俺が衣食住一緒にする。暴走しそうになったら氷を使う。それでどうにかする。そういうことになった」
「…え?」
「訓練もする。炎については俺も……あまりうまくないしな。一緒にやろう」

 開いた口が塞がらないわたしに彼は首を捻ってみせた。白い髪がサラサラしている。「どうした」「え…と」どうした、って。だって。えっと。それは、都合が、よすぎるような。「わたし、蔵に戻るんじゃ」「そんなわけないだろ」「で、も。わたしは。人殺しで…」母を燃やした両手を握り締める。失敗作で出来損ない。人殺し。そんなわたしが轟家にいるわけには。
 頬を冷やすために右手を凍らせていた焦凍が氷を落とした。パキパキと薄氷が割れるような音が響く。
 それまで氷を纏っていた右手が左側の赤銅色の髪をかき上げた。醜い、と言っていた火傷の痕がよく見える。

「なくならないんだよ。逃げても、閉じこもっても。過去は変わらない。だけど未来は変わるだろ」
「…うん」
「変えたくないか。未来」

 彼の言っていることは、正論だと思う。思うけど。わたしに未来があるなんて、思ってなかったから。うまく想像できないというか…。
 寝起きの頭を一生懸命回していると、ふあ、と欠伸をこぼした彼が布団を敷き始めた。「とりあえず、今日は寝る」それで布団が一組しかないことに気付くと「待ってろ」と残して行ってしまう。
 その間ぐるぐるとこの急展開について考えていたけど、布団一式を抱えてすぐに戻ってきた彼に、考えがまとまらないまま眠ることになった。なってしまった。
 一人じゃない空間。埃と闇に澱んだあの場所以外の夜が信じられなくて、眠たいのに、目を閉じてもうまく眠ることができない。
 身体が痛くなってきたな、と寝返りを打ったら、焦凍のきれいな顔があって驚いて肩が跳ねた。
 そうだった。一人じゃないんだった。びっくりした。
 とくとくと鼓動する心臓に手のひらを押し当てて、そっと身を起こす。「……焦凍は、わたしのヒーローだね」ぽつんとこぼして、焦凍が気にしている左の火傷の痕を指でなぞった。少し引きつった皮膚の独特の感触。知っている。最期に触れた母はもっと酷かったから。それと比べるのもなんだけど、これくらい、気にならない。
 勝手に触れてしまったことにハッとして、失礼だった、焦凍が起きてなくてよかった、と指を引っ込めようとしたら伸びた手に握り込まれた。
 ぱち、と目を開けた焦凍がわたしを見上げてくる。「ご、めん。触って」「べつに」寝ていなかったのか、寝ていたけど覚醒したのか。
 焦凍は眠くもなさそうで、わたしも、なんだか目が醒めてしまった。さっきは寝ていたのにね。
 カチ、コチ、と時計の音がする部屋で、彼から視線を外せずにいると、向こうから逸らしてくれた。握られていた手もゆるりと離される。

「眠れねぇのか。さっき寝てたのに」
「う。その……話が、急だったし。想像と違って。だから…」

 うまく説明できないわたしは無意味に自分の手をこすり合わせた。その手を口に持っていって隠す。どういう顔をすればいいのかわからなくて。この現実が嬉しいのに、それを素直に喜ぶ自分がいなくて、なんだか、歪で。顔もそうなってそうで。笑えばいいのか泣けばいいのか、心の中がぐちゃぐちゃだ。
 ふっと口元を緩めた焦凍が、笑った。「…なに?」「いや。…あと一時間もすれば日が昇る」「えっ」慌てて時計を睨むと確かにもう五時を過ぎていた。こんな時間まで起きていたなんて。
 寝なくちゃ、焦凍は明日も学校でしょうと慌てたわたしに彼はまた笑う。明日は日曜日だと。曜日間隔なんてないわたしはぽかんとして、日曜日は一般的に休日なのだ、ということに遅れて気付く。
 でもやっぱり寝なくちゃ、焦凍は寝てよ、と促しても彼は素知らぬ顔で頬杖をついてわたしを見ているだけで寝ようとしない。
 これが、わたしにとってのヒーロー、轟焦凍との最初の夜のお話で、以降、わたしは轟家の人間として生きていくことになる。