04.最後に全てを一斉停止

 吹きすさぶ風の中、バウルが夜の景色を飛んでいく。夜の風景の中でも光って見える結界はまだ見えない。帝都まではまだかかるらしい。
 水道魔道器が動いてるのを一度この目で確かめたい、なんて仲間に説明して旅を中断させてまで魔道器が気になってるわけじゃない。アレはフレンに預けたんだ。あいつなら上手くやってるはずだ。俺の心配はそこにはなく、追われるようにして後にしたノードポリカでフレンが口にしたがマズいかもしれないという言葉にあった。
 あのときはごたごたしてて詳しい話が何も聞けなかった。真相を確かめようにも、帝都まではどうやっても遠い。随分遠くまで来ちまったから。だがジュディが仲間に戻り、連れのバウルなら空を飛んでいける。だから俺は帝都へ向かってる。
(マズいってどういうことだ。畜生フレンめ。もうちょい説明しろってんだ)
 苛々と靴底で甲板を叩く。を頼むユーリなんて都合のいいこと言いやがって。くそ。
 まだ何も見えない。帝都はまだなのか。
「あら、珍しく苛々してるのね」
 聞こえた声に細く長く息を吐き、たんと靴底をつけて立つ。「…まぁな。悪ぃな、ワガママ言っちまってよ」「いいえ。たまにならいいんじゃないかしら」と軽いことを言うのはジュディだ。相変わらず寒いんじゃないかと思う格好をしてる。
「他の奴らは」
「中でうとうと、かしらね」
 肩を竦めたジュディに肩を竦めて返したとき、遠くに光が見えた。目を凝らす。結界の輪だ。ようやくか。
 俺を観察していたジュディが「水道魔道器がちゃんと動いてるのか見たいって話だったけど。あれ嘘でしょう?」と遠慮なく訊いてくる。…まぁ、ジュディには正直にいくか。バウルに頼んでくれたのもジュディなわけだし。
「全部が全部嘘ってわけでもないぜ。二割くらいはそれで合ってる」
「あら二割? じゃあ残りの八割は何なの?」
 興味ありそうな顔のジュディに頬を引っかく。何なのって。そりゃあ。なんだろうな。俺だってよく分からないっつの。
 ねぇユーリ。光が強ければ強いほど、影は濃くなるよね
 いつかにアイツはそんな話をした。俺と剣の稽古をしてたいつもの夜の、月の下で、休憩と座り込んだ彼女とした何気ない話の一つだ。
 でも、光と影は一体。どちらかが欠けてなくなるなんてことはない。光があれば必ず影ができるし、影のできたところには必ず光がある
 だから私は、影に呑まれても、光があるなら。それでいいんだよ
 バウルが帝都から少し離れたところに下りる。俺は船を飛び出して、とにかく走った。今までこんなに本気で走ったことがあったかってくらいに走った。下町の門を潜り抜けて坂道を上がり、アイツがいるはずの部屋へと走った。
 扉を叩いて「、俺だ」と言ってもしんと静かな空気があるだけで、部屋の中で物音は一つもしない。
 嫌な予感がする。
 フレンがお前のことをマズいかもしれないと言った。あいつがマズいと表現するってことは、相当よくないってことだ。
 ダメもとでノブを掴んで捻ると、鍵がかかっていなかった。バンと開け放つ。ベッドは当たり前のように空で、剣は布団の上に置いてある。稽古じゃない。寝てもいない。仕事か? 時間帯が変わったとか。セクハラしてくる貴族野郎のとこにまだいるのか。それとも。
 何か手がかりはないかと部屋の中を見回して、取り上げた鞘の下に小さな紙切れを見つけた。開くと、それにはこうあった。『ごめんなさい』と。
「バウ!」
 ラピードの強い声に振り返る。こっちだと走り出す相棒の鼻は、のにおいを掴んだんだろう。
 ごめんなさいと書かれただけの紙切れを握り締めて走る。
 嫌な予感は加速する。
 下町から市民街へと続く坂を駆け上るラピードを追って走り、しっかりと動いてる水道魔道器を横目に確かめ、疲れを訴える足に鞭打って広場へと飛び出す。それと同時に少し向こうで上がった悲鳴。
「おい、人が落ちたぞ!」
「飛び下り、飛び下りだっ」
 ラピードが人が群れをなしているそこへと走る。
 おい冗談よせよ、と言いたくても言えない。
 下の市の広場を跨ぐようにかかる橋。そこに集まる人の群れ。そしてそれに向かって走って橋の下を覗き込み「ワウ!」と吠えるラピード。
 勢いを殺すことを忘れて手すりにだんと手をついて下を覗けば、人のかたちがあった。俺と同じ黒い髪が放射線上に広がって煉瓦の地面に張りついている。じわりじわりと広がっていくのは夜のせいで黒く見える液体。月光を受けて鈍く照り返した部分だけが赤く見える、血の色。
 ぐっと手すりを握って、この高さならいけると飛び下りることを選んだ俺を、「よすんだ君!」「若者よ早まるなっ、落ち着け!」と勘違いして止めてくる連中。「うっせぇ離せよ!」と暴れて落ちた俺は、何とか着地に成功し、ずきずきする足を引きずりつつ動かない人のかたちに近づいた。
 ざわざわと遠巻きに人が集まり、「おい、人が」「落ちたのか」「飛び下り自殺か?」「まだ若い女の子だぞ」「ちょっと…誰か、騎士団呼んでちょうだい」と無責任に飛び交う声の中に、積極的に彼女を助けようとする奴はいなかった。
「誰か…いないのか。治癒術を、使える奴は」
 遠巻きにこっちを見ている連中は一人も動かない。今頃になってようやく動くことを思い出したのか、クリティア族が一人走っていったが、到底間に合わない。
 全力で走ってきたからエステルはまだ追いつかない。アイツの力なら間に合うかもしれないのに。
 血溜まりに沈む頭をそっと抱き上げ、動かないを抱えた。遅れてやってきたラピードに「頼む。エステルを連れてきてくれ。なるべく早く」とこぼすとラピードが猛スピードで来た道を遠ざかっていく。
 目を閉じたままぴくりともしないの真っ赤な顔を、なるべく拭ってやろうと手で撫でる度に、赤い色はこびりつくだけだった。

 光が強ければ強いほど、影は濃くなる。そう言った彼女は俺とフレンを光だと言った。俺はフレンが光で自分は影だと思った。だけどそんな俺のことすら光だと笑った彼女は、自分こそが影なのだ、と微笑した。
 影に呑まれても、光があるなら。それでいいと。お前はそう言った。
 俺達が在るなら、自分は呑まれてもいいと。お前は言ってた。
 フレンに言われるまで俺は気がつかなかった。
 ありきたりな言葉で言うなら、信じてたんだよ。剣を交し合ったあの時間を。
 色々と問題が片付いたら、帝都へ戻って。お前に今までのことを話そうとか思ってたのに。

「ユーリ…っ!」
 エステルの声に顔を上げる。走ってきたせいだけじゃなく、俺が抱える彼女を見て、エステルは顔色を悪くしていた。「エステル頼む。治してくれ。頼む」「は、はい…」恐る恐る治癒術を使うエステルはもう分かっていたのかもしれないが、それでも俺は、諦めたくなかった。認めたくなかった。
 光に包まれるを眺めて、血でべっとりと張りつく髪を払ってやる。
 彼女は、目を、覚まさない。
 頼むよ、とこぼして抱き締めても、彼女は目を開けない。
 やがて光が止んでも。彼女はずっと、目を開けないままだった。