例えばの話。
 もしも僕が目の前から消え失せてしまったなら、君は名を呼び僕を探してくれるだろうか。
 例えばの話。
 もしも僕の命が尽きて、それでも今までに犯した全ての罪から逃れられず死してもなお縛られるようなことがあったなら、君は僕を思い、涙を流してくれるだろうか。
 例えばの話。もしも僕が、もしも。もしも。
「…馬鹿だな僕も」
 ひそりと呟き、誰もいない暗い部屋で瞼を押し上げた。今日も今日でフラットは騒がしい。まだ子供たちが眠っていないからだろう、さっきからどたどたと廊下を走る音やきゃーきゃーと黄色い声がここまで聞こえてくる。
 そんな明るい喧騒から逃げるように部屋に引きこもった。苦手だったのだ。そういうものが僕はとても苦手だった。
 だから自分の部屋でベッドに寝転がって目を閉じていた。そうして考えていた。考えても仕方のないことを。

 彼女の様子は何も変わらない。どこにでもいる少女の顔しかしないし、とてもじゃないけど魔王が隠れているような素振りは一切見せない。
 彼女は間違ってこの世界に召喚されただけで、本当に魔王のまの字も窺えないくらい普通の子で。僕はそれを定期的に父上に報告するだけ。何も問題は起こっていなかった。彼女はきっとこのままいったら捨て置かれるだろう。父上の目から外れるだろう。そしてそうなることこそが望ましいのだと僕も思っていた。
 だけどそれはあくまで僕の予想だ。父上という人間を表面上だけで考えただけの結果だ。あの人の深層なんて分からない。だからこれはあくまでそうなればいい、という予想でしかない。
 いくら彼女に魔王がついていなくても、彼女は異世界の人間。父上の興味が尽きたとしても無色全ての人間の興味の対象外になるという保障はどこにもない。
 もし、彼女が無色の監視から外れ捨て置かれるのなら、それでいい。それが一番いい。
 だけどもしそうなったら、僕は恐らくここから離れないとならない。退屈と言ってもいいくらいに人殺しと無縁の生活。気が抜けてしまうほど笑い声と笑顔がある場所。ここから僕は、離れないとならなくなるだろう。
 そうなったとき。彼女は僕と一緒にいなくなってくれるだろうか。
(そんなわけない。僕は彼女の何でもないんだ)
 自分で自分の考えを否定する。だって彼女は僕を見ていない。それを僕はいやというほど知っている。それに彼女を連れて無色に戻るなんて本末転倒だ。
(ああ、僕、何を考えていたんだっけ)
 ぼんやりと景色を見る。天井。灯りの入っていない暗い天井。木目調の。僕が知るのはただ冷たく沈んだ色をした石の天井。そう思うとここは本当に、あたたかい場所だ。彼女がいるのがここでよかった。そうじゃなければ、あんな石の塔にいたら、彼女はきっと泣いていた。
 彼女。彼女のことを考えている。さっきから、彼女のことだけを考えている。
 だけどきっと彼女は、僕のことを考えていない。
 彼女が僕に向ける目は他の仲間に向ける目と同じだ。それ以上でもそれ以下でもない。それはつまりどうあっても僕が彼女の特別にはなれないということだ。
 ぎり、と拳を握る。

 壊れていく音がする。僕の中の何かが、彼女の笑顔を見る度に喰い千切られて散らかされる。壊れていく音。きっと彼女はそれを知らない。彼女にもこの音が聞こえればいい。君が笑顔を見せる度に僕の中の何かが壊れていく音を、君の笑顔がその優しさが僕の中の何かを喰い千切っていくその音を、君が気がついてくれればいい。
 君の笑顔が好きだと思った。だけどそれは勘違いだった。君の笑顔は僕の中を掻き乱すだけ掻き乱していくだけで、僕に与えてくれるものはろくなものじゃなかった。
 笑顔。僕は彼女の笑顔によってどんどん壊れていく。ぎりぎりでこなす日常がどんどん磨り減っていく。押さえ込んでいる僕でない僕が顔を出しそうになる。
 君の笑顔が好きだと思った。だけどそれは勘違いだった。君がみんなに向けるのと同じ笑顔なんて僕はいらない。僕が欲しいのは、僕だけに向けられる君の笑顔なのだ。

 壊れていく、音がする。
「くそ」
 握った拳で力任せにベッドを叩く。ぎ、と軋んだ音。
 君は今頃また笑っているのだろうか。誰にでも向ける笑顔を向けているのだろうか。その笑顔が僕だけのものになってしまえばいいのに。そうしたら僕を蝕む音はきっと止まってくれるんだ。これ以上僕が喰い千切られることもなくなるんだ。僕の破片がそこら中に飛び散っている。それが誰かの足に届くようになるとき、恐らくその誰かは傷つく。
 そうならないと誰も気付いてくれやしないのだろう。僕が壊れていくことに。
 視界を掌で覆う。彼女の笑顔が脳裏に焼きついて離れない。
 誰にでも向けるその笑顔が、僕だけのものに、なればいいのに。

