なんて生温い
そう思ってた

 たとえば、それまで異性っていうのに全然興味がなくて、むしろ仲間達と馬鹿をすることや趣味のスポーツに全力を出すことを全てとしていて。そんなスポーツ熱血馬鹿って見本みたいな奴がいて、そうしてそいつが恋をすると。たとえばどんなふうになるんだろう。
 ベタな漫画の展開なら告られるってパターンが多い。そういう真っ直ぐで一筋でそれしか見ない、そんな馬鹿な奴がようやく違う何かを見つける。そんな感じのパターン。
 じゃあたとえばその逆の。それしかないって思って生きてきた中で急に視界に入った、目の前が開けたようなそのときのことを。何と呼べばいいのか。
「あー…何してんの?」
 最初はただ変な子だなぁと思った。だからそう声をかけた。
 校庭にある桜の木の下でしゃがみ込んでいた彼女のことを、今でもよく憶えてる。
「、」
 顔を上げたその子は黒髪で大人しそうな感じの子だった。慌てたように立ち上がって地面に置いていた鞄を掴んだその手には土。
「あの、何でもないので」
 小さな声でそう言ってぱたぱたと走っていってしまったその子。あっという間だった。膝上のスカート丈がイマドキは珍しくて、オレはついその後姿を見送って。
 それからそれまでその子がいた場所を見た。桜の木の根元。その子がしゃがみ込んでいた場所にはタンポポが一輪。
(…?)
 気になって同じようにしゃがみ込んでみた。校庭の一番端のこんな場所、野球部の球拾いでだってそんなに来ることはない。桜の木があるだけの場所だしそれ以外は目立つものなんて何もない。そこに一輪のタンポポ。だから手を伸ばしてその地面に触れてみた。ざらっとした感触。
 だけど少しだけ周りの土と違うことに気付いた。明らかにそこだけやわらかかった。掘り返された、そう感じるやわらかさとその上に置かれた一輪のタンポポ。総合して考えられるのは。
「…墓。ってか」
 ざらりとした土の感触。掘り返して確かめようなんて罰当たりなことは考えない。ただこれが何の墓でどうしてあの子はこんなところにお墓なんてものを作ったのか、それが少し気になった。
「なぁ」
「、」
 だから次の日。声をかけてみた。どっちかって言えば大人しめなその子は、クラスが一緒だったにも関わらず今まで一度も声をかけたことがない子だった。だけど同じクラスだった。だから声をかけた。
 驚いた顔をしたその子がオレを見て瞬きする。何でそんなに驚いた顔をしてるのか首を捻りつつ気になってたことを訊いた。
「昨日のあれってさ、やっぱ墓とかなのかな」
 気になっていたことを訊ねればその子が瞬きしたあとに視線を落として「そう。だけど。あの、山本くん」そうオレを呼んで「私には話しかけない方がいいよ」と。そう言う。「何で」と首を捻ってからふと気付いて顔を上げた。その子の周りだけ人がいないことに。そしてそんなその子に話しかけたオレをやばいよ山本って目でクラスの奴らが見てることに。
「何? なんかマズったかなオレ」
「…雲雀さんが」
 ぽつりとそうこぼしたその子。雲雀って言えば風紀委員のあの雲雀なんだろうか。
「雲雀ってあの雲雀?」
「うん。だから私からは、離れた方がいいよ」
「何で?」
「…雲雀さんが」
 そうこぼしたその子。そこですぱんと音がして振り返ればその雲雀がいた。全力で扉を開け放ったんだろうその音とこっちを睨んでる目。それで「何してる山本武」とフルネームで呼ばれて、いや何してるって言われてもと眉根を寄せる。何してるって、ただ話しかけてただけなんだけど。
来て。風紀の仕事の手伝い」
「はい」
 がたんと席を立ったその子。っていうのは多分その子の名前だろう。だから迷わず席を立って雲雀のもとへ行く彼女にとっさに「なぁ」と声をかけていた。セミロングの髪を揺らして振り返った彼女。教室の入り口では雲雀が射殺さんばかりにオレを睨んでるのが見える。
「あれは何の」
「雀」
「え?」
「雀の。お墓」
 最後まで言わないうちに彼女がそう言ってオレから視線を外した。「すみません雲雀さん、行きましょう」そう言って雲雀を見上げた彼女。雲雀が気に入らないって顔でオレを睨んでたけど彼女の声に視線を落として少し表情を和らげた。そう見えたのは多分、錯覚じゃない。
 二人が出て行く。そうするとしんとしていた教室にざわざわとした空気が戻ってきた。「ちょ、山本駄目じゃんか」振り返ればツナがいて「ご法度ってやつだよ山本」と焦ったような顔で言われて。「空気読めねぇのかよてめぇは」と獄寺にもなぜか毒づかれて。だからさっきまで彼女が座っていた机を掌で撫でる。思い出したのはどうしてか昨日触れたあの土の感触。ざらりとしたあの感触。
(…雀の墓。ね)
 思い返してみた。土のついていた白くて細い手を。
 彼女はあそこに雀を埋めたのだろう。死んでたんだろう。どうして死んだのかまでは知らないし詳細も分からない。彼女はあそこに一人でいた。それなら一人で土を掘り返して一人で雀を埋めたのだ、あの場所に。一体どんな思いで。一体何を考えながらそんなことをしていたんだろうか。
 今度、もう一回話す機会があったら。そのときどんなことを考えて何を思ってどうしたかったのか。彼女が望んだのは雀の成仏なのかそれとも他の何かなのか。それを聞いてみたい。
 ざわざわといつもの空気の流れる教室とキーンコーンカーンコーンという音。彼女は教室を出て行ったまま戻ってこない。あの分だと本当に雲雀の仕事についてるのかもしれない。そう思いながらがたんと自分の席に戻った。教室に数学の教師が入ってきて彼女の空の机を見たけれど特別誰にも何も訊かなかった。そういえばここからふと視線を上げたときにあの席がたまに空であることに、オレは気付いていた。
 暗黙の了解。彼女は雲雀のところへ行っている。だから欠席になんてならないしサボりにもならないんだろう。そこには少しほっとした。それでどうしてほっとしたんだろうオレはとぼんやり考えて、ノートや教科書を引っぱり出して。

 今ここに彼女はいない。

 その数学の時間中、オレの視界には空席の彼女の机が。そしてオレを振り返って髪を揺らした彼女の姿ばかりが思考を埋めていた。
 たとえば、それまで異性っていうのに全然興味がなくて、むしろ仲間達と馬鹿をすることや趣味のスポーツに全力を出すことを全てとしていて。そんなスポーツ熱血馬鹿って見本みたいな奴がいて、そうしてそいつが恋をするとどうなるんだろうとか、自分のことなのに全然想像がつかなくて。
 多分それは初恋で。多分それは一生叶わない恋で。
 セミロングの髪を揺らして振り返った彼女。黒い髪に黒い瞳。地味だと言われれば確かにそうだけど、大人しいと言えば確かにその通りだけど。そしてその向こうにいたのは雲雀。弱肉強食的に言えば正反対くらいの位置にいる二人がどうしてか一緒にいて、雲雀を見上げた彼女の横顔とその雲雀の顔を見たら。オレのこれは多分どうしようもないものなんだろうなぁと、一人思ったりして。

(…あーあ)
 少し話しただけ。少し会話しただけ。意識して視界に入れたのも数度だけ。それなのに彼女の振り返った姿と雀のお墓とオレに向かって言った最後の言葉が耳にこびりついて離れないのは、これが恋だから。そして恐らく叶わない想いだから。
 夕焼けに沈む空に目を向けながら、ツナや獄寺の仲間友達とのいつもの帰り道で、それでもどうしてかオレを振り返ったあの子の姿ばかりを探してる自分がいて。
「初恋。なのになぁ」
 ぽつりとこぼす。「あ? なんか言ったか野球馬鹿」と獄寺に睨まれていつものように笑う。「別に何も?」と。そう笑う自分の声がいつも通りなことに少しほっとした。

 全力をつぎ込める野球に、一緒に馬鹿をやれる仲間友達。それだけあれば満足できていた日々。宿題に追われたりテストに追われたり部活に追われたり、まぁその他もろもろ色んなことに手を出しながら退屈じゃない日々を過ごしていた。そこには恋って生温いものが入り込む余地はなかった。少なくともオレはそう思ってた。
 恋は生温いと。思っていた。多分。だからどんな告白を受けても全然心に響かなくて、野球に専念したいからとかそういう理由で断ってきて。
 だけど今。オレの頭の片隅を埋める彼女の存在は多分、生温いと思っていた、恋を侮っていたオレへの罰なんだろう。きっと。
(…勘弁してくれよ)
 掌で顔を覆って息を吐く。
 結局オレはその日一度もまともにものを考えることができなかった。思考を埋めるのは彼女の言葉と彼女の姿。そればかりだった。