まず一つ目。
 彼女という人はボクよりだいぶ生きてるはずなのに、まずバカだ。すごくバカ。それからドジを踏むのも上手い。あとはいつもにこにこしてるからバカっぽい。あ、バカはもう三回目か。
「…何をそんなに笑ってるの」
 だからだいたいボクはそんなことを訊いてみる。彼女はやっぱりにこにこした笑顔で「だってシンクがいるじゃない」とか言う。はぁと顔を顰めて「だから? なんでボクがいると笑ってるの」「嬉しいから」にこにこしてる彼女がさらっとそう言う。まるで躊躇いなし。視界を庇っている仮面に手をやってさりげなく顔を隠して「ああそう、おめでたい頭だね」と今言える精一杯の皮肉を言ってみても、彼女は笑う。「うん、そうだね。シンクがいると笑顔になれる」と。
 ああ恥ずかしい。ボクがいるとなんだって? ボクがいると嬉しいとか笑顔になれるとか、バカじゃないの。ほんとおめでたい頭だよ、このバカ。
「あのねシンク」
「…何」
「今度ね、あっちの公園でお祭りがあるの」
「ふぅん。それが?」
「私と一緒に行かないかな」
 まだ顔が熱かった。だからそっぽを向いたまま「無理。どうせ仕事がある」とぶっきらぼうに返した。視界の端っこに映る彼女が残念って顔をして「そっか。そうだよね。ごめんね」と見るからにしゅんとするから。だからボクは少し口を噤んで考えに考えた頭ではぁと溜息を吐いた。
 ダメだ、またボクの負け。ああいう顔をされるとどうにも弱くて、結局彼女に合わせようと頭で思ってしまう。切って捨てればそれですむ話なのにそれができない。どうにも頭に引っかかりができて、それが気になって気になってしょうがないから。それで仕事や任務にまでその引っかかりが影響してくるから、これは一種の病気じゃないかと思いながらボクは結局彼女に手を伸ばす。しゅんとしてる彼女の頭をくしゃくしゃと撫でて「わかったよ、どうにか仕事片付けて都合つけるよ。だからそんな顔しないで」小さな声で言ったつもりだったのに彼女がぱっと顔を上げて嬉しそうに笑った。「ほんと!? 絶対?」「絶対」「わーい」子供みたいに笑う彼女がぴょんとジャンプして大げさに喜ぶ。そんな彼女にはぁと溜息を吐きながら、なぜかぎゅっと握られてる手からぷいと視線を逸らす。
 ボクより随分年上だ。随分って言っても彼女からしたら五年とかそのくらいなんだろうけど、ボクの五年は人生の倍の倍くらいの時間だ。十分な先輩。だけど彼女はどうにもバカっぽいしドジ踏むし、いつもにこにこほんとにバカっぽいし。ああ、バカって二回目。
「…あのさぁ」
「うん?」
「君ってバカだよね。ほんと」
 しみじみそうこぼすと、彼女が困ったように笑った。「そうかな」と。「そうだよ」と返しながら彼女が握って離さない手を少しだけ握り返してみる。反応はすぐで、ぎゅうと握り返された。ボクと同じくらいの手だ。小さくも大きくもない掌の形。
 にこにこ嬉しそうにしてる彼女。そんな彼女から顔を背けて、そのくせ少しだけでもその手を握り返してるボクは。
(…バカ、なんだろうな。間違ってもドジではないけど)
 それから二つ目。
 彼女は無自覚のようだけど、それなりにかわいい。らしい。かわいいなんて褒め言葉は使ったことがないけど一応そうだと認識してる。なぜなら、彼女とボクが一緒に出かけると、だいたい彼女がどこかしらで声をかけられるからだ。
「かーのじょ! お一人?」
「え?」
 その日もそう。彼女がお祭りお祭りとはしゃいでしょうがない人混みの中を、はぐれないようにと思って白い腕に手を伸ばそうか伸ばすまいかと変に悩んでたときだ。きょとんとした顔で肩に置かれた手に振り返った彼女とかけられた声。知らず眉間に皺が寄って手を伸ばすべきか伸ばさないべきかと悩んでいた思考が弾ける。
 誰に遠慮する必要があるんだろう。悪いなら危なっかしい彼女だ。いちいちナンパに引っかかってるのはやっぱり抜けてるからか、ドジだからかバカだからか。だから目を離せないんだよもう。
