学校帰り、愛花ちゃんとこっそり会う約束をしていた僕は、「吉野」と声をかけられて背筋がヒヤリと冷え込んだ。顔を上げれば真広がいて、不服そうな顔で腕組みしている。「ちょい面貸せ」それでそんなことを言われたもんだから、僕はいよいよ愛花ちゃんとのことが真広にバレたんじゃと覚悟したんだけど、なんてことはない、真広の言いたいことは全く別のことだった。
 愛花ちゃんに真広に捕まったからごめんという旨のメールを送信しつつ、不服そうなまま歩いて行く真広の斜め後ろ辺りをついていく。
「デパートって、なんでまた」
「そりゃあれだ。仕方なくだ」
「はぁ?」
 イマイチ話が掴めない。どうして仕方なくデパートへ行くことになるんだ。
 腑に落ちないながらも真広がデパートにすませに行く用事というやつを考えてみて、真広の不服そうな顔と仕方なくこなせばならないことというのを頭の中で挙げてみて、ピンときた。
「ああ、ホワイトデーか」
 ピタ、と足を止めた真広に僕も立ち止まった。不服そうな顔にさらに眉根を寄せて機嫌悪そうにしつつ空を睨んでいる横顔を眺めて、この一ヶ月のの真広への猛アタックを思い出す。必死だってことが僕から見てても分かるくらいだった。その想いというのを真広も感じているに違いない。だから、今までの遊びみたいにを軽く突き放すってことはないはず。
 派手で遊び好き、バレンタインなんかは両手でも持ちきれないほどのチョコをもらう真広だけど、律儀にお返しなんてする奴じゃない。数が数だけにしていたらきりがないというのが実のところだ。
 その真広が僕を連れてデパートへ赴き、バレンタインのお返しを選ぶ。
 真広との仲は順調に発展している、といったところか。
 歩き出した真広に続きながら、一生懸命なを思い浮かべ、彼女ののためにも少し探りを入れようと思い立つ。
「何にするんだ? 手作りのホールケーキもらったんだろ。見合うお返し選べよ」
「うるせーな、分かってるよ。それをこれから見に行くんだろ」
 がしがし金髪をかいた真広が胡乱げに僕を見やった。探る瞳はお互い様だ。「そういうお前は彼女にお返しあげなくていいのかよ。どうせもらってんだろ」「あ、うん、そうだね。デパートの品揃えなら彼女も納得するかな…」愛花ちゃんの顔を思い出しつつ苦笑いをこぼす。スーパーものよりはマシ、程度のことしか言ってくれないだろうけど、いいものを選んでおこう。怒られないように。
 お金あったかな、と財布の中を確認していると、はぁ、と息を吐いた真広が不服そうな顔のまま僕と同じく所持金の確認をした。機嫌悪そうな声で「なぁ吉野」「うん?」「お前、のことどう思う」「…はい?」思わず訊き返した僕をじろりと睨んだ真広は声のとおりに機嫌が悪そうだ。「俺とお前と、三人で幼馴染だろ」「そうだね」「お前、あいつのこと幼馴染以外で意識したことあるか?」「…えっと」一応思い出を手繰ってみる。僕ととで真広のお見舞いに行った、あの日から、僕らはここまでずっと繋がっている。
 は最初真広を怖がっていた。金髪の子供なんてそうはいないし、真広は子供の頃から目つきが悪くて大人にも遠慮がなかったし、普通の女の子であった彼女が怖がるのも無理はない。
 けど、僕と一緒に初めて真広と話して、だんだんと打ち解け、そして惹かれていったことを知っている。僕は彼女の想いに気がついていた。だからそういうふうに考えたこともないしそういう目で見たこともなかった。
「僕は、は真広のことが好きだって知ってたからなぁ…」 
 小学校も、中学校も、高校生になっても、真広のことが好きなままの
 真広に夢を見ているわけじゃない。真広のいいところも悪いところも全部ひっくるめて好きだと言う子なんだ。もともとが大人しい子だから真広への想いというやつを表現しないままにここまできたけど、いい加減気付いて、とバレンタインの流れに乗せて告白して、鈍い真広は彼女の想いにようやく気がついた。そして、これだ。不機嫌そうに顔を背けて「俺は全然気付かなかったぞ。だってあいつ、そういう顔してなかったろ?」とかデリカシーのないことを言う。