 ゆっくりとその名前を呼ぶ。
 僕は彼女に溺れていく。どんどんどんどん。日にちが経つほどに、時間を共有するほどに、どんどんどんどん。
 だけど君はきっと僕がいなくなったとしても、僕のように狂ってはくれないのだろう。そう思うとなんだか悲しかった。僕はこんなにも君に焦がれて君の笑顔を僕だけのものにしたくて仕方ないのに、身体がずっと疼いて仕方がないのに、君はそうじゃない。君はそうじゃないんだ。
 僕は、ゆっくりと身体を起こした。目の前が暗い。部屋が暗いせいだけじゃない。視野全体が、暗い。
 立ち上がって歩き出す。マントが戸口に引っ掛けたままだったけど羽織るのがめんどくさかったのでそのまま部屋を出た。談笑が聞こえる。そっちに足を向けかけて、だけど直感が働いてやっぱり彼女の部屋の方に足を向けた。一番喧騒から遠い部屋が彼女のいる場所。そこを目指して歩き出す。
 歩みは遅く、気持ちは、鬱々としていた。
 かんかん、とノックする。扉の向こうには気配があった。「はぁい」という声もした。僕は自分の視界がより一層暗さを増すのを憶えた。駄目だまずい。何がまずくて何が駄目なのか分からないけどそれだけが頭に浮かんだ。
 がちゃ、と扉が開く。顔を出した彼女が「キール」と僕を呼んで目を瞬かせた。僕の顔はどうしてか一人でに微笑み、「いいかな」と言う声も鬱々とした気持ちとは別の、気持ち悪くなるくらい優しいもので。彼女が扉を開けて「どうぞ」と言う。僕は僕でない僕が僕を支配しているのを感じた。
「どうかしたの? 用事?」
「いや、特に用はないんだけど」
 彼女を振り返る。ぱたん、と扉を閉めた彼女は僕を何も警戒していない。
 かわいらしく、彼女が首を傾げる。「ふぅん?」という声。僕は曖昧に笑う。
「ねぇ
「うん?」
「もしも僕がいなくなる日が来るとして、そうしたら君は、僕と一緒にいなくなってくれるかい?」
 曖昧な笑みとは別に、口にした言葉ははっきりしていた。彼女がきょとんとする。僕はこつと一歩彼女に歩み寄った。彼女は不思議そうに僕を見ている。無防備すぎる。何も警戒していない。僕が君と同じ空間に二人きりでいる、そのことがどんなに危険なのかを彼女は分かっていない。
 とん、と扉に手をついた。彼女がそこで初めてぎくりと身体を固めたけれどもう遅かった。反対側にも手をついて、僕は彼女を囲った。「ねぇ」と漏らす声は相変わらずひどく優しい。気持ちとは裏腹に。
「僕が消えてしまったら、君は僕を探して探して、そうして狂ってくれるかい?」
 彼女が僕から顔を逸らせて、「ええと、何言ってるのかよくわかんないよキール。どうかした、の?」と遠慮がちな声を出す。僕はただ薄く笑った。何を言っているか分からない。彼女にとって僕のことは、他の仲間と同じくらいの認識しかないのだ。分かってはいた。分かっていたのにひどく悲しかった。
 彼女の頬に手を添えてこっちを向かせた。彼女は視線を逸らして床かどこかを見ている。拒絶。そう取れる反応。それなのに僕は薄ら笑いを浮かべている。自分で自分がよく分からない。ひどく悲しいはずなのに、僕はどうして笑っているんだろうか。
 彼女に唇を寄せて、僕は囁く。
「僕はね、君がいなくなってしまったら追いかけるよ。君が目の前から消えてしまったら地の果てでも探しに行く。君が死んでしまったら、僕は君を、追いかける。絶対にね」
「、キール」
 彼女が拒絶するように僕の胸に手をついて腕を突っ張らせた。引き離される。彼女は視線を背けたままだ。
 僕の視界は、そこで始めて僕の思いと同じになって、歪んだ。涙が零れるのに時間はかからなかった。死んでいたはずなのに、涙はあっけなく僕のところにやってきた。頬を伝ったそれがぽたと音を立てて床に落ちた。彼女がぎょっとしたように顔を上げて僕を見る。僕は、泣いて、笑う。
「ねぇ、僕はこんなにも君に狂っているのに、君は僕に狂ってはくれないのかい」
 腕を伸ばして彼女を抱き締めた。彼女は息を詰まらせたけど拒絶はしなかった。ただそれは、慰めのようなものだった。僕の背中を撫でる掌は僕を抱き締め返すものではなく、僕を慰める、宥めるだけのものだった。僕はひどく悲しくなった。彼女の首筋に顔を埋め、そのまま噛み付いてしまおうかと思った。だけどひどく惨めになることは分かっていた。そしてこれ以上を彼女が許容しようとしないこともまた、分かっていた。
 恋しいなんて言わない。愛しいなんて言わない。それすらも通り越して、僕は君の存在を欲している。
「君に狂ってるんだよ。
 彼女は何も言わない。ただ黙って僕の背中を撫でている。息遣いがすぐそばにある。望んだ体温がこの腕の中にある。欲している彼女が僕の手の届く場所にいる。それは恐らくとてもとても望んでいたことで、僕を喰い千切る、僕を掻き乱す彼女を、今度は僕が喰い千切って掻き乱してあげるチャンスだった。
 だけど僕は何もできなかった。ただとめどなく悲しかった。涙はとうの昔に枯れたはずだった。それなのに。

 縋るように名前を呼ぶ。だけど彼女は黙っている。黙って、僕の背中を一定の間隔で撫でているだけ。
(ねぇ、何か言ってよ。お願いだから)

call
君が欲しい君がほしいきみがほしい、
あとがき

ヤンデレーを頑張って演出しようとぐるぐる。でもあんまり上手くいかなかったような
ちゃんとヤンデレできたか不明。力不足を痛感…
ごめんなさい夜緒音さんっ、こんなものですが勘弁してください
ヤンデレ、意識すると難しい…うむむ
でも夜緒音さんとキールでお話しできるのを楽しみにしてるんですが、ね!←

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あの、壁紙、いいのが見つからなかったので…簡素ですいません