「あ、えっとごめんなさい、私」
「行くよ」
 律儀に受け答えしようとしてるからイラっとして彼女の手を掴んで引っぱった。声をかけてきた茶髪の男を振り返り振り返り「ごめんなさい!」と声を上げる彼女にイライラが上昇する。
 どうしてどこにでもいそうなあんな阿呆なのに受け答えするのか。バカなのかバカなんだそうだバカだ。イライラしながら手を引っぱってずかずか歩いていたら「シンク速い、待って待って」と背中側から声がして振り返る。どうやら長い髪を引っかけたらしく、彼女がすごく中途半端な格好で自分の髪に片手をやっていた。
「髪引っかかった。うー」
「待って。引っぱると切れるよ」
 だから手を離して木の枝に引っかかったらしい彼女の髪を摘んだ。べきと枝の方を折ってとりあえず中途半端な姿勢は回避。「取れる?」「うん」目を細めて髪に絡まる枝を取った。ぺいと枝を捨てて彼女の髪を指で梳く。せっかく長くてきれいなのに、切れたりしたらもったいない。
 ついさっきまでイライラしてたのに、それがもうどこかに飛んでいった。自分でそのことに呆れる。まるで彼女を中心に頭が回ってるみたい。
(バカか。ボクは)
 髪に手をやった彼女が困った顔で「あーあ、崩れちゃった。せっかく上手にセットしたのに」「髪?」「うん」残念そうにそう言う彼女に今日会ったときはどんなだったっけと思い出そうと空に視線をやる。星空だった。雲のない快晴。預言通りの。
 今はそこは切って捨てる。夕方に会った彼女を想像するんだけどどうにも思い出せない。なんだろう、ちゃんと見てなかったのかボク。バカだな。
「シンク?」
「…自信ないんだけど、やってみる」
 だけどそのままにしておくのもなと思って、彼女の背中側に回って長い髪を手にしてみた。何度か彼女の髪を結んだことはあるけど、ちゃんとしたのはやったことがない。
 それで四苦八苦してそれっぽい髪型にはなった。「変、かな」だから自信がなくてそう訊いてみる。髪にそっと手をやった彼女が「ううん、大丈夫。シンクがしてくれたんだもの、今日はこのままがいい」と言うから、だから「そう」と返してぷいと顔を背けた。それから自分の手を睨みつけて、仕方がないからがしと彼女の手を握る。びっくりした顔で彼女が「どしたの」と言うから「別にどうもしないよ」と返して歩き出した。うるさい人混みに紛れながら「こうしとけば声かけられないでしょ」とぼそぼそぼやく。ボクに並んだ彼女が嬉しそうな顔をした。「うん」と頷いてにこにこしてる姿はいつもと同じなのに、髪を少しいじっただけなのに、どうしてかいつもよりかわいく。見えてくる。
(くそ。バカかボクは)
 自分をなじりながら、それでも彼女の手を離せない。離したらどうせまた声をかけられる。ボクはそれにイラっとする。そういえばボクはどうしてそこでイラっとくるんだろう。そんなのまるで、
(まるで。なんだ)
「シンク?」
「、」
 知らないうちに立ち止まっていたらしく、彼女がボクを覗き込んでいた。「どしたの」と不思議そうに首を傾げた彼女と、さらりとその肩を滑り落ちる長い髪。
 これじゃあまるでボクは。
「なんでも、ない」
「そう?」
「そう」
 きっぱり言って彼女の手を離そうか一瞬だけ迷った。だけど結局ぎゅっと握ってまた歩き出すことしかできなかった。すたすた歩いていけば「待って待って、シンク速い」と背中から声が追いかけてくる。だけど今は隣に並んでほしくない。この手を離すこともできないけど隣にもきてほしくないなんて、ボクはバカか。バカなのか、バカなんだな。
 彼女の手を握ってる自分の手がやけに熱いと感じる。顔も熱いような気がする。自覚すればするだけ体温が上がっていくような妙な錯覚。
 今日この時間くらいはと六神将烈風のシンクの仮面を外した顔。それをもう片方の掌で覆って細く長く溜息を吐く。

(人を、好きになるつもりなんて。なかった。これっぽっちも)
 付け足して、三つ目。
 どうやらボクもそれなりにバカだったらしいということに最近気付いた。おかげで彼女のことをバカだと罵ることもできなくなった。まぁ相変わらずドジを踏むのは上手だから、そのときはここぞとばかりに皮肉を言ってやるのだけど、彼女はやっぱり笑う。そうされるとボクはもう何を言えばいいのか。というか何を言ってもどうせ笑顔しか返ってこないんだろうと最後には諦める。色んな意味で。
 ボクは六神将烈風のシンクだし、参謀総長だし、レプリカだし。どうしようもないのに。もうどうしようもない立ち位置にいるのに、どうしようもない心を抱いてしまった。だから、ボクはバカだ。すごくバカだ。本当、バカをした。
 だけどバカをしたバカをしたと思ってるのに後悔していなかった。だから多分バカだバカだと思ってるのに、自分を責めてるのに、これでよかったんじゃないかとも思ってる。
 だから、ボクはバカだ。彼女と同じようにバカなんだ。
「…何してるの」
 開けっ放しの窓枠に足をかけて、いつものようにたんと床に踵をつける。ぱっと顔を上げた彼女が嬉しそうに「シンク」とボクを呼ぶ。それからばさりとそれまで視線を落としていた雑誌を広げてみせて「ここ、どんなところかなって。私行ったことないの」とケテルブルクの雪景色の風景を示してみせる。任務で行ったなぁと思いながらその雑誌を取り上げて「なんで。行きたいの?」と訊いた。文章を斜め読みしながらそれがどうやら旅行雑誌らしいことに気付く。
 そういえば彼女の両親は熱心なローレライ信者だったか。それならここに、ダアトに釘付けなんだろう。ボクの予想通り彼女は困った顔で「私ダアトから外へ行ったことがないから」と漏らした。
 簡素な部屋の本棚にはここぞとばかりにユリアの史書やローレライ教関係の分厚い本が詰まっている。壁にはローレライの音叉が描かれたタペストリー。いつ来ても預言が頭を掠めていい気分はしないのに、それでもここが彼女の部屋だから、ボクはここに来る。彼女の部屋じゃなかったら絶対来ない。理由はそれだけ。
 ぼすとベッドに座り込んだ彼女が「いいなぁ外、行きたいなぁ」と漏らす。ボクは肩を竦めて「いいことないよきっと」と言って雑誌を返した。むくれた顔をした彼女が雑誌をぶんぶんさせて「あるある、絶対ある。シンクはほら、任務で外に行ってるからそう思うの。旅行で行ったら絶対好きになれる」とか言うからそういうものかなぁと考える。
 どのみち旅行なんて言葉、ボクとは無縁だ。ボクは仕事で外に行くだけなんだから。
(…ああ。でも)
 旅行雑誌を掲げて熱心に見つめる彼女。「雪かぁいいなぁ、いいなー。シンクと二人で歩きたい」とこぼす彼女を見つめて視線を逸らした。
 そうだね、あっちの方は寒いからコートを着込んで二人して寒さに白い吐息を漏らして、でも君ははしゃいだ顔で雪まみれで、転びそうだな。うん転ぶな、絶対。それでボクはそんな君にしょうがないなぁって笑うんだろうな。それから手を伸ばして彼女の手を取るんだ。彼女が笑ってボクの手を握り返してくれる。ボクもその手を握り返す。白い景色の中白い吐息をこぼして、寒いけど二人で笑って。
 自分でもよくわかる。想像できる。君といるボクがどんなふうか、どんな顔をするか、どんな気持ちでいるか。最近はそれが雨降りの空模様のようにじわじわと胸を痛めてくる。
 ボクはこの世界を、壊すのに。全部なくなるのに。
「シンク」
「、」
 呼ばれて顔を上げた。彼女が悲しそうな顔をして「どしたの」と言うから「こそ、何。泣きそうな顔して」「だってシンクが泣きそうだから」「ボク…?」「うん」彼女の白い指先がボクの目元をなぞる。「大丈夫?」という声に返事をするのに、喉に声がつっかえた。
 ボクは、大丈夫。なのか?
(わからない…このままじゃダメなのに、それだけはわかってるのに。だけど、じゃあどうしたら)
 床を睨みつけるようにして「ボク、はいいよ。でもは、そんな顔しないで」「…それもできないよ。シンク」彼女が困ったように笑う。「シンクが悲しいと、私も悲しいんだよ」と。そんなことを言う。
 じゃあボクらは、一体どうしたらいいんだろう。今まで培ってきたボクの全てを総動員しても出せる答えは少なかった。自分でもシンプルだと思える逃亡の一言。逃げるの一言。全てを捨てて彼女だけを連れて逃げ出す選択肢。
 だけど彼女はそれを望むだろうか。いや、ボク以外の全てを捨てるという道を選んでくれるのだろうか。ただの導師のレプリカでしかもなり損ない、できるのはダアト式譜術が少しと体術がそれなりに。だけどそれだけの奴だ。ボクは。そんなボクと他の全てを天秤にかけ、彼女がボクを選ぶ保証はどこにもない。
 怖くなった。もし彼女に逃げようと告げて拒絶されたら。そう思うと怖くて何も言い出せなかった。今までさんざん一緒にいて迷惑そうな顔で彼女に接したり皮肉を言って困らせたりしたのに、いざ選択のときになったらボクの方が先に恐れていた。彼女がいつでも笑って優しい言葉をくれたのに、それが信じられない。貫き通せない。ボクは、弱い。
 この記憶に刻み付けた今までの彼女を想うのなら、疑うことなんて何一つないのに。ボクは弱い。信じることが怖いだなんて。
「シンク」
 ぎゅっと両手を握られて視界の焦点を彼女に戻す。目を閉じた彼女がゆっくりボクに顔を近づけてキスをした。目を見開く。呼吸が止まる。邪魔な仮面がずれて滑り落ち、からんと音を立てた。
 今、何が、起こってる?
「私の王子様。ねぇ、私を連れていって」
「、何を言って、るの」
「シンクが大変なことくらい分かるよ。上手に時間を見つけて私に会いにきてくれてるのも分かってる。私、シンクに甘えっぱなしなんだけどね、お姫様を守るのは王子様の役目なの。シンクは私の王子様なの」
「…違う。よ。ボクは王子とか、そんなんじゃ」
「そうなの。シンクは私の王子様。シンクは私が嫌いですか」
 真っ直ぐな瞳がこっちを見つめている。返す言葉が見つからなかった。言葉が見つからない代わりに腕を伸ばして思いっきり彼女を抱き締めた。ああバカだボクはものすごくバカだ。そう思いながら「バカだね君は」とこぼす。声が震えていた。ボクなんかを王子だと言ってくれた彼女に、ボクとそれ以外を天秤にかけてボクを選んでくれた彼女に、ボクは泣きそうになっている。
 彼女の掌がボクの頭を撫でる。「私を連れ出してねシンク」という囁きに唇を噛んで「うん」と返す。
 それでも最後に確認するように、彼女の頬に口付けながら訊く。「逃げる先がたとえば牢獄でも、君はボクと一緒に来てくれる?」と。彼女はごちとボクの額に額をぶつけると笑った。いつもの笑顔で。
「預言に縛られて生活してる今もよっぽど牢獄。なら私、行き着く先が新しい牢獄でもいい。だってシンクがいるもの。それだけで十分」
 笑った彼女。笑っている彼女。視界がじんわり歪んで視線を逸らした。嬉しかった。素直に、彼女の言葉が心に響いて嬉しかった。
 ボクとそれ以外を天秤にかけ、ボクを選んでくれた人。たとえ行き着く先が牢獄だろうとボクがいればそれで構わないと笑ってみせた人。ボクが好きになった人。ボクはこの人と一緒に逃げる。逃げ切れるのかどうかわからないし結局どこまで行っても逃げる場所なんてないのかもしれないけど、それでも逃げる。もう決めた。

「…今更なんだけどさ」
「うん?」
「、つまり、その…あれだよ。えっと」

 言おうと思ったら喉がつっかえたみたいに言葉が出てこない。彼女がにっこり笑って「大好きよ」と言ってボクの頬にキスをくれた。ぱちと瞬いてから、そんなあっさり言われると言葉に詰まってるボクがバカみたいじゃないかと思った。だけどまぁ慣れてないししょうがない。ゆっくり自分に確認するように「うん、ボクもが大好きだ」と告げた。そんなボクに彼女が笑う。多分それは今まで見てきた中で一番かわいいというかきれいというか、うん、そういう笑顔だった。

行き着く先が牢獄でも
それでもいいよと君は笑った
あとがき

洸歌さんとの相互記念でシンク夢でーす。ほのぼのから甘め辺りになっている…はずだ←
気持ちバカバカ連呼してみました。バカって言う方がバカなんだよシンク…!(笑
こんなものでもよろしければどうぞ、煮るなり焼くなり好きにしちゃってくださいね洸歌さん!これからもよろしくお願いしますですよー

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