かくして、私の予感、女の感は当たった。 下町の水道魔道器が壊れ、盗まれた魔核を追ってユーリはこの町を出て行った。 その少し前にフレンも帝都を離れている。結界が機能しなくなっているハルルに向かうのだと言ってたっけ。 本のことを正直に話して謝ったら、フレンは少し残念そうな顔をしてたけど、許してくれた。悪いのは私ではなくユーリの方だと言ってくれた。それでもフレンが私に預けてくれたものをなくしてしまったことに変わりはないのだけど。 一人剣を振るいながら、ユーリとのこれまでの稽古を思い出し、一人で剣を振るうことの寂しさに小さく笑った。 私には誰もいない。もうここには誰もいない。フレンもユーリもラピードもいない。 剣を振るう腕に力が入らず、中途半端な突きをしたせいで手から剣がすっぽ抜けた。カラカラと転がっていく剣を眺めて、はぁ、と息を吐く。 これから私、毎日、なんのために頑張ればいいのだろう。 ユーリが出て行ったのは下町の魔道器のためで、それは下町の人達のためで、私達のためだ。フレンは今も自分の掲げた目標のために切磋琢磨の日々を送っている。圧政のもとで貧しい人達がどれだけ苦しい思いをしてきたかを知っている彼だって、下町のため、私達のために頑張ってくれている。 なのに私は。私は何をしてるの? ぎゅっと拳を握ってずんずん歩き、剣を拾い上げて柄を握る。 緩く月光を反射するこの刃が、喉をかき切れば。あるいはこの刃が深々と胸に突き刺されば。私は楽になれるのか。 暗い考えを捨てて、剣を鞘に収め、黙々と歩いて下町へと戻った。 朝から夕方まで働いているせいで、最近は元気な子供達の声を聞くこともなくなり、誰かと顔を合わせる回数も減った。 壊れてしまって水を出さない噴水を覗き込めば、濁った色の水をたたえているだけ。魔核が戻らなければずっとこのまま。ユーリはきっと魔核泥棒を捕まえて取り返してくれるだろうと思うけど、それまで川の水を飲まないといけないのは、結構厳しいかも。 でもユーリならやってくれる。フレンだって、この事態は耳に入ってる。きっと二人が何とかしてくれる。 そう、二人が。私は、何もできないから。 部屋に戻って、腰帯を解いて鞘を置いた。ふっと息を吐いてベッドに倒れ込み、目を閉じる。 「? 、いるんだろう」 コンコン、とドアをノックする音が響く中、気だるい身体に鞭打ってドアの施錠を外して開けると、扉の向こうにはフレンがいた。ぼんやりした頭であれ、フレンだ、帰ってきたんだと思っていると、「ユーリが水道魔道器の魔核を取り戻してくれたよ。無事取り付けも完了したから、これで下町の水道は直るはずだ」という言葉を聞いて細く息を吐く。 そっか、少しかかったけど、やったんだねユーリ。やると思ってたけど。 でも、目の前にいるフレンはなぜか表情を曇らせていた。どうしてだろう。下町の水道はこれでようやく元通りなのに。 「、その…なんだか目の下のクマがひどいよ。きちんと眠ってるのかい?」 フレンの心配事に、私は空笑いした。むしろ最近仕事から帰ってきたら寝ることしかしてない気がする。あんなにユーリに習った剣を持とうとしていない。 最近の私、駄目駄目なんだよ、フレン。そんなこと知らないだろうけどね。メイドの仕事、いつクビになるかってレベルの駄目さなんだよ。 でも、フレンに余計な心配はかけられない。彼の足を引っぱりたくはない。だから私は笑うだけ。それが無理矢理作り出した営業スマイルみたいな笑顔でも、笑うだけ。 子供の頃、私はユーリとフレンのどちらも見当たらないと泣いてしまうような弱い子供だった。私には親がいなかったから、同年代のユーリとフレンといることが私の安寧だった。幼い私にとって、自分よりも何でもできる二人のことは幼馴染というより親にそうするように頼りにしていた。だから、二人がいる景色が当たり前すぎて、二人がいない景色が受け入れられなかった。どちらかがいないのならまだしも、二人ともいないなんて、幼い私には泣くことしかできない怖い現実だったのだ。 泣いてる私を見つけるとフレンは慌てた様子で駆け寄ってきてくれた。ユーリはちょっとめんどくさそうにしながらも世話を焼いてくれた。 もう私のために振り返って道を戻らせることは、させたくない。 「心配いらないよ。フレン。私は大丈夫」 掠れた声でそう返すと、フレンはまだ何か言いたそうに私を見ていたけど「隊長、そろそろ」と飛んできた声に振り返って「ああ」と返し、申し訳なさそうに私を一瞥して「すまない、仕事の途中なんだ。また来るから。…無理はしないでくれ」と残して彼は部下と共に去っていった。その背中が見えなくなるまでぼんやりと見送って、直ったのだという噴水を見に行く。 水色に光る魔核は確かに噴水のくぼみにはめ込まれていた。 透明な水を噴き上げる噴水を眺めて、目を閉じる。 魔核泥棒を捕まえに行ったユーリは戻ってこない。代わりにフレンが魔核を持ってきた。それなら、ユーリは。ついに見つけたんじゃないだろうか。自分の道ってヤツを。 フレンが人目に分かる事を成すのなら、ユーリは人目につかないところで事を成す。フレンではできないようなことをやってみせる。そんな気がする。 たとえば、法の傘で庇護されている誰かを斬る。とかね。フレンでできないのなら俺の出番だって、やってそう。 (…ユーリ。元気かな) もうちっとも思い出せない彼のぬくもりを思いながら部屋に戻り、重い身体をベッドに沈めて、私は眠った。 それから何日かすると、私はなぜだか声を出せなくなってしまった。ハンクスおじーちゃんは病気じゃないかとすごく心配してくれたけど、病院にかかるお金なんてない私は、口ぱくで大丈夫と返して笑った。 声が出せなくなってしばらく、メイドの仕事をクビになった。仕事はできるけれどちっとも喋れない私にあの馬鹿息子は他のお気に入りを見つけてきたらしい。全く、これだから貴族の馬鹿共は。 でもまぁ。もうあのツラを見ないですむのなら、クビってのも悪くはないか。 久しぶりに下町の景色を朝から晩まで眺めて、人の流れをただぼんやりと眺めて、眺め続けた。 飽きることはなかった。ただ懐かしかった。 長い間私が離れていた景色。安心するこの雑多さ。ここが私の生きてきた場所。ようやく帰ってこれた。誰も待ってない静かな部屋じゃなく、雑多で、路地裏に物が溢れてるような、この場所へ。 ほぅと息を吐いて喉に手をやる。声は出ない。息が漏れるだけ。 これが病気であっても別にいい。自分の声なんてあってもなくても同じだ。だって、伝えたい相手はここにいないのだから。 ユーリもフレンも自分の道を歩いている。 せめてその足を引っぱることはすまい。もうそれだけはすまい。先を目指す二人の足枷となるようなことだけはもう。それが、私の最後の意地。 見たいと思っていた景色も見れた。 …もういいだろう。 今日、私は飛ぶ。 |