「こんばんわーっと。ユウいるー?」
 しーんと静まり返ったアパートの扉をノックする。こんこん、こんこんと控えめに。しーんとしてるだけあって返事も物音も何もなく、耳にうるさいのは蝉の声だけ。
 むぅ留守か。腕を組んでじゃあどうしよう携帯にメールでも入れておこうか。そう思って鞄から携帯を取り出した辺りでがちゃんと音がして「うるせぇ」と機嫌の悪そうな声がしてぱっと顔を上げた。長い髪をぼさぼさにしてるユウが不機嫌極まりないって顔で戸口に立っている。
「こんばんわユウ。寝てた…?」
「悪いか」
「え、ううん。起こしてごめんね?」
「別に…」
 ぼそぼそした声にぺこっと頭を下げてから顔を上げて、「今から時間あるかな」と持ちかけてみる。当然彼は眉尻を上げて警戒したような顔つきになる。
 ぶっちゃけ人付き合いは皆無に等しい彼。むしろ相手をしない彼。その彼の友人である、と自分で思ってる私は勇気を持って続きを言ってみる。
「あのね、今日は花火があるの。電車で少し行ったところで」
「…それに俺が行く必要性はあるのか。このクソ暑い中」
「う。それはあの、私が一緒に行く人がいないから…でして」
 ごにょごにょそう言ったら彼は呆れた顔をした。「じゃあ一人で行けよ」と思ったとおりの言葉で突き放されてううと小さくなる。まぁね、そうなんだけどね。でも一人で花火大会に行くなんてさみしいじゃないか。友達が一緒に行ければそれが楽しいじゃないか。暑いのは、確かに認めるけど。暑いね、もう七月だから。
 駄目かぁやっぱり。しょぼんとして「う、んそうだね。じゃあ諦める」と返してとぼとぼ歩き出す。
 せっかくアパートまで暑い中来てみたけど、事前連絡してたわけじゃないし、そもそもユウはメールの返事しないような人だし。だから直接勝負すればどうにかとか思ったけどそんなわけ、なかった。
「…そんなに行きたいのかよ。花火」
 かん、と階段に足をかけた辺りでぼそりとそう言う声が聞こえた。顔を上げて振り返る。明後日の方向を向いてがしがし髪に手をやってるユウが「人は多いしうるさいし暑いの最悪揃いだろ。花火の何がいいんだ」と言われて階段から足を戻す。
 何がいいかと言われると、夏の風物詩。だから?
「思い出作り…とか?」
「とかって何だ。見たいんじゃないのか」
「見たい見たい。すごく見たいです」
「……はぁ」
 最後には溜息を吐いた彼が腕を組んで夕暮れになり始めている空を睨みつけた。祈るように目を閉じてお願い一緒に行ってくださいーと念じる。
(お願いお願いユウ、一緒に行って。アレンもラビもみんな先約があって、リナリーも駄目だったの。一緒に行けるの、もうユウしかいないよ)
 一分くらいたったろうか。祈りが通じたのか溜息のあとに「十分待ってろ。支度する」という奇跡の言葉が聞こえた。ぱあと明るくなる表情で頭を下げて「ありがとう!」と言えばふんとそっぽを向かれた。それからばたんと扉がしまって、私はアパートのアーチのところまで戻りながらやったやったと一人うきうき。やった、今年は花火が見れる。一緒に見てくれる人がいる、やったぁ。
 言葉通り十分たったらユウがやってきた。黒いシャツにジーパンというラフな格好だ。私がにこにこしてるのに気付いたのか、「何だよ気色悪い」と言われてにこーと笑う。気色悪くて結構。や、ほんとは駄目だけど。でも一緒に行くって決めてくれただけで私はすごく嬉しいから。「ありがとう」と言えばふんとそっぽを向かれた。シャツの袖を一つ二つとまくった彼が「あつ」とぼやくので、駅までの道を辿りながら「暑いねぇ」と返す。
 これが夏で、これからは真夏だ。梅雨が通りすぎても湿気が居座ってじめじめと暑い日本の夏はまだこれから。
「あ、切符代出すよ」
「別に…これくらい構わん」
「でも、」
「いいっつってる」
「…はい」
 結局自分の分を一枚買って、ユウも自分で切符を買った。改札を通って電車を待ちながら、さすがに浴衣姿の人が多いことにお祭り気分を感じた。
 きっと会場では屋台も出てるだろう。せっかくお財布持ってきたんだし、割高でもお祭りものは何か食べておきたい。できればユウにも奢ってあげたい。電車賃はいいって言われちゃったけど。
 めんどくさそうに頭の上で一つ結びの、ユウのいつもの髪型。じっと見てたら視線がこっちを見て「何だよ」と言われるから「結ぼうか。っていうか結びたいな。ね、いじっていい?」と背中に流されている髪にちょんと触れる。さらさらだなぁ相変わらず。線の細い髪だ。いいなぁ。
 呆れたような顔で「好きにしろ」と許可が下りたのでわーいと髪ゴムを解いた。電車待ちの間上手に三つ編みをする。彼は何も言わなかったので、私も黙っていた。むつかしいな、案外。私があんまり髪が長くないからかもしれない。慣れてないせいかも。
 むむむと眉根を寄せて格闘しているうちに、ホームに『まもなく列車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください』のアナウンスが流れた。慌てたら手元が余計にもたもたする。う、上手くできない。せっかくいじらせてもらえたのに。
「…電車来るぞ」
「う、うん。ユウ歩いていいよ、もうちょっとで髪できるから」
 手元に集中しながらユウのあとについて歩いて、花火大会に行くんだろう人の間で押されたり押しのけられたりして手元が余計に残念な感じになった。ああ、せっかく人が頑張ってるのにっ。
 電車がホームに滑り込んで風が吹く。諦めきれずにまだ髪をいじっていると、彼がぱしと私の手を掴んだ。この暑いのに冷ための体温にぎょっとして手元が完全に狂う。あー、せっかくの髪が。
「阿呆。足でも引っかけたらどうする」
「で、でも、せっかくの髪が、」
「電車ん中でいいだろ」
「あ、うん。はい」
 怒った顔で言われたのでしょぼんと小さくなる。開いた扉に群がる人の中どうにか車内に入って、扉付近は無理そうだったから通路の中の方まで行った。
 ユウがまだ私の手を引いてくれている。なんか嬉しいな。
 つり革に手をひっかけた彼の髪を再びいじり始めたら、扉が閉まって電車が揺れた。あんまりヒールのないサンダルを選んできたにも関わらずふらついてあわあわした私を呆れた顔をしたユウが片腕で抱き止めてくれる。「危なっかしい」とぼやいて。
 あははと苦笑いを返す中、私は自分がどきどきしているのを感じていた。このままでいいのかなと思っていた。ユウが私を抱き止めているからすっかり髪が手から離れてしまった。人で混み合う車内は暑いだろうに、ちゃんと髪を結ってあげたいのに、つり革に掴まるにはだいぶ頑張らないといけない私のために彼は私を支えてくれている。
「髪…ごめんね」
「別に」
「あの、降りたらちゃんと結ぶからね」
「ああ」
「…怒ってる?」
「何でだよ」
 呆れを見せるユウのきれいな顔がすごく近くにある。
 人がいっぱいでぎゅうぎゅうの中、彼の腕は私の肩を掴んで支え続けた。さっき冷たいと感じたその手はいつの間にか私と同じ温度に染まり、私の体温は余計上昇したように感じたのは内緒だ。

 それでようやく会場のある駅に着いた頃、電車はお祭り目当ての人でいっぱいいっぱいの状態だった。電車から降りても改札で人が混み合っていて、私はもう一回ユウの髪の三つ編みに挑戦する。どうせすぐには出られないし、こっちを頑張ろう。
 彼は不機嫌そうな顔で人混みと改札を睨んでいた。「待ってても空かないな」とぼやいた声とぱしと手首を取られてせっかくやりかけた髪が手の中から逃げていく。あー…。
「押しのけてでも行くぞ。待ってても埒があかん」
「あ、わ、待って待って」
 ずんずん歩いて人混みに入っていく彼に慌ててついていく。身長がある彼の後ろについて押したり押されたりしながら改札まで行って、どうにか抜けられた。人が多いことに私でも辟易する。きっとユウはもっと辟易してる。
 悪いことしちゃったかなぁ。せっかく寝てたところ花火に付き合ってほしいなんて誘って。確かにユウの言うとおり人は多いしうるさいし暑いの最悪揃いかも。
 手を引かれながら、エスカレーターはいっぱいなので階段で地上までの道を上がる。サンダルの足が不安定だ。しまったなぁ、こういうときは素直に履き慣れたスニーカーにしておくべきだった。
 目の前で、結んでない彼の黒い髪が揺れている。
「あの、ごめんねユウ」
「あ? 何が」
「ユウの言ったとおり、人は多いしうるさいし暑いしで。あの、私、」
「…それでも見たいと思ったんだろ」
「う、ん」
「じゃあそれでいいだろ。理由なんて」
 頑張って階段を上がりきる。少し暗くなり始めた外の空に視線を向けた彼が「で、どっちだ」と訊くから会場までの看板が出ているのを見つけて「あっち」と示す。私の手を引いて歩き出す彼の隣に並んでみた。わー、身長差がばりばりだ。ユウは背が高いなぁ。
 走って場所取りに行く人や、家族連れが私達を追い越したりした。その後姿を見て「元気だね」と漏らすと「この暑いのにな」と彼が呆れたような息を吐いた。わしわし髪を手で梳いて「やっぱ暑いな。結んでくれ」とベンチに引っぱられて座り込む。どかと隣に座ったユウの髪に触れて、最初の一つ結びなら自分でできるだろうし、じゃあ私にやらせてくれるのは、と考えた。考えながら今度はどうにか三つ編みが完成。すっきりしたらしい彼が「よし、行くぞ」と立ち上がるので「はーい」と返事をして同じく立ち上がる。うーん、出来は…我ながらあんまり上手じゃない。今度練習しておこう。
「…呆れるほど人が多いな」
 ぼやいたユウの声が喧騒に消えそうになる。「え?」と顔を寄せた私に「何でもねぇよ」と言った彼が不機嫌そうにポケットに手を突っ込んだ。私は困ったなぁと鞄を抱えながら彼の隣を歩いている。どこも人でいっぱいだ。予想はしてたけど。
 どんと向かいから来た人に肩でぶつかられた。お祭りだから仕方ないとはいえ謝りの一言もない。ぶつけた肩が痛いなぁと思いながら、気にしないようにして一生懸命背伸びして屋台を見る。ほんと、人多い。
 ポケットの財布を手にした彼が「なんか食うか」と言うから一つ瞬いた。「何がいい」と視線がこっちを見るので「えっと、じゃあ、おいしそうなもの?」「なんか見てくる。お前は、」屋台に視線をやった彼が、またどんと人とぶつかった私を見て顔を顰めた。私はと言えば今度は「おっとすまん」と言われたから「いえ」と愛想笑いをしているところ。痛いなぁもう。
「…一人にしとくと危ないな。来い」
「へ、わ、」
 手を引かれたから慌ててついていく。人混みを割っていくユウはきっと鋭い切っ先のような空気でも纏ってるんだろう。さっきからぶつかられてる私とはえらい違いだ。
 ユウに引っぱられるままいくつか屋台を回って、フランクフルトと焼き鳥とジャガバターと、暑いからジュースを一つずつ。全部彼が出してくれた。私が誘っておいてなんか奢らせてるみたいで非常に申し訳ない気持ちでいっぱい。
 ずぞ、とコーラをすすったユウが「食え。冷めるだろ」と焼き鳥をかじった。それはそうですが、なんか、悪いなぁ。ほんとに。
 ぱちんと手を合わせて「いただきます」と頭を下げる。まだ全然熱いフランクフルトをかじってみた。ああ、お祭りの味だぁ。
 ベンチなんてすでに空いてなかったし、建物の階段も植木の腰かけられるところも全部埋まっていた。建物の壁際まで行ってご飯にありついている今、花火がどのくらい見える場所にいるのかは分からない。でもユウが隣にいて、ぶら下げてるビニール袋にはまだ銀の包みのジャガバターと焼き鳥のパックが入っている。ジュース片手に焼き鳥をかじる彼はそれだけでも絵になるようだ。首を伝う汗だってなんか光ってみる。かっこいいなぁ。
「…何だよ」
「え、ううん。お祭りの味だなぁって」
 誤魔化すように笑った私に、「満足か」と問う彼にこくこく頷いた。今年の夏は思い出になりそうだ。それもこれもどれもユウのおかげです。フランクフルトをかじりながら「ユウは、お祭り来たことって今までに、」「ないな」「…そっかぁ」性格上絶対一人では行かないだろうし、付き合いで行くのだってきっとないはずだ。私のその予想は当たっていた。焼き鳥一本目を食べ終えた彼が二本目を取り出すのを見ながら「お祭りってこんな感じだよ」と言う。ふーんと興味なさそうにぼやいた彼が二本目をかじった。さっきは鳥もも、今度はつくね。
 暑いなぁと鞄からタオルを取り出してぺたっと顔につけた。人が多いしあっついや。
「確かに、一人で来ても仕方なさそうなとこだな。連れ合いが圧倒的に多い」
 ぼやく声に顔を上げる。つくねをかじるユウの横顔に私は苦笑いした。うん、お祭りを一人で楽しむって人はきっと少数派だと思う。
「夏だよね。こういう屋台がいっぱい出て、人もいっぱいっていうのは」
「冬はないのか」
「んー、冬かぁ…私は知らないかも」
「ふーん」
 ずず、とコーラをすする。紙カップのストローっていうのがお祭りっぽい。
 そのうちアナウンスが流れて、人の喧騒に掻き消されながら『開始時刻まで十分少々でございます。今しばらくお待ちください』という言葉が聞こえた。それから現在の混み合ってる情報とかが流れて、私はフランクフルトを食べ終わって「焼き鳥ちょうだい」とユウに声をかける。がさがさビニールをあさって差し出されたパックを受け取って、残りを確認。あと三本で、鳥ねぎと鳥ももと皮が残っている。たまーになら皮が食べたいなぁと思ってそれをもらった。いただきまーす。
 もぐもぐと鳥皮を食べる。かりかりだ。花火が始まるまでにご飯は食べておかないと、余所見して食べててこぼしたりしたら大変。
 ユウが袋からジャガバターを取り出した。「一つ食うか?」ぶんぶん首を振って「半分、ユウ食べて」もぐもぐしながらそう返す。フランクフルト一本に焼き鳥を食べて、大きなジャガイモまるっと一つは私のお腹には難しい。コーラはお腹でふくらんでるし、ユウはきっと足りないだろうから食べてもらった方がいい。何よりお金がみんなユウ持ちなんだから、たくさん食べた方がいい。
 首を捻ったユウが「足りるか? こんだけで」と言うからごくんと皮を飲み込んでから「私はだいじょぶ。ユウが足りないかな」「…あとでなんか食う。今はいい」ぼやいた彼が銀の包みを開けて、半分に割るのは無理だと判断したらしくかぶりついて食べ始めた。その間に皮を食べ終えた私はちょっと口元をタオルで押さえた。濃いなぁ、さすが皮。
 ずぞぞとコーラをすすって、もう半分食べたらしい彼が「ん」と差し出したジャガバターの残りを受け取る。「おいしい?」「こんなもんじゃねぇの。初めて食ったから何とも言えん」「そっか」私は笑ってもふとジャガイモにかぶりついた。んん、ジャガバターだ。焼き鳥の残りに目をやった彼が「いらねぇのか」とぼやくから私は頷いた。これ食べたらお腹いっぱいになるから、ユウが食べるといいです。はい。
 鳥ねぎを取り出してかじった彼。そんな彼の横でジャガバターを食べる私。何とも、お祭りらしい風景だ。人はいっぱいだし暑いしうるさいけど、それでも。一年に一度きりかもと思えば我慢もできる。
 アナウンスがあったせいか、ここも人が増えてきた。もうそろそろ花火が上がるから、場所を探してるんだろう。一歩二歩と人を避けてるうちにとんと彼の肩にぶつかった。視線を上げればぱちと目が合う。
「あ、えっと」
「…人が多いな、ほんと」
 ぼやいた彼の手が空になったらしいジュースを袋に突っ込んだ。空いた手が私の肩に回る。
(あ、れ?)
 別にふらついてるわけじゃないし、ただちょっと人を避けてそばに行っちゃっただけ、なんだけど。これは一体どういうことだろう。ジャガイモに口を埋めたまま固まっていたら、すぐ横から「喉に詰まるぞ」と言われて慌てて口を離す。食べちゃわないといけないのになんだかお腹がいっぱいで、入らない。お腹だけじゃなくて、なんか、胸もいっぱいいっぱいになってる、かも。
 焼き鳥の残りを全て片付けた彼におずおずとジャガバターの食べかけを差し出せば、「食えないのか?」と訊かれて「ごめんね」と私は小さくなった。「せっかくユウが買ってくれたのに」「…別にこれくらい」ぼやいたユウの手が私の手に触れる。そのまま口元まで持っていってジャガバターにかぶりつく彼。私はぱちぱちと瞬いた。
 食べにくいなら肩に回してる片手を離してしまえばいいのに、わざわざそうやって食べるのは、離す気がないってことだから?
 考えてる間にすっかりジャガイモはユウの胃の中に消えていた。包みを丸めた彼がビニール袋に突っ込む。私は無意味にずぞとコーラをすすった。まだ少し残ってる。
 というか私、普通に堂々と、何間接キスしちゃってるんだ。今のこれも、まるで恋人同士がするような、何してんだろ、私ってば。いや、どっちかって言えばユウが何してるんだろうか。いつものつっけんどんで人付き合い皆無の彼が、私にこんなに優しくしてくれるのは。あとがなんか、怖そうかも。やっぱり金払えとか。いや、それくらいなら全然いいけど、何かもっと、徹底的に何か。…何が言いたいの私。
 だからジュースをずぞぞとすすって飲み干す。ユウの持つビニールには空になった紙パック二つめが投入されて、すっかりゴミ袋状態。
 どきどきしながら手を伸ばして、ビニールをぶら下げるユウの手を取ってみる。触れた指先は人の体温がして、ユウの体温がした。
「…何だよ」
「ん。何となくだよ」
 困った顔で笑いかけると、彼は呆れたような諦めたような顔をした。それから私の手を握って「暑いだろ」と言う。暗くなった空に視線を向けて「暑いねぇ」とこぼす。「もうちょっとだよ花火。きっとユウも気に入るよ、ね」笑いかければ彼のきれいな横顔が「さあな」とどうでもよさそうにぼやく。
 暑いって言いながら私の手を離さないことを、私は勘違いしてしまってもいい、のかな。

 そうして、どおんという大きな音と一緒に最初に一発目が打ち上げられて、会場からはわっと歓声が上がった。
 私は人に押され押しのけられて結局ユウの腕の中で安全な居場所を得るという、なんとも情けない自分で花火初弾を見ることになった。
「花火ー」
 どーんと遠くで打ち上がる花火が夜空高くに光の華を咲かせる。間髪入れず次々花火が夜空に上がり、どおんどおんとうるさい音と一緒に光を散らせた。「ねぇ花火だよ」とちょっとだけ振り返れば、視界に入ったユウは空を見上げている。「うるさい音だな」とぼやいた声とどおんという音に私は苦笑いした。でもこれが花火だ。夏の風物詩。さすがにこんなに人が集る大きな花火は、年に一度で十分かな。だから今年はこれでいい。
 暑いなぁと思ったけどそれは言わずに口を噤んだ。彼の腕が私の肩というか首に回されている。暑いって言ったら、離れてしまうかもしれない。や、暑いんだけどねほんとにね。でも、せっかくこんなに近くにいられるのに、その機会を自分から遠慮するのはもったいない気がしたのです。
「ねぇきれいだよね。ね」
「きれいだと思ったんだろ。きれいなんじゃねぇの」
「私じゃなくてユウだよ。花火、きれいって思わない?」
 どおんとうるさい音がしてまた花火が上がる。空を見ていた視線が私に落ちて、「別に。きれいっつーかうるさい」と言うから私は苦笑い。まぁ、ユウらしい感想というか、そういうことにしておこう。
 花火に視線を戻して空を見上げる。今年は特別、今年は特別と自分に言い聞かせながら夜空の花火を目に焼き付ける。背中に感じる彼の体温と一緒に記憶に焼き付ける。暑さもうるさいのも一緒くたにしてとにかく焼き付ける。もうこんなことこの先一生ないかもしれない、なんて大げさなことを考えながら。
 そんな私の思考が分かってるようなタイミングで首に回されてる腕でちょっと締め上げられた。「ゆ、」苦しいんですがと続けようとしたらそれより早く「来年は」と耳元で声がした。片側からはどおんと花火の音。瞬きも忘れた夜空の花火の視界で、彼の声が言う。
「来年は浴衣でも着ろよ。どうせならその方が連れがいがある」
「、ゆう、それは、来年も一緒に、あの、わたしと、」
「行ってやるよ。一人で行かせるよりマシだ」
 腕の力が緩んだ。心臓が、胸が、どきどきしている。どうしようか、振り返ろうか。そう思うけど、花火がある。それに、振り返ったら言われそうだ。嘘、とか。ユウは嘘は言わない人だけど、万が一嘘とか言われたら私はショックすぎて立ち直れそうにない。
 どきどきどきどき。胸がうるさいまま、鞄を持ってない方の手をそろりと後ろに回して、ユウの手を探った。ぺたと触れるとがさりとビニール袋が揺れる音があって、それから私より大きな手で握り締められた。かろうじて指先でユウの手を握る。
 ああ、心臓がどきどきしてる。過重労働すぎるくらいにどきどきしてる。
「あの、ユウ」
「何だよ」
「…今度は、もっと上手に、髪結ぶからね」
 妥協に妥協を重ねて私はそんなことを言った。どおんとまた一つ視線の先で花火が上がる。耳元でユウが笑った。その近いことに心臓が、過重労働で、倒れそうだ。
過剰労働する心臓が示す意味
つまるところ、私は彼が好きなのだって、そういうことでしょうか