 そりゃあ、年上ばっかり相手にしてるお前からしたらは大人の魅力に欠ける子なのかもしれないけど、でも、すごくいい子だ。お前の尊大な態度も手癖の悪さも受け止めてくれる子だ。これからもどんな真広であっても彼女なら受け入れるだろう。
 僕はそのことに安心している。彼女はいい子だ。好き勝手する真広にという手綱を握る人がいてくれたら少しは安心して目を離せるようになる。
 愛花ちゃんも、のことは認めている。私とは正反対の健気でいい子です、と嫌味たっぷりに、どこか羨ましそうな目を向けながら。
「…あいつのケーキさぁ」
「うん」
「甘いんだよ。今まで食べた中で一番」
「砂糖がいっぱいだったってこと?」
「いや…それとはまた違う。なんつーかな…最後に甘い。どこにでもあるフツーの味のくせに、最後に甘くなりやがる」
 はぁ、と首を捻る。交差点の赤信号で足を止めて考えてみる。僕は食べてないわけだし、真広の言うその甘さがよく分からないな。
「そういえば、ケーキ、どうやって片付けたんだ? 手作りだし、もたなかったろ」
「あ? ああ…一日ケーキだけ食ってればなくなったよ」
 何でもないことのようにそう言って赤信号を睨みつける真広にぽかんとした。「あいつ、料理の腕はまぁまぁなんだ。菓子系が特に…ってなんだよ」訝しげにこっちに顔を向ける真広にいやと言葉を濁す。
 ホールのチョコケーキを一人で片付けたっていうのか。
 自分宛で、好きだって言われたから、捨てもせず、家族に譲りもせず、一日かけて、一人で食べたんだ。愛の塊を。
 …なんだ。僕が間に入ってどうこうしなくたって、二人は上手くいってるんじゃないか。
 パ、と信号が青に変わった。歩道を渡りながら「普通は一日で食べきれないよ、ホールのケーキなんて」と笑うと真広は顔を顰めた。
「くっそ苦いコーヒーと一緒なら何とかな。言ったろ、変に甘いんだ。それがなんか癖になっちまって、気付いたらテレビ見ながらケーキ食って、コーヒー5杯くらい飲んで、食べちまってた」
 ふーん、と気のない返事のふりをしつつ真広の表情を観察する。
 …なるほど。不服そうな顔をしてたのは、ホールのケーキを一人で気付いたら片付けていた、その事実が腑に落ちないってところか。
 変に甘い。それがどこからくるのかよく分からないせいでもあるんだろう。真広は何かと理屈理屈うるさいし。
 ……それなら。理屈に合わなくても納得してしまう言葉を言おう。少し照れくさいけど、長い間お前のことを想ってきたあの子のために。
「それ、愛じゃないの?」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声を上げて盛大に顔を顰めた真広に笑って言ってやる。「だってさ、ハート型のケーキで、愛って大きく書かれてたんだろ。その甘さ、きっと愛の力だよ」歯の浮くようなセリフでものために言ってあげる。彼女が報われるように。
 視線を彷徨わせた真広が「いや、愛とか、そんなわけ…」ぼやきつつも考え込む。心当たりはあるようだ。
 そう、恋や愛は理屈じゃ語り切れない。
「見えてきたよ、デパート」
 それきり無言の真広に前方のデパートを指す。「ああ」とぼやいた真広と一緒に自動ドアをくぐり、催し物スペースのある七階へ。平日ということもありそんなに混雑していない、ほぼお菓子ばかりが置いてあるスペースに男子高校生二人で参入する。
 愛花ちゃんは何が嬉しいかな。何をあげたら喜ぶだろう。目についたものを愛花ちゃんにプレゼントするイメージを抱きつつ、相変わらず無言の真広とスペースを一周した。僕の候補は三つに絞ったので、あとはもう一度吟味してどれにするかを決めないと。
 悩んでいる僕の横で真広が動いた。さっさと歩いて行く姿に「ちょっと待てよ」と慌てて追いつく。真広は奇妙なほど冷静な顔をしていた。さっきまでの不服そうな顔はどこへやらだ。
「真広? に何買うか決めたのか?」
「ああ。アレにする」
 アレ、と真広が指した方には一つのショーケースが。「どれ?」アレと言われてもたくさんあるし、と困る僕に真広は財布を引っぱり出しながら「だからアレだよアレ。でかいハート型のクッキー缶」すいませんと店員に声をかける真広を横目にでかいクッキー缶を探せば、端の方に置いてあった。大きなハート型の赤いクッキー缶。Love youって書かれたいかにも女の子が好きそうな外見だ。
 ふーんと笑う僕に「なんだよ」と顔を顰める真広。「だってお前、これ、なんて書いてある?」「Love you」「意味は?」「そのときどきだ。文脈によって違う解釈をされる」「で、のお返しにこれを贈る場合、その訳は?」ち、と舌打ちした真広が「そういやお前はそういう奴だったな」とぼやいてそっぽを向いた。言うまでもないだろって顔。
 お前の中でどういう答えが出たのかは分からないけど、と真広、上手くいくといいな。愛花ちゃんとのことを抜きにしても。上手くいって、二人で笑い合ってくれると、嬉しい。
 3月14日のホワイトデー。学校があったその日、昼休みに、真広は購買での昼食帰りに何気なく席に戻ってラッピングされた箱を後手に眠そうに机に頬杖をついているに近づいた。
「おい」
「、はい」
 うとうとしていたところを不機嫌そうな声をかけられて背筋を正した。声をかけたのが真広だと分かると背中の力を抜いて「どしたの」と首を傾げた。そして、真広が突き出したラッピングされた箱に目をぱちくりさせる。瞬間、教室がざわめいた。真広は金髪ピアスで喧嘩も女遊びもする不良なくせに学年トップの成績の持ち主だ。何をしてたって注目されて目立つ。今は余計、だ。
 僕は自分の席から静かに二人の様子を見守った。
「やる」
「え? え、私に?」
「3月14日。ホワイトデーだろ」
 だからやる。真広はそれだけ言っての手に箱を押しつけ、さっさと教室を出て行った。…あの様子だと午後の授業はサボる気だな。あんな不真面目で勉強ができるんだから、そりゃあ、余計な怨みも買う、か。
 教室の中が色めき立つ。「ちょっと、それ本当? バレンタインのお返し?」「いや、あの不破のことだ、質の悪いドッキリとかって可能性も…」「ねぇねぇ開けてみてよ。ほら」クラスメイトに急かされていそいそとラッピングを外し始めたがちらりと僕を見た。目が合う。大丈夫だよ、と笑いかけると彼女はほっとしたように頷いて、緊張で震えていた手から余計な力を抜いた。
 三十秒後。包装紙で包まれていた箱が出てきて、その箱の中からLove youと書かれたハート型の赤い缶が現れて、教室中が歓声に包まれた。
 も嬉しそうに、照れくさそうに笑っていた。
 …愛花ちゃんもあれくらい素直に喜んでくれるといいんだけどな。
 こっそりと自分が用意した小さな包みを手にし、溜息を吐く。
 僕のお返しを受け取った愛花ちゃんがどんな顔をして何を言ったかなんて、説明するまでもないだろう。
 それから真広は三日学校をサボり、ほとぼりが冷めたろう頃に顔を出し、昼休み、と一緒に教室を出て行った。
 吉野、と二人に揃って呼ばれることはもうないのかもしれないな、と薄っすら思う。
 二人が恋人同士になった場合、僕は必要なくなる。これで僕も愛花ちゃんともう少し一緒にいられるようになるはずだ。そう思ったのに、どこかで寂しく感じているこの心は、思っていたよりも幼馴染という繋がりを思っていたのかもしれない。
 今、二人は笑顔だろうか。素直に笑うことができているだろうか。
 予鈴が鳴っても戻ってこない二人を思いつつ、机に突っ伏して目を閉じる。
(…どうか。僕の幼馴染が、幸せに、なれますように)