「上忍になったんだって? おめでとう」

 いつものように笑った彼女はそう言って俺の手を緩く握った。
 祝福の言葉が嬉しいか嬉しくないかと言われたら当然嬉しいに決まっている。けれどその人は実質俺よりも戦闘経験がありそして恐らく俺よりも血生臭い現場を潜り抜けてきた人だった。だからそんな人におめでとうと言われても、上忍という言葉さえも、その事実の前では脆く崩れ去る。
 目指していた。その場所を。また一つ俺は目標に近付いた。近付けた。

「お前に言われてもな。俺よりも天才肌だろうに」
「そんなわけないよ。私はただの暗部さん」

 彼女が笑う。ふふと含み笑いをして。
 今では暁という組織に犯罪者として身を置くうちはイタチを待つ人。そしてその兄を追い里を抜けたうちはサスケを待つ人。
 有名な待ち人の話がある。そのモチーフはその二人。そしてその二人の帰りを待つ、彼女。
 どんな非難の言葉も憎悪の言葉も、彼女は受け止めた。今はいない二人を思って。想って。
 彼女と同じ場所に立ちたいと願ったのはいつからだったろうか。気付いたら視界に彼女が入るようになっていた。幼いときから。最初はうちはの兄がその隣にいただろうか。気付いたらそれが弟のサスケに変わり、そして、今は誰もいなくなった。
 彼女は今一人だ。一人なのに立っている。独りでも、そこに立ち続けている。何かに縋るわけでもなく誰かに縋るわけでもなく。
 彼女の心は今どこにあるのだろう。


「うん?」
「今日は空いているか。この後」
「予定はないよ。どうして?」

 かわいらしく首を傾げる彼女。ついさっきまで俺と彼女は同じ任務で手を組んで人を殺した。
 彼女はいつも笑う。いつも笑う。ただ笑う。人を殺すときにはその顔には仮面があり表情は分からない。けれど仮面を取った下の表情は笑顔だ。やわらかい微笑み。もしもそれを常としているのだとしたら、彼女は恐らくとてもかわいそうな人だ。とても。俺よりずっと。
 明確な、怨む何かがあるわけでもなく。明確な、求めるものがあるわけでもなく。お前が息をするのは何のためだと俺が訊いたなら、彼女は笑うだろう。いつもの含み笑いをして、言うだろう。いつもと同じ言葉を。私はただ待ってるだけよと。そう言うだろう。

「紅茶、好きだったろう。いつもの店に昨日新しく茶葉が入荷されたらしい。お前の分を取っておくよう言ってあるから、行かないか」
「え、本当? ありがとうネジ、憶えてたの。私が紅茶好きって。あんまり知られてないのに、紅茶って」
「お前の好きなものくらい憶えてるさ」

 ざりと一歩踏み出す。彼女の隣を歩く。彼女が笑う。だから俺も少し、唇の端を持ち上げて笑う。
 これが俺の現実だ。
 けれど彼女の心は今誰を映しているだろうか。きちんと俺を見てくれているだろうか。俺は不安になる。こんなにも分かりやすく遠回しでない言葉を選んで口にするのに、彼女はいつも笑うだけ。いつもの含み笑い。彼女は俺より年上だ。人殺しの経験も任務の経験も全て上。
 天才と言われてきた。だけどそれでは決して誰かの経験を上回ることはできない。天才というものは飛ばすのだ。誰もが終える過程を素早く蹴り飛ばし誰よりも早く結果に辿り着くだけ。経過を短縮しているのだ。それは経験を積むということとは別。
 だから俺がいつか彼女より強くなったとしても、それは、彼女を越えることにはならない。
 彼女は俺でないどこかを見ている。遠い目で雲を見るように空を見ている。赤い血色に染まり始めた空を。
 うちはの二人を思っているんだろうか、その目は。その意識は。
 だけど彼女は俺も見る。だから笑ってる。彼女の意識はちゃんとここにある。だけど全部は、ここにはない。
 ざく、と二人で舗道されていない土の道を歩く。
 紅茶なんてマイナーなものを好む彼女。それにクッキーなんかの焼き菓子を一緒に食べる彼女。そういう店は木の葉には数軒しかなく、そのうちの一つに彼女が気に入っている店があって、ごくたまにこうして、俺から誘って、その店に赴く。
 彼女は自分自身から誰かを求めることはしない。
 いつも応えるだけだ。俺の知る彼女という人はそうだった。

「そんなに紅茶が好きなら買い溜めすればいいだろう」
「うーん。そうだねぇ」

 彼女が笑う。少し困ったように。
 暗部という職業柄、彼女はその痕跡を残せない。暗部というのは暗殺戦術特殊部隊の略。彼女の右肩にはその証である刺青があることだろう。
 功績などは一切発表されない組織。そんな中にいる彼女。だけどそれでも確かに、彼女は生きている。
 笑っている。今ここで。俺の隣で。この世界に痕跡を残しきれず、暗部に身を置きながらそれでも生きて。恐らくは二人を待って。ただそれだけのために。
 俺は確かに日向一族の中で能力は飛び抜けて高い。けれどだから、何だというのだろう。それが彼女のためになれないのならばそんな力に意味などない。
 視線を伏せて、かつとつま先に触れた石を蹴った。がさと草むらに入って小石が消える。
 俺は確かにここにいる。彼女も確かにここにいる。
 それなのにどちらともが、どちらともを見ていない。そんな気がした。
 俺は俺を見てくれる彼女を。彼女は俺でない誰かを。お互い本当の現実の自分と向き合っていない。俺は叫ぶべきなのだ。俺を見てくれと。ここにいると。そばにいない奴のことなんて放っておいて手を伸ばしたら届く俺のことを見てくれと。だけど彼女はいつもただ優しく笑っている。全てを許容する笑顔。全てを受け止める笑顔。罵倒も罵声も何もかもを彼女は微笑みで受け止める。固定されてしまった笑顔で。
 ああなんてくだらないんだろうか。俺は確かに上忍になったけれど、だからなんだ。
 彼女のためになれないのなら、そんなものいらない。

「お前は」
「うん?」
「お前は、どこを見ている?」

 こぼれた言葉。彼女は首を傾げた。赤い夕陽。照らされる俺達も赤く染まっている。任務帰りの道すじ、暗部の服は纏った衣の下に隠して、その肩掛け鞄には血に染まった仮面をしまい込み、長い黒髪を風に遊ばれて、今確かに暗部としてではなくただの人として存在する彼女は、やっぱり笑った。俺がそうとしか知らないように優しく。

「私はここにいるわ。早く行こう。紅茶飲みたい」

 彼女が俺の手を引いた。触れるその温度。俺は唇を噛み締める。くそ、と毒づく。誰かを。自分だろうか。彼女だろうか。それとも今はいないうちはの二人を?
 強く、その手を握り返す。俺よりも小さな手を。
 お前の中に俺はどれくらい残っているだろう。俺はお前の隣に立つためにただただ力を尽くしたけれど、上忍になったけれど、それじゃあ足りない。もしも暗部に入ったとしても足りない。永遠に、届かない。
 力があっても手に入れられないものがある。どんなに努力しても届かないものが。
 何度となく天才だと言われてきた。けれど目の前の、好きな相手の心に届く言葉も吐けない奴の、どこが天才か。俺は自分を罵った。俺のような矮小な奴に天才などと、そんな言葉、到底似合わない。

(けれど、)
悲しみは消えることを知らず
あとがき

桐丸さんとの相互記念ということで書いてみましたネジであります
あれ、ええとどこまでもうちは二人が絡んでてすいませんです謝罪!全力で謝罪です私!
こ、こんなものでもよろしければぜひどうぞ桐丸さん。私がサスケ好きーでどうもすいませんです
思えば私が最初に本誌でNARUTOを見たときはネジとヒナタ戦だったなぁ、とぼんやり

誤字脱字等がありましたら遠慮なくご報告ください。全力で訂正します…!
こんな私ですがこれからもよろしくお願いします。こっそり日参していますからね